ENo.1670 マルカート＝アクアリアス

「マリー様、御隠れになられてください！」

声高に私の名を呼ぶのはハーフエルフのメイドだった。
トレーニング道具や、或いは絵の具や、写真機といった趣味の為の品が散乱する大きな私室に私はいた。

どうした、と声にするより先に、メイドを取り押さえ入ってくる影があった。

「アクアリアス家の一人娘だな」

それはどちらかと言うと確信の気持ちが込められていた。

父は処刑されたと聞いた。
メイド達の処罰迄は私の牢に迄は聞こえなかった。
一人ぼっちの座敷牢、それでもすることは変わらなかった。
体力を鍛える事の出来る事をし、一人ぼっちのご飯を食べ、寝て起きて柔軟をしたりして。
食費は不味かったし、身体を動かす事以外、趣味は何も出来なかったが。

それでも、私の暮らしていたあの屋敷が、裕福さを除いて座敷牢と変わらない事を知り――私がよっぽど不自由であったことを同時に知った。

『混じり物は器用貧乏、そして平均化は弱体化である』

それは私の世界の常識であった。血が薄れる事は何よりもの悪であった。
異種族婚は蔑まれた。生まれたハーフはもっと蔑まれた。

私はクォーターであった。
母がハーフエルフだったのだ。
それでも母が好きだと、父は母を館に入れた。
正妻ではない。母は正妻になれない。なろうものなら、密かに殺されていただろう。父の親族からすれば、この異種婚は彼等の一族の血が3/4に薄れるということなのだから。

妾として受け入れた母。
そして形だけであることを受け入れた父の正妻。

私は館で生まれ、館で密やかに育てられた。
館から出ればいじめと差別の日々が続くことを知っていて、父は私に付属する家の権力が私に降りるまで私を護ろうとしてくれていた。

その父が殺されたのは、父が反乱をしたからであったらしい。
その理由は――私の自由

「……義母さん、ごめんなさい」
「いいのよ、マリー。パパが好きでしたんだもの」
「でも、私は――」
「血が、と今更言うのかしら。私の可愛い娘」

一度も社会に出たこともない、哀れな娘にどうか慈悲を。
二人の母は訴えた。
片方は死刑が、もう片方も立場を失うことが分かっている私の二人の母。
それでも娘はと訴えたのは――二人の愛した父が望んだ願い故なのだろう。

「いいだろう、その小娘に自由とやらを与えてやろう」

耳を疑った事は否定できない。

「だがしかし、彼女一人、何も法のない世界での事だ」

――其処こそが、アンジニティ。
――*――*――*――*――*――
この世界に追放されて、何日が経っただろう。
母が私に遺してくれた遺品は殆どこの手を離れ、幾つか残るのは――
追放される直前、母に指導され作った御菓子。
格闘技がやりたいと我が儘を言った私に縫ってくれた手製のグローブ。
父が私には黒がきっと似合うからと、見繕ってくれたエナメルのコート。

御菓子の半分を口に頬張り、甘い味と御別れを約して私は残り半分を入れた小さな包みを放り投げた。

――此れが何か縁を引き寄せてくれることを願いながら。

身体は大事だ。
私は格闘技くらいしか取り柄がないというのもあるが。
健康でない、というのはこの地では辛い事になるだろう。
母からの贈り物だった髪飾りを質に、返すつもりもないお金を借りて本を買った。
召喚術。それは元々は母の得意分野だった。
クォーターとはいえ、私もエルフの血を引くのだから全く出来ないことはないと信じたいけど。

この地は自由だが、だからこそ食料も生き方も自力で見つけなくちゃならない。
質に出来るもの、もうないからな。自由はない、肩身は狭い、評価されない、あの頃で唯恵まれていたのは優しい家族と、暖かいご飯だったのかもしれない。

唯それも、もうないんだ。
その覚悟は父も承知であったはず。
私に事前の準備があったわけではないけれど……

行こう。
此からは自分の足で生きていかなくてはならない。
自由というのは、そういうことだ。