ENo.136 エルヴィラ・コンラート

　いつもと違う自分になりたい。
　という願望は、エルの中では割と強い。

　思えば、昔女王様になろうと思ったのはそのせいだったのだろう。
　尤もその時は、実際のシーンの映像を見た、という切っ掛けがあってこそだったけれども。

　ただまあ、奇異な視線を浴びることへの抵抗感も人並み程度にはある。
　共に行動する仲間を含めたごく一部以外に、バイトの事を話していないのもそれが理由だ。

　ところで、何故突然そんな話になったかというと。

「バニースーツ……」

　エルは今とても悩んでいたからだった。

　他者に自慢するつもりは全くないが、エルは自分の容姿はそれなりに整っていると思っている。
　でなければ高校生の段階であんなバイトをやろうとも思わなかっただろう。
　勿論、世間的には成人となった今はもっと成熟している。
　大学で平穏に暮らしていた頃、街でスカウトに声をかけられたこともあるのだ。
　良くも悪くも自己主張をせざるを得ない芸能界の仕事は嫌だったから、丁重にお断りしたけれども。

　容姿に自信があることも、変身願望をかきたてる理由の一つだ。
　それが先の呟きに繋がったのである。

　最初は社交場のオーナーに「似合いそう」などと言われたのが切っ掛け。
　その時はまだ恥ずかしさが先立っていたけれども、正直自分で想像しても同感だった。
　――繰り返しその相貌を想像しているうちに、何だか妙にテンションが上がってしまっていた。
　本当に着てしまおうか。
　というか、ぶっちゃけ着たい。

　ところが二つ問題がある。
　一つ、まずそのバニースーツが今手元にないこと。
　ならば素材を手に入れ裁縫するにしても――。

「……出来る気がしない……」

　頭を抱えた。
　一人暮らしを行なえる程度に家事はこなせるものの、裁縫だけはどうしても苦手だったからである。

　■

「……ああ、なんかこう、凄くイライラするわそれ」

　日本で、まだヴィラと共同生活を送っていた頃、彼女にそう言われたことがある。

　その時彼女の目の前でエルがやっていたのは、研究室に持っていく雑巾を縫う作業だった。
　休み明けの小学生じゃあるまいし、とも思ったが実際一期中に何枚も犠牲にする研究室なので仕方がない。

　手をわなわな震わせるくらいだから本当にイライラしているのだろう。
　まぁ、その気持ちが当のエルにもわからないでもない。
　もし自分が見ている立場なら、やはりイライラ……はしないだろうが、ハラハラはするだろう。

「なんで手先が不器用ってわけでもないのに、糸通しも満足に出来ないのよアンタはー！」
「私が知りたいくらいです……」

　声を上げるヴィラに、エルとしてもそう返すしかない。
　幾度と無く針の穴に通すことに失敗した糸の先端はすっかり割れてしまい、しかたなくその部分を切る……。
　という作業だけで既に一時間も費やしているのだから無理もない。

　ただまぁ、ヴィラもエルをそれ以上罵るようなことはしなかった。
　彼女とてわかっているのだ。

「あたしがやる、と言いたいトコだけど……」
「私が出来ないことはヴィラにも出来ないですしねえ……」

　揃って溜息をつく。
　分離してから間もなくわかったことだが、スキルの習熟的なものに関しては当時のエルとヴィラでは全く同じ状態だった。
　というよりも、先天的にある才能とない才能が共通している。
　――何故か裁縫の時だけ発揮される驚異的な不器用さもそのうちの一つだった。

「やっぱりミシン買いなさいよ」
「ミシンも糸通すじゃないですか……。
　それにそれが出来ても使いこなせる気がしないです」
「……それについては否定出来ないわー。
　じゃ、もう雑巾はその辺で売ってるの買って済ますしかないんじゃないの？」
「……今回も、ですか？」

　ここで諦めたら試合終了……というわけでもないが。
　何となく諦めたくないという意思を込めてベッドに腰掛けるヴィラを見上げる。
　が。

「……あんたのこと大好きな結佳にさえ匙投げられてんのよ？」
「うっ……」

　その指摘には流石にちょっと動揺した。
　白浜結佳。大学の先輩にして、エルに単なる友情の枠を超えた感情を抱いている女性である。
　信頼出来るヒトではあるものの、彼女の感情全てを受け容れることは出来ないというのは既に本人に告げている。
　ただその出来事があってからそれはそれでいいと開き直ったのか、彼女の感情表現はよりオープンになっていた。正直たまに吃驚する。
　その結佳は当然エルのことを人として、女性として高く評価しているのだが……。

