ENo.3330 ネイト・グラスウォール

昨日の疲労もあるので本日の移動はなし。
各自が思い思いに過ごすこととなった。
といっても、雪は自分から動くこともないし
俺もあまり離れることはないから、
兄妹が適当にどっか行って戻ってきてって感じだ。

「ふっ……」

紐に吊るして揺れている小枝。
その中心……から少しずれた部分に剣先が刺さる。
細かい狙いをつけるのは難しい。
止まっているものに対してゆっくりならば当然出来る。
しかし、力強く速く、となると止まっていても多少ぶれが出る。
動いているなら尚更のこと。

「……やれやれ」

ピッ……と剣を払うように引く。
変な力を掛けた所為で小枝が不規則に揺れるが、
暫くするとまた規則的な動作に戻る。
少し前から、これの繰り返し。
いくら休息を取ってるとはいえ、動ける程度には回復している。
ならば昨日みたいなことはもうしたくない。
気を引き締めて、どんな敵にも対処できるように。

「まぁ、そんなにすぐに何でも出来るようなるとは思わないから、ちょっとずつな」

苦笑して、いい訳のようなことを言う。
先には、木陰で休んでいる涅槃雪。
その言葉に、ほんの少しだけ口の端を上げたような反応を返す。

そう、実はほんの少しだけ彼女からも反応が返ってきていることが分かった。
先日、チョコを貰った日から注意深く観察して漸く分かったこと。
ちゃんと、彼女の意思はまだここにあった。
何か膜がかかってる様に反応は鈍いけれど。
でも、それだけで十分だ。

今まで、彼女が全く反応がなくなっていたとして行動していた自分。
それが、彼女にどう写っていただろう。
今思うと、かなり恥ずかしいし失礼なことだったと思う。
けれど、

「――……まぁ、いいか」

息を吐いて剣を構えなおす。
難しく考えるのはやめよう。
今まで、何かと気を張りすぎだったかもしれない。
昨日の敗走と、彼女の現状が少し分かったことで
それが少し緩んだ気がする。
まぁ、普段通りに戻るだけだけど……。

「お、こんなとこ居たのか。動いて大丈夫なのか？」
「お前に言われたくねぇって」

とか言ってる間に兄がやって来た様だ。
一番ダメージが酷かったように見えるのはコイツなのに朝から色々動き回ってる。
本当に元気だな。

「結局山越えてからどんな地形か把握してなかったからな」
「ああ、そういやそうだな」

どうやら、散策がてら周辺の地形を確認してくれていたらしい。
なんでも背後の山の先は平原が一本道になっているそうな。
南側の水辺の先には砂地が見えるらしい。

「そういや、山の方は良いもんがあったぜ」
「良い物？」
「ああ、後で行ってみるといい。彼女さん連れてな」

それだけ言うと、手を振ってまたどっかに行ってしまった。
なんだったんだろうな？
まぁ、ココ最近付き合ってきてあいつの人となりは大体分かったからいいんだが。
お人好しだから、そう言う嘘はつかないってことで俺は認識してる。
前髪をくしゃりと掻いて少し考えるが

「んー、それじゃ行ってみようか？」

言われた雪は、何故か不思議そうな顔をしていた。

「これは……」
「――……ぁ」

山の麓、そこに一本だけあった大きな木。
それは桜の木だった。
既に花は満開で、こんな荒んだ世界の中
そこだけ別世界のような煌きが感じられた。

「あいつめ、似合わないことを」
「――……」

珍しく、小さく声をあげて反応した涅槃雪も
今ではその光景をじっと見ているのみだ。

ザァ――っと風が吹く。
薄紅色の雪が辺りに舞った。
ああ、そういえば……

まだ、彼女が一度消える前の話。
彼女の、彼女たちは大きな家柄と言うこともあり
季節柄の催しや遊宴会を開くことが何度かあった。
馴染みの深いものもあったが
東洋の風習とやらで俺らにとっては目新しい物も幾つかあった。
その中でもお花見は後者に当たる。
花を愛でる、と言うのはあるが桜の花を観賞すると言うのは中々なかったし
その下で宴会をすると言うこともなかった。

『こうしてみるのもいいものだね』
『ええ、そうでしょう？』

彼女は楽しそうに笑った。
エールでもいいが、こういう場所では米酒を飲む物らしい。
彼女が出してくれたそれを飲みながら、
コレが風流って言うものかなんて考えたりもした。

