ENo.760 イシュトロット

「ハルバウト卿とは結局直に話せてないなぁ」

　ミリアが窓辺に頬杖ついた体勢で、眠たそうに呟いた。
　首都で一週間に及ぶ国葬が終わったのが、つい先日。

「どういうつもりなんだろうな」

　壁に寄りかかってる灰髪の男ディックが、難しい顔で顎をなでている。
　この同僚はこう見えて何も考えてないので、ミリアはあてにしていない。

「おっさんの話だとあのジイさん、審議会では事情を話さなかったってさ」

　一見十代の美少年が、部屋に入ってきた。

「フィド。フォーエン卿に会ったの？」
「事実上の総司令をジイさん呼ばわりたぁ相変わらず色気がねえな、あいたッ！」

　思いっきり足を踏まれるディック。
　フォーエンはフィド... 彼女の叔父で、時々会うようだ。

「色気は関係ないだろ！
　...ああ。あっちとしても事情を知りたかったみたい。
　おっさんに気にいられてたもんな、うちのたいちょ」

　自身の薄茶色の三つ編みを弄っている。

「そうね。...どんな話を？」
「たいちょがサリアナ卿ぶっ殺したのかって」
「ぶっ...」
「フォーエン卿はそんな聞き方しないでしょ？
　まあいいわ。それで貴女は？」
「そうらしいって言っといた」
「他に何か言ってなかった？」
「んー。
　んんー？
　あ、そうだ。アンジニティ」
「へ？」

　ディックが間抜けな声をあげた。
　ミリアが目を見開いている。

「たいちょー見つけたかったら、アンジニティに行けってさ。
　そんなとこ行けるわけないじゃん、ね」

「貴女から来るなんて珍しいですね」

　身なりのいい三十前半の男が、ペンを止めた格好で座っていた。
　彼の屋敷の、整理された仕事場である。

「お久しぶりです、フォーエン卿。機会を頂き有難うございます」

　ミリアが畏まって挨拶をした。

「詳しい話を伺いたいと思っていたんですよ。
　なにしろ、あの子はああですし」

　天真爛漫な姪のことになると、この知将は困った顔をする。
　茶を用意した侍女が部屋から出て行った。

「サリアナ卿には確かに不可解な所がありましたが、
　アレイデン卿に斬り捨てられるほどの理由は出てきませんでした」

　ミリアの向かい席について、手を組んでいる。

「サリアナ卿をお調べになっていた、と？」
「ええ。先の王の方針は、知っての通り実力主義。
　私も貴族の生まれですが、戦績を上げて取り入ったのですよ」

　緑の瞳を細める。

「しかしサリアナ卿の場合は、
　名が知られる以前より人手が与えられていたようです。
　その後は難しい戦場をも潜り抜けて、ほぼ無敗を誇っていましたが」
「...パトロンが居た、ということでしょうか」
「そう考えるのが妥当です。が、これといったものは掴めませんでした。
　ただ、それを出来うる勢力というのも限られてきます。
　例えばアレイネル・ハルバウト卿」

　正午を告げる鐘が遠くで鳴り響く。

「......。
　残念ですけど、首都に帰ってから一度も会っていません」
「今はまだ、色々とお忙しいでしょうからね」
「はい...」

　ミリアが栗色の髪を耳にかける。

「フィドが言った通り、
　サリアナ卿を成敗したのはうちの隊長に間違いありませんよ」
「ほう？」

　ティーカップを持ち上げた手を止めるフォーエン。

「仇だと。サリアナ卿... いえ、サンドレアンと呼ばれた者を」
「...！久しく聞かなかった名ですね...」
「ご存知なんですか？」
「もう十数年になりますか...。彼女は処刑される筈でした」
「罪人...？」

　眉を顰めるミリア。

「......。頭がよく腕もいい武人だ、と聞いたものです。
　淑女からも人気がありましたね。
　しかし名のある貴族と同行していた折、
　敵の奇襲にあった彼らを見捨てた。当然、彼ら一派の反感を買って」
「吊るし上げられた...」