『……エルは仮に結婚しても、裁縫にだけは手を出さない方がいいと思う』

　前期にエルが持っていった『雑巾』を見た彼女に、物凄く神妙な表情でそう言われたのだ。
　そりゃまあ、軽く端を持ち上げた途端に布を結わえていた糸があっさりと解けたのだから哀れまれもするだろう。
　そうでなくとも形も雑巾の後に『？』がつくほどのものだった。
　だからその話を聴いたヴィラは、最初自分のことでもあるというのを忘れて大笑いしたものだった。

「どうしたらうまくなれますかね……」
「こればっかりはないものねだりじゃないかしらね……。
　別に他の家事が出来ないわけじゃないんだし、一個くらい素直に諦めなさいよ。
　怪我するよりマシでしょ。……今より酷いのを」

　ヴィラは「あちゃー」とばかりに顔を手で覆う。
　エルは頑張って糸を通そうと針を右手の人差指と中指で摘んでいたのだが、遊んでいた小指はしっかり針の先端にあたっていた。
　そして、「え」と首を傾げた際に力の加減を間違ったものだから――。

　ぷしゅー。

「わっ！？」
「何やってんのアンタ！？」

　針が思い切り指に刺さり、血が床に滴り落ちた。

　■

「針に糸も通せないのに……」

　その時の出来事を思い出してがっくりと項垂れる。
　これではやはりバニースーツを自作するなど夢のまた夢のまた夢くらいだろう。
　どこかでモノを調達する必要がある。
　モノ、で気づいた。
　別に、いきなりバニースーツそのものを探す必要はないのだ。
　素材さえ手に入れてしまえば、あとは街に行けばなんとかなるのではないだろうか。

「そういえば、この辺には兎の人形が出るんでしたっけ……」

　呟いたエルの瞳に、やや暗いものが宿った。
　今日は後ろで大人しくしている盛る氏がその目を見たら、
『また良からぬことを考えている』
　と震え上がっただろう。

　実際。

「……なんか今日は随分入念にナイフ研いでるな」
「そうですか？」

　戦闘に備えナイフを研ぐエルを、盛る氏は怪訝な眼差しで見つめていた。
　研ぐのはいつも二、三分軽くやる程度の筈なのに、今日はもう十分くらいはやっている。

「そんなに研いでどうする気だよ」
「……今日刈り取るモノには、出来るだけ血痕を残したくないので……」
「怖っ！？」

　丹念に研ぎ続けながら言うものだから、思わず本音が漏れた。

「ふふ……怖がらなくてもいいですよ。
　今日は貴方には本当に何もしませんから……」
「そういう問題でもないんだが……。
　っていうか、何を刈り取る気だ？」
「耳です」
「耳？　……ああ」

　少し考えて気がついた。そういえばこの辺には兎が出るのだとか。
　先のバニースーツを望む呟きは盛る氏の耳にも届いていたから、そういうことかと合点がいく。
　――と、そこで盛る氏はあることに気がついた。

「……なぁ、アレ、兎は兎でも人形だぞ？
　そりゃ動くけど、血は出ないと思うが……」
「……あー……」

　今更ながらその事実に行き当たったらしく、研ぐエルの手の動きが次第にゆるやかになった。

「それじゃあここまで気合を入れる必要もなかったですね……」
「っていうか、ナマモノの耳刈り取るつもりだったとか……。
　アンタはアマゾネスかなんかか」
「そこまで野性味溢れてはないですよ」
「さっきまで宣ってたこと考えると信じがたいが……」

　やんわりと否定すると、エルは唇を尖らせた。

「本当ですから……。全ては生活の為です。
　本心じゃ動物を痛めつける気もないですよ？」
「色々突っ込みたいが、痛い目見たくないしあえて突っ込まんわ、もう……」

　エル自身は本心から言ってるのだろうが――。
　過去の彼女の行動を鑑みるに全く信憑性を感じない台詞に、盛る氏は思わず頭を抱えたのだった。