ENo.3330 ネイト・グラスウォール

フリストの街を出たすぐ南は平原で、南西は森林地帯が広がっている。
平原は東に少し傾きながら続き、その先には山が見えた。
南西の森林地帯と南東の平原、山岳地帯は別の道になっているようで
その間には海が横たわっている。
森林地帯ははるか南まで続いているようで海越しに見ても其の先は見えなかった。
とりあえず、平原が続いていると言う理由で俺達は南東に進路を取った。
森林を突き進んでいけるほど、装備や能力に自信はない。
かといって、山に滞在できるわけでもないんだが……。
まぁ、そこは山がすぐに終わってくれると信じるしかないな。

「……にしてもこっち、行き成り厳しいな」

山までの道中で、兄が肩を回しながらダルそうに言う。
街を出た直後にいつも通り動物に襲われたのだ。
それにしてもここの動物は凶暴すぎる気がするな。
いや、人型も居るけども。
圧倒的に動物、それも猛獣のほうが多い。
しかもそれが、一日に必ず一回は襲ってきやがる。
何に飢えてんだかほんとに。
……って、この世界なら飢えも仕方ないか。
本当に、何もない世界だし。

とまれ、その襲ってきた動物が半端なく強かった。
象みたいだったが牙が長くてもっと巨大だったな。
全身に毛も生えてたし。

そんなやつがいきなり二体も突っ込んできたのだ。
休息を取った直後とはいえ流石に堪えた。

「さすがに厳しかったな、象とは……」
「あれは、多分マンモスですよ」

と、俺の相槌に妹が訂正を入れた。

「マンモス？それって、もういない種類の動物だろ？」
「こっちではいる、と言うことで」
「そんなもんなの？」
「そんなもんです」

なんとも適当なことだな。
まぁ、しかしだ……絶滅した動物なら
ぱっと見見てても分からなかった、と言うのも頷ける。
妹が何で分かったのか、については釈然としないのだが。
そこはそれなのだろう。

「まぁ、そのマンモスだったとしても……こっち側、相手が強い気がするな」
「それは確かに」

その点については妹も納得らしい。
どうも、この東側に来てから襲ってくるやつの強さが上がっている。
砂地のタコや、ウミネコもそうだ。
これは、ひょっとすると進めば進むほど凶暴な動物がすんでるんじゃないのか。
そんな気さえしてくる。

「……考えても仕方のないことか」

やれやれと首を振る。
気がつくと山が大分近くなっていた。
もう半刻もすれば登り始めることになる。
西の方……右側には海を挟んで森が見える。
フリストの街から南西に伸びて来たあの森だ。
どうやら海を挟んで並進しているらしい。

「……険しくなければいいが」

そこまでの高さは感じないが、不安を拭い去ることは出来なかった。

山自体はそこまでの大きさはなかった。
距離も大したことはない。
アップダウンが多少あった程度で済んだのは僥倖だ。
道が狭かったり多少の険しさはあったが、
今では喉元を過ぎた話だ。
山を降りるとそこは砂地になっていた。
先の方にまた山が見える。

とりあえず、今日のところはここまでとなった。
降りた直後に、また襲われたからだ。
この世界では椰子の木も襲ってくるらしい。
てか、植物族が襲ってくるのは精神上よろしくない。
戦うたび、恐ろしいほどの焦燥感を煽られる。
そして、終わり際に兄に心配した声をかけられるのだ。
関係ないのはわかっている。
分かっているが、疑心暗鬼はなくならない。

「ん、もういらないのか？」

どうにも食物の飲み込みが遅い。
これを涅槃雪の“もう食べられない”サインと取る。

「食べないと、疲れも取れないぞ？けど、食べ過ぎても身体は壊すか」

基本的に、経口摂取で栄養を取っているが
この状態でのそれは明らかに量が少なく感じる。
こっちがどれだけ与えていいか分からないのも問題ではあるが。

「とりあえず、終わったなら休まないとな」

寝るにはまだ早く感じるので、
岩場に腰を下ろして背を預ける程度になるのだが。
椰子の木が動いて襲ってくるとなると、
おちおちそこら辺の木に背を預けるのは怖くなる。
岩が動き出して、って言うのも考えられるが
そこまでいったら本当にもうどうしようもない。
そう言うやつが見つかるまでは、岩で対処しよう。

