ENo.3330 ネイト・グラスウォール

「はっ……はっはっ……」

山道をひた走る。
初めて来る山に自殺行為も甚だしいが
今は形振りを構っていられない。

「…………」
「ごめん、な……雪……もう少し、辛抱してくれ」

相変わらず何も言わない彼女は
今、俺の肩に担がれていた。
速い移動と言うのが絶対に無理なためこうする意外方法がない。

「くそ、くそ、くそっ！」

息を突く合間に毒づきひたすらに走った。
兄妹とは既にはぐれていた。

どうしてこんなことになったのか。
それは単純明快。
自分の油断からだ。
雪が久しぶりに話してくれたことで嬉しくなり舞い上がった。
その時の恐ろしいまでの万能感。
何が起きても大丈夫だと根拠のない自身が膨れ上がった。
どんどん先に進める気がした。
そして、兄妹が止めるにもかかわらず山に入ってしまった。
またすぐに超えられると思った。
彼らは一日待とうといった。
だが、俺は出来ると思い込んでいた。
何とかなる、絶対に……と。
そして、日が暮れてしまうと最悪な事態が起きる。

山中での獣との遭遇。

そこに現れたのは二頭の熊だった。
白と黒の模様がある。
本で読んだことがある、パンダとか言う熊の一種だ。

「逃亡不可能ッ！！」

出会い頭、ヤツラはそう叫んだ。
鳴き声、ではない。
何かの言葉だろうがよく分からない。
なんだろう、山岳地帯とか、パンダ専用の言語だろうか。
まぁ、ニュアンスは伝わる。

『ぜったいに逃がさねぇ！』

程度の内容だろう。

「ねーいとくーーーん？」
「……とりあえず、撤退を」

いい笑顔で何か言いたそうな兄。
しかしそんなことに時間を費やしてる余裕はない。
反転し、元来た道を戻ろうとする。
そこまでは進んでないはずだと。
しかし

「逃亡不可能ッ！！」

巨体に似合わず軽快なフットワークで斜面を蹴り戻り道の前に立つもう一匹のパンダ。

「くっそ、デブの癖に軽いフットワークしてやがるな！」
「とりあえずどーする？」
「突っ切るしかない、前の奴は脇があいてる」

今回りこんできたやつは、逃がさないとばかりに警戒しているが前の奴は双でもなかった。

「俺が殿、お前らは先に突っ込んでくれ」
「逃げれんの？お前」
「逃げれる逃げれないじゃない」

涅槃雪の手を強く握った。

「逃げんだよ、絶対に」
「そっか、まぁそうさな」
「全く、勝手な言い分」

妹がため息をつく。
おーおー、悪かったな。

「とりあえず、出来るだけ本気でな、入る前の左右の幅からどうせ先も一本だ。下りた先で」
「了解だ。……早くこいよな」

そう言うと、兄は槍を片手に一気に脇を抜ける。

「…………」

妹はまだ何か言いたそうだったが、一息つくだけに留めてくれた。
時間的にも、こちらの気持ち的にも有難い。

「！？」

熊は行き成り突っ込んでくるとは思ってなかったのだろう。
急激な状況変化に身体がついていかない。

「はっ！」

呼気とともに笑いながら、兄はそのままかけていった。

「天宝曇ッ！！」
「なっ！？」

数秒送れてパンダが反応した。
しかもあれは

「マジックミサイル！？」

てっきり肉弾戦だとばかり思っていた。
こいつら魔法攻撃主体なのか！？
しかも、その誘導性はかなり高い。
放たれた光弾は山の斜面を這うように進んで、
駆け抜け行った兄妹達を追いかけた。

「……ちょーっと、きびしい。かな？」

先の方で追いながらマジックミサイルを乱射する片方。
もう片方は、今の特攻からこちらをさらに警戒したのか
急に飛び掛ってきた。

「ったく、俺も馬鹿だね。本当に」

態々残るか？
責任感じてってのもあるが。
まぁ、元々そう言う役目が多かったからな。

「んじゃ、鬼ごっこでもするかよ！」

半ばやけくそ気味に叫んで涅槃雪の身体を抱え上げた。
彼女は絶対に走れない。
ならこうするしかない。
恥ずかしい格好になっちゃったけど、許してくれな。
そう心で謝る。
そして、山道とは関係ない脇の傾斜に躍り出て、一気に駆け下りた。

