ENo.2192 ベネット・バルテル

　ドネスク以南、森の中

隔壁が破られてから15日目　　　

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　例え、空を見上げようと。
　こんなどうしようもねえトコじゃあ、星の一つも見えやしねえ。

　昨日、ローランドの過去を聞いた。
　あの男……たまに、すげえ暗い目をしやがるからよう。
　ちょいと後ろ暗いモンが有るだろう。
　踏んではいたが、実際に聞かされるのは慣れねえモンだ。

　だが、問題はソコじゃねえ。
　アイツ。聞き捨てならねえ事まで、あっさりと吐きやがった。

　ひびを塞ぐ手段が有れば、最悪そいつに手を出さないとも限らねえ……だとよ！

　おいおいローラちゃん、そりゃあないぜ。
　アンジニティに居る奴は、大なり小なり自分勝手だけどよう。
　ヒトサマのささやかな夢まで崩して掛かるたァ。
　そりゃあ、あんまりお勧めしないべさ。

　目的もなく、何かを行うヤツなんて居ねえだろう。
　オレにだって、アンジニティから脱出してえ”理由”が有るから、ンな事いってんだ。

　“とある兵器技師と、彼の製造した少女人形の追放劇”

　瞼を閉じりゃよう。
　思い浮かぶのは、ただ一つ。
　統御の世界“シルバリ”より、アンジニティへと落とされる瞬間の出来事。

　もう、3年は経っているってのに。
　アンジニティへの門が開かれた、あの瞬間の恐怖が忘れられねえ。
　オレの全技術が否定された、あの瞬間の絶望が離れねえ。
　オレの全てが、アンジニティへ廃棄されると決まった、あの瞬間の出来事が。

　それは、手塩に掛けて作り上げた人造人間の、動力源を入れた瞬間の出来事。
　写真でしか見た事のねえ、親方の孫娘が瞼を開いた瞬間……。
　常世との、今生の別れになっちまった。

　あの人造人間を、アンジニティへ落とさぬ為だけに。
　アイツを突き飛ばした瞬間の”感触”が、この腕から、この指先から抜けきらねえ。
　人肌の温みと、生命に充ち満ちた弾力と、衣擦れと。

　オレを見据え、オレに向けてへを伸ばし。
　にっこりと、人懐かしげに微笑んだ、あの表情が……。

「――ったく、らしくねえなあ」

　昔のことだ。
　記憶を押し殺し、震える指で頬を叩く。

　脱出してえ！　なーんて言っちゃあいるけどよう。
　別に、アンジニティは嫌いじゃねえよ。

　この腕さえあれば、望まれるままに武器を仕立て、喰っていくにゃあ困らねえ。
　元々が流れの便利屋だ。ここで一つ、腰を落ち着けるのも悪かねえ。
　ゴミの掃き溜めみてえな場所だがよう。
　掃き溜めの中の、僅かに耀く”技術”を解析して生きるのだって、オレには苦にならねえわ。
　この腕さえ磨ければ、後は何処だろうが、何だろうが構わねえ。

　だから、今でも言える。
　自信を持って。
　このオレが選んだ道は、何よりも最良であったと。
　アンジニティに堕とされようと、何一つ間違えてはいなかったと。

　だけど、なァ。
　ちょいと事情が変わってきた。

　オレは神じゃねえ。
　人の手で、完璧なモンを作れるなんざ、まずねえんだ。
　アンジニティでもよう、日課みてえにロボを組み立てていて、ふっと気付いたワケよ。
　オレの組み上げた最高傑作に、致命的なバグが存在する……ってな。

　アンジニティに堕とされりゃあ、どうやったって逃げられねえ。
　判ってこの世界に落とされたンだ。
　治せるとは思わねえ。
　見殺しにするしかねえと、諦めていたさ。

　だけどよう。
　脱出できるってンなら、話は別なんだ。
　オレの作ったアイツが、苦しんで、独りでに壊れていくのを見過ごせねえ。
　ほらよう。親がガキを見て思うだろう。
　コイツだけは――絶対に、助けなけりゃいけねえ！　ってよ。

　オレには、お前が何て呼ばれているのかも判らねえ。
　どの分割世界に属し、どんな生活をしているのかも、一切把握しちゃあいねえ。
　知っているのは、設計資料とお前の顔、たった二つだけだってのによう。

　この、世界の果てすら見えねえ分割世界の、何処に居たとしても。
　お前を見付けだして、出逢わなければいけねえ。
　邪魔する奴が誰であろうとも、オレの技術力ではっ倒して。
　お前の元へ行かねばなんねえ。

　軍手の下。機械油で黒ずんだ、傷だらけの指。
　強く、強く、握り締めて。

「今も、お前が微笑んでいるのなら。
　オレは絶対に、その笑みを絶やしたくはねえンだ」