ENo.3195 ありす＝ブランク

それが善だったのか、悪だったのかは問題ではない。
問題なのは……――

◆◆◆

「……あぁ、いたいた」

タルタスの街を発ってから、どれくらいの日数が経っただろうか。
次の目的地であるフリストの街を目指し、
ギルドのメンバーと山岳地帯を進んでいるところで……
最近頻発しはじめたある問題に対して、
またしても対処するハメになっていた。

「やれやれ……顔でも洗いたいのかい？　アルアン」
「…………」

山の荒れ道に僅かに佇む、太く、しかし弱々しい雰囲気の枯れ木。
その傍らに据えられた水瓶をじっと覗き込む影に、
ため息とともに声を投げかけた。

アルアン。アルアン・ペチカ。

先日の召喚実験で偶然召喚してしまったこの存在だが……
偶発的な召喚の影響なのか、それとも生来の性質によるものなのか……
前触れもなく、気付いた時にはフラフラと近くから離れていて、
迷子になってしまっているという事態を度々引き起こしていた。

比較的分かりやすい風貌をしていること、
現在は山岳地帯に居るということも相まって、
見つけること自体はそう難しいことではない。
だが……街に辿り着いた後のことなどを考えると、
流石に放っておいてはいけないだろう。

「――罪」
「ん？」

そんなことを考えていると……
不意に、アルアンが小さく声を発した。

「それは罰を伴うもの。それは許されざるもの。
　それは越えていくもの。それは道しるべ。　　
　――どちらでもいい、どれでもいい」

つらつらと、普段とは異なる滑らかな調子で
アルアンが言葉を並べていく。

「償うということ。
　それは自分を変えていくこと。それは罪に向き合うこと。
　それは罪を忘れないこと。それは罪の下に生きていくこと。
　どちらでもいい、どれでもいい」

――覚えがある。

幾度かコミュニケーションを試みて分かったことだが……
アルアンは、会話を投げかければ応答はするものの、
基本的には自ら喋ることは殆どしない。
そして……

例えば、何かの問いかけをした時。
例えば、何かの選択肢を与えた時。

その応答として、このような奇妙な会話をする傾向にある。

「見方を変えるということ。
　それは新しく考えること。それは解決の為の手段。
　それは逃げ出すこと。それは解消する為の言い訳。
　どちらでもいい、どれでもいい」

今、アルアンは【誰か】に問いかけられている状態にある。
それが誰なのか、何処にいるのかは分からない。が――

「忘れるということ。
　それは新しく積み重ねること。それは先を見る準備。
　それは過去を捨て去ること。それは過ちからの逃亡。
　どちらでもいい、どれでもいい」

誰かからの確かな意図を感じるその問いが。
目を背ければいいその問いかけが、心に刺さる。

「……止めてほしいな、アルアン」
　
予想よりも小さな――掠れた様なその言葉に、
アルアンの頭がゆっくりと水瓶から持ち上がり、
その三つの目がこちらをぎょろりと見つめる。

「――……赤い髪の女の子。
　感じるのは安らぎ。幸せになって欲しいという願い。
　感じるのは過去の後悔。過去の過ち。
　繰り返してはいけないという恐怖。
　罪をあらがえるのではないかという欲求」

ズキン

「――……赤い髪の男の人。
　感じるのは落ち着き。苦しくも前進することの憧憬。
　感じるのは過去の嫉妬。過去の自己からの蔑み。
　ああなれたらという欲求。ああ在れたらという投影。
　届かなかったことへの願い、浅ましさ」

ズキン

「――……黒い髪の男の人。
　感じるのは楽しさ。日常の温もりと穏やかな気持ち。
　感じるのは過去の改変。繰り返さざる罪。
　かつてを今と重ねる後悔。変われたらと願った投影。
　自分が――」

「止めて！！」

叫び。
思わず上げてしまったその声に、自分自身が驚く。

だが――

「人間を欲することは、
　人形であったから救えなかったとする悔悟。思い込み。
　人形になりたいのは、
　人間の心があったら救えたのだとする悔悟。なすりつけ」

歌うように。紡ぐように。

「――あなたは、見方を変えている。逃げるために」

抉るように。引き裂くように。

「――あなたは、罪を忘れている。逃れるために」

それは、思い出さなければいけない言葉。
それは、思い出してはいけなかった言葉。

逃げることは許されないと。
逃がすことはありはしないと。

怨嗟と呪いと嘲りと。悲嘆と悔悟を言葉に乗せて。

「ねぇ――与えられた願いをねじ曲げたのは、
　あなたの心？　あなたの歯車？　あなたの願望？
　あなたは本当は……
　
　　　　　　　彼女を　　　　　　●●して、　
　
　自分だけは　　　　　　幸せに　
　

　なりたかったんじゃ　　　　　　　　ないの？」

烈火の如く。
紅蓮の色が手足で燃え上がり……突き動かされる様にして
伸ばした手が、アルアンの首を掴み、ねじ上げる。

――！！！

ギリギリと音を立てて首を締め上げる力に――
無表情を保っていたアルアンの表情が。
その口の端が。円弧を描いて吊り上がる。

――笑う。嗤う。嘲笑う。

首を締め上げられたまま、なすがままになっていたアルアンが……
そのまま、ずいっとこちらに顔を突きつける。

満面の笑みを浮かべて。
滴るような悪意を乗せて。
粘つく様な怨嗟を向けて。

「……ねぇ、ありす。やっぱり、あなたは変われていない。
　だって、あなたは願った筈。
　壊れる間際に。壊す間際に。そうでしょう――？」

アルアンの表情が……否、顔が変わる。

それは少女の顔。忘れられない、最初に気持ちをくれた顔。
それは老女の顔。忘れられない、最初に心をくれた顔。

「う、ぁ、ぁ――！」

それは自分の顔。真っ黒な笑顔に染まる、ドス黒い何か。

「あなたは、コレを繰り返さないと、そう願ったのでしょう？」

　
涙に歪む視界の中で、誰ともつかぬ笑顔が嘲笑う。

「ねぇ――おニンギョウさん？」

◆◆◆

後に――山中で気を失っていた……
否、活動を停止していたという自分は、
アルアンに背負われてみんなの所に戻ったのだと、話に聞いた。

アルアンの身体には傷一つついておらず……
その首にも、誰かが触れた痕跡すら見受けられなかったそうだ。

あれは夢だったのか、それとも現実だったのか。

ただ――

絶叫と哄笑の中。確かに、ソレを感じた。

――ぐちゃり

何かを潰した、その感触を。