と言うのが事の顛末だ。
自分の馬鹿さが呼んだ事態だが
腹立ちは理不尽にもでてくるらしい。
自分に対して腹を立てたところで何も変わらないと言うのに。

ガサガサッ

「！？」

くそ、もう追いついてきた！！
振り向くとそこには大柄な二つの影。

「逃亡不可能ッ！！」
「充電ッ！！」
「くっそ、何いってっかわっかんねぇよ！」

いつの間にかこっちに二匹ともきてやがる。
あいつらはやられたのか、逃げられたのか。

今は考えてる余裕はない。
予想外に近かったので剣を思い切りたたきつける。
しかし、ごわごわした毛の感触と硬い筋肉がそれを受け止めた。

「なろ、ヤッパリ体格あるじゃねぇか」

野生動物はコレだから手に負えない。
生身が既に人間以上だとか、相手とするには理不尽すぎる。
反転、すぐにまた斜面を駆ける。
走り際、雪から迸った魔力が斜面を隆起させパンダを足止めする。
ナイスタイミングだ！
こういうところで気が利くのは流石だなと思う。
反面、自分の所為で起きたこの状況に凄くばつが悪い。
しかし、この機会を逃す手はない。
魔力放出の反動につんのめりそうになりながらも、一気に差をあける。

「天宝曇ッ！！」
「！？」

ゴッ！！

そこにパンダがマジックミサイルを放った。
魔弾は弧を描き、こちらに直撃するのではなくその先の地面に着弾、周囲が爆ぜた。

「がっ」

爆風に激しくげ出され斜面を滑るように落ちる。
まずい！

「雪ッ！！」

離しそうになる彼女の身体を無理矢理引き寄せると
頭を覆うようにして片腕を回し密着する。
もう片方の腕は無理矢理山の斜面を掴む。

「ぎっ！！」

止まらず、指が裂け、爪が割れる。
そして、途中出っ張り部分まで勢いを殺せず滑り落ちそのままそこから跳ねた。

ドシャッ．．．

落ちた先、そこは漸く傾斜が緩やかになった場所だった。
落下は止まったが、衝撃で身体は動かなかった。

「……ゆ……」

声が出なかった。
ヒューヒューっと鳴る自分の呼吸音がやたらに大きく聞こえた。
動かなきゃ、動いて涅槃雪を抱えて走る。
走って、逃げなきゃ。
その思いだけがただ走るばかり。
身体の方はと言うと、全く動かなかった。

パキンッ、ジャリッ

ゆっくりと、だが確実にパンダたちの近づいてくる気配を感じる。
もうダメなのか、そう思った。

「…………」

しかし、その時はこない。
長い静寂が横たわる。
こちらは動こうにも動けなかった。
ヤツラの好きにさせるしかない。

「確定的無様ッ！！」
「確定的無様ッ！！」

なんか叫ぶ声が聞こえる。
意味は分からないが嘲っているのは分かった。
悔しさが込み上げる。
しかし、自分は何も出来ない。
痛みにもがいて指先すら動かせないのだ。
そしてそのうち

「完全勝利ッ！！」
「完全勝利ッ！！」

叫ぶと同時、帰っていくのが感じられた。

「なん……だった……だ……」

全く分からない。
一つだけ分かったのは、
まだ生きてるってことだ。

何とか動けるようになるまで待ち、山を下りる。
雪にも幸い大怪我と言うほどの怪我はなかった。
下りてすぐの場所、そこには妹が居た。
兄は？と尋ねると指を指した先で眠っていた。
かなりの疲れているようだった。
あちこちに怪我もしているようだ。

「そう、か」
「まぁ……もういいですけどね」

待っている間に怒る気も薄れた、とばかりに鼻息で溜め息を大きく噴いた。

「いいのか？」
「なんか言ってほしいんですか？」
「いやそういうわけじゃ……」

こっちだって疲れている。
文句を聞く余裕なんかない。
でも、俺には聞く義務があるし
こいつにはそれを言う権利がある。
だから、妹の次の行動を待った。

「…………」

長い沈黙があった。
さっきのパンダのときより長かったかもしれないと、そう感じた。
そしてずっと続けていた考える仕草の後、妹は一言だけ告げた。

「確定的無様」
「……あー、はいはい。完全敗北だよ」

両手を挙げて降参をする。
ちょっと、救われた気がした。