　頷く知将。

「元々女性ということで、活躍を妬む者も居たのでしょう。
　嫉妬とは恐ろしいものです」
「ひょっとして...... ドゥレキネン卿の一件では？」
「はい？ ...よくご存知で。公式な記録はあまり残っていない筈ですよ」
「...隊長から少し、聞いたことがありまして」

　下戸のアレイデンを酒の席に引っ張り込んで
　無理矢理聞いた話だったことを思い出し、苦笑を噛み殺すミリア。

「ドゥレキネン卿から離反した傭兵部隊に参加していた、と言っていました。
　元々傭兵部隊の隊長は、敵の動向から独自に奇襲に備えていたのだとか。
　その隊長については... どうやらサンドレアンのようですが、それ以上のことは」
「ふむ...。
　なまじ古い仲で問題がおこると、拗れますからねえ」

　わかったようにうんうん頷いている。

「結局の所、たいしたお話もできずに申し訳ありません」
「ああ、いえいえ。私は十分、いらして貰ってよかったですよ」

　詫びた女騎士にニッコリと笑いかける。

「審議の席でハルバウト卿が、アレイデン卿の世界追放を発表したというのは
　フィドから聞いてません... か」

　首を振った彼女を見て、困ったように眉を顰める。

「ハルバウト卿は、事情を断固として語りませんでしたよ。
　しかし、王とサリアナ卿の死に
　アレイデン卿が関与していることは誰の目にも明らかです。
　二人を殺害したのが彼だという噂も当然あります。
　あの場で例え事実が語られていたとしても、
　本人が既に居ませんから、噂を完全に否定することはできなかったでしょう。
　それで...」

　フォーエンの声のトーンが少し落ちる。

「ハルバウト卿を降ろそうという動きがあります。
　彼自身の身辺は問題ないと思いますが、
　彼の家族... 娘さんやお孫さんに危機が及ぶ可能性があるのです」
「！」

　ミリアが唾を飲み込んだ。

「それを知ってか知らずか、ハルバウト卿は二人を遠ざけました。
　弱みを側に置かないのは、いかにも彼らしい」
「残酷... ですね」
「そうですね。
　しかしアレイデン卿が居ない今、
　それが武人として最良であると私も思います」

　頭では理解できるが、苛立ちを覚えるのは女であるから、だろうか。
　娘らの気持ちを置き去りにしたやり方に、ミリアは拳を握っていた。
　そんな彼女を見て、

「アレイデン卿が貴女方をハルバウト卿の側に置きたがったのも、
　分かる気がしますね」
「...え？」
「貴女方は心底信頼されているんですよ。
　何があっても正しい選択をしてくれると。
　だからミリアさん、ご自身が信じる道を貫いてくださいね」

　キョトンとしてから、頬を染めるミリア。

「...なんだか急にプレッシャーが」
「はっはっ。人の気持ちを考えてないのは、彼も同じかも知れません。
　でも、ハルバウト卿との違いは人を信じているかどうか。
　そこが大きいですよね」

　ニッコリ笑う。

「ところで、フォーエン卿...」
「はい？」
「隊長を探したかったら、否定の世界を目指せって...？」
「ああ、フィドは肝心なことを伝えずにそんなことを。
　アレイデン卿の性格からすると、
　どうあっても彼が求めるものに忠実だと思ったまでですよ」
「まあ、何となくわかります...。でも」
「二度と出ること叶わぬ流刑地。そんなところへ行く理由がないと？」

　ミリアは黙ってカップを見つめている。

「そう... 世界から追放されたのですから、
　二度と親しい人間と会えるはずもない。そんな立場になった彼にとって、
　アンジニティは自分を追い込むのに最も適した土地だとは思いませんか？」
「......！」
「そういうことです」

　悲しげに微笑んだ。

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ムギュ。

「？」