ENo.729 リリコ・フリーセント

　本日も変わらぬ晴天。何とも清清しいものだ。
　足取りは軽い。街へと戻って宿をとり、久方ぶりにゆっくりと体を休める事が出来たが、それだけではない。
　同行者を募るべく報を飛ばしたその後、さほど間を置かぬうちに応答が有ったのだ。
　応じてくれたのは、拙と同じく転送門――先方の世界では「旅の扉」と呼ぶそうだが――にて異世界より来た男。名をオルテガというそうだ。
　拙の都合で迷惑をかけてしまうのでは、という不安は確かに有ったのだが、それよりも嬉しさの方が勝った。
　本音を言えば、やはり見知らぬ世界で独りで居るというのは寂しいものだ。祖国に居る時は、その役柄ゆえに常に人に囲まれ過ごしてきたせいでも有るだろう。

　簡単な身支度を整えた後、街を発つ。待ち合わせの場所は、スティルフより程近い平原であった。
　落ち合うには丁度此処が都合が良かったが為だが、周囲には特に目印になる様な物も無く、些か不安を覚える。
　暫し歩き、件の場所に着くも、それらしき人影は見当たらぬ。ひとまず小高い丘に荷物を下ろした。此処ならば、遠目からでも多少は見つけ易いだろう。
　しかし、件の男は斯様な人物なのであろうか。名前と簡単な紹介を交わしただけで、その人となり等は一切分からぬ。上手くやって行ければ良いのだが。

　しばらく待った所で、ふと背後に気配を感じた。
　恐らくオルテガ殿だろう。周囲に拙以外の人影は無いし、特徴は既に伝えてある。他の誰かが間違う事もあるまい。
　そう思い、振り返った所で――
　
　固まった。顔が熱を帯びていくのが分かった。
　男は目を見開いて固まる拙を見て、何とも不思議そうな顔をして居る。何故驚いて居るのか分からぬといった様相だ。
　暫し沈黙。

「……きっ」
「き？」
　喉の奥から絞り出したような拙の声に、オルテガ殿が小首を傾げた。

「き、ききき貴様何という格好をして居るのだ！」

　思わず剣を抜いてしまった。何故か光刃は出ておらぬが、それどころではない！
　オルテガ殿のその姿は、正に一糸纏わぬ状態、つまり何も着ておらぬではないか！　冷静で居れる筈もない！
「女性を前にしてその、それは、一体どういうつもりなのだ！　そこへ直れ！　拙が成敗してくれる！」
　言うが早いか、突然剣を抜かれ――とは言え、今は只の棒切れを持っている様にしか見えぬだろうが――斬り込まれ、オルテガ殿も流石に面食らった様だ。
　しかし大振りに振った拙の剣は、何に当たる訳でもなく、びゅんと空を斬るに終わる。
　無茶苦茶に振り回したとは言え、至近距離からの初太刀を、オルテガ殿はかわしてみせたのだ。
「待て、とりあえず落ち着いてくれ！」
「落ち着いてなど居れるものか！」
　続く二の太刀も、同じようにかわされる。身のこなしから相当な手練であることは明白だが、今は相手の力量を推し量る余裕は無かった。
　……幼少の頃に見た父上や祖父のそれならまだしも、会ったばかりの男の、その、あの、ええい、さて置く！
　ともかく、有り得ぬだろう！
　
「ちょ、ちょっとストップ、ストップ」
　鼻息荒く暴れまわっていた所で、不意に後ろから何者かに抱きつかれた。そのままくるりと後ろを向かされ、深呼吸するように促される。
　見れば、拙よりももっと小柄な、獣の面をした女性が拙を押さえつけているではないか。たいそう小さいその身の丈からは想像出来ぬ膂力でもって、拙の動きを封じて居る。

　流石にすぐさまという訳にもいかなんだが、何やら毒気を抜かれたのもあり、暫し後にようやく落ち着きを取り戻した。
　ううむ、あまりに、その、予想だにせぬものを見てしまったせいとは言え、我ながらあまりにも礼節を欠いた行動に出てしまったと思う。……オルテガ殿を直視する事は出来ず、結局背を向けたままで謝る事になってしまったが。
　……何となれば、父上と祖父くらいしか、男性の裸というものを見たことがないのだ。元の役柄、周囲には男ばかりが集まっておったものだが、当然着替え等は別所であったし、何より全裸でうろつく事など有る筈もなかったし。
　待て、そんな事を抜きにしても、目の前に突然裸の男が現れれば、女であれば誰だって――
　いや、もう置こう。考えたくない。
　しかしながら、拙を圧倒した獣人の女性――名をレフェカというそうだが、彼女にも感謝せねばなるまい。互いに事も無く済んだのは、レフェカ殿のお陰だ。

　話をする分では、双方共に何とも人柄の良い人物であった。
　旅は道連れ。レフェカ殿にも同行して貰えると決まり、内心安堵したのは言うまでもない。オルテガ殿は人間の身でありながら未知なる存在だ。二人旅ともなれば、どう接して良いのかも分からぬ。
　……そもそも、あのままでは決裂していたであろうが。
　レフェカ殿はともかくオルテガ殿とは背中越しでしか話せておらぬし、慣れるまでは面と向かって話をする事は出来そうにないのが気掛かりだ。慣れて良いものかどうかは、また思う所があるのだが。
　しかして旅仲間が出来たのは、素直に喜ばしい事だ。見目はどうあれ、心細い思いをせずに済む。
　全てを失ってから、まだ四日しか経っておらぬのだ。やはり、何か拠り所となるものを欲している。拙とはかくも弱い存在かと思うが、やはり本心には逆らえぬ。
　
「そうだ、オルテガ殿」
　三人で暫し今後の方針等を交えつつ話をした所で、ふと気付き、一つ提案をする事にした。
「すまぬが、道を行く時は、拙よりも前に出て歩いてはくれまいか」
　拙の言葉に、何故かと問いが返ってきたが、理由は察して欲しい所だ。

　何となれば、会話の際に振り返って前を見るよりも、後ろから尻を見ている方が、幾分ましだからである。