『あら？のこちゃん、どうしたの？』
『ん？』

気付くと、涅槃雪の後ろに小さい少女が隠れるようにして存在していた。
居た、と言うよりかは必死にくっついている感じだが。

『…………』

緑色の髪に眼帯……少女は名を若葉のこぎりと言った。
涅槃雪……彼女が所属しているパーティの花束には、彼女の姉妹がいる。
その数、総勢７人。
本来は５人だったそうだが一人減って二人増えたそうで、
その時は６人で行動していた。
涅槃雪はその中の次女……パーティを離脱したのは長女だったから
今は彼女が一番上だ。
つまり、花束には彼女の妹たちしか居ない。
この会のホストと言うことで他の妹達もお客の対応に追われていた。
こののこぎりもその中の一人だったのだが……。

『ネイトさん、少し』
『ああ、構わないよ』

そう言うと彼女たちは少し離れた所で話していたが
暫くするとノコギリを伴ってまた戻ってきた。

『済みません、ネイトさん。この子もご一緒して宜しいでしょうか』
『ああ、俺は構わないよ』

どうやら、引っ付いて離れなかったらしい。
そういえば、のこぎりは凄い人見知りなんだっけ。
戦闘では前衛で敵を殲滅する役って聞いたけど
この様子ではそうは見えなかった。

『あー、まぁその……よろしくな？』
『ぅー……』

声をかけると涅槃雪の背にさっと隠れてしまった。
苦笑して頬を掻く。

『す、済みませんネイトさん。のこちゃん？』
『いや、いいって』
『ええ、でも……』

その時、一瞬だけ顔を出していたのこぎりと視線がぶつかる。
正直、嫌われてるのかな？とも思っていた。
なんやかんやでお邪魔してるし、男性は苦手と聞いていた。
だがそうじゃなかった。
その程度のものじゃなかった。
嫉妬と憎悪。
それと……恐怖と寂しさ。
そんな目だった。

『――……』
『大丈夫よ、私が一緒にいるわ。だから、ね』

のこぎりの視線に少し息を呑んでいる間
そう言って、涅槃雪はのこぎりの頭をあやす様に優しく撫でた。

『ん……』

すると、のこぎりはまるで猫の如く気持ちよさそうに目を細めた。
その光景は、家族だからこそ見せる表情なのだろう。
すぐ傍に居るのに、彼女達に凄い隔たりを感じた。
だからだろうか

『あ、あのさ。俺もしてみていいかな？』

そんなことを言ってしまったのは。

『え、えっと……それは』
『俺もちょっと、仲良くなりたいかなって』

逡巡する涅槃雪に大丈夫と自分に対して言い聞かせるような声で応え
はっきりとした返事も聞かずに無造作に手を伸ばす。

チッ

『ッ――』
『ネイトさん！？』

一瞬だけ引いた手をまた伸ばす。
指先に走った痛みからして、多分ぱっくり切れてるだろう。
それでも

『――あ』
『これ以上はいけましぇぬ。“斬って”、しまいましゅるゆえ』

ふっと身体を引いて手の届く範囲から逃れてしまった。
そしてまた涅槃雪の後ろに隠れてしまう。
さっきよりも一段と早く、より怯える様にして。

『…………』
『ネイトさん、見せてください！』

戻した手を涅槃雪が掴む。
が、

『いや、いい』

もう一方の手でそれを押さえた。

『この程度、自分で診れるさ』
『――……』
『大したことはない、女の子の髪を触っただけなんだから……俺が逆に失礼だったかな』

そう言って、笑って斬られた手を軽く振る。
血は全く出なかったが、思い切り強く親指で押さえてただけだ。
正直やせ我慢だった。
それでも

『だから、悪いのは俺で君は悪くないよ』
『……斬ったのはのこでごじゃりましゅる』

その時ののこぎりは意外そうな顔をしたが
すぐに、ぶつぶつと涅槃雪の後ろでボソボソと呟いていた。
涅槃雪も腑に落ちない表情をしていたが、それでもこっちの意向を呑んでくれ何も言わなかった。
そんな二人に、自分はまた苦笑したのを覚えている。

そう、そんな姉思いの妹達を彼女はたくさん持っている。

「恨まれてるかな、やっぱり」

あの時でさえ、姉を取られるのだと警戒して
拒絶されていたのだ。
現状は、まさしく盗ってしまったようなものだ。
特に、のこぎりには会ったら殺されるかもしれない。

まぁ、俺だって彼女達に言いたいことはある。
結局の所、何も行動しないが為に長いこと涅槃雪を暗い座敷に押し込めてしまったことは
彼女たちの罪だと思っている。
それが、絶対に出来ないことだと分かっていたとしても。

「けれども……そうだな」

いつかまた、こんな桜の花を見ながら彼女たちと分かり合える時が来たら。
そんな素晴らしいことはない。
そう、彼女を後ろから抱きしめて思った。