涅槃雪の隣に座りなおし彼女と同じ方角、
明日向かう山のある南側を見る。
今日の相手もまた強かった。
相手が何かって言うのを抜きにしてもかなり削られた。
これから先、どれだけの強さの敵が襲ってくるのか。
正直想像がつかない。
そう考えると無理に移動しなくてもよかったんじゃないか、なんて思えてきた。
涅槃雪が傍に居る、それだけでも十分満足できてしまっている。
本当は、雪がこんな状態から何も好転せずにそのままの可能性がある以上、
そんな考えはしちゃいけない。
彼女が元に戻るように、それよりもまずどんな状態か知るために
この現状を変えなければいけない
けれども……

「…………」

スッ、と白い手が触れた。
膝に肘を乗せて手を組み頭を抱えるようにして額の前に置いていたので
正直何が起こったのかわからずビクッと身体が少し跳ねた。

「え、な……」

彼女から、ここまで明確な意思を示してくれたことはない。
やんわりと手に手を重ねられ、呆けたようにその顔を凝視してしまう。
未だ、まるで精気が無いように表情は無かった。
瞳は虚ろと言うよりも写した物を理解できない、そんな感じだ。
暗いと言うよりは透き通っていて、ある意味純真さを感じられる。
けれど、意志の光は無い。
いつもと変わらない彼女だった。
しかし

ね　　い　　と　　さ　　ん

その目をゆっくりと弓の形にすると、
昔の記憶にあるころより大分白くなったその唇は
しかし、あの頃と変わらない全てを柔らかく包み込むような
そんな笑みを形作りながら……確かに、そう動いた。

「……！」

俺が、分かる？
俺が分かるのだろうか？
雪は、俺が

「雪……俺が……」

壊されてなんか、なかった。
彼女は、ココにちゃんと居たんだ。

「良かった、雪……本当に」

震えながらその痩せた手を握り返し
ゆっくり引き寄せるとしがみ付くように抱きついた。

「良かった……本当に……」

久しぶりに抱きしめた彼女は前の印象よりも凄く華奢で、
あまり強くしたら折れてしまいそうな、そんな気がした。
それでも、今ならしっかりと感じられた。
涅槃雪がそこに居ることを。

コレが、一時の気の迷いが見せた幻想だったとしても。
それでも……それでも良いんだ。
ちゃんと、傍に居てくれるんだ。
そして、肯定してくれた。

なんだ……俺はこんなことにも気付かなかったのか。
彼女は最初からちゃんと一緒に居たのに。
一人で勝手に考えて、から回って。
今、ようやっと認識できたんだ。
彼女は、今もココにいるってことを。

だから俺は、進まなくちゃいけない。
これからも、彼女と居るために。

「どうした？なんか機嫌よさそうだな？」

次の日、兄が声をかけてきた。
自分でそんな気は無いのだが。

「そうかな？」
「ええ、そう感じますね」

妹にまで言われる。
と言うか若干気味悪がられてる気がするな。
全く、酷いヤツだ。

「まぁ、そんなことより行こうぜ」
「お……おう？」

手を引いている涅槃雪に笑いかけながら言うと
兄が凄い不審そうな返事を返してきた。
今はまたもとの無表情に戻ってしまったが、
それでも彼女には伝わっていると信じよう。
……確かに、機嫌がいいのかもな。

「さ、あの山だな。少し遠いが」
「そうだなー。今回もまた距離は短いといいけどな」
「まぁ、何とかなるさ。昨日の山よりもさらに低そうだしな、いけるさ」
「「……？」」

二人が疑問符を浮かべ不思議そうにこっちを見た。
まぁ、単純だといわれても良い、安心できたから。
もっと頑張らないとな。

しかし、全ての物事は気を抜いた一瞬が大抵命取りとなる。
自身の慢心がどれだけのことを引き起こすのか。
それは身をもって知ることとなるのだ。