ENo.3330 ネイト・グラスウォール

一夜明け、改めて周囲を調べる。
比較的広い場所のようだが、特に越えてるわけではないらしい。
あるのは砂ばかり。
東には何もなく、南の方角に向かって幅が狭くなっている。
其の先に建造物。
どうやらアレが新しい“街”、らしい。

とはいえ、この世界のそれが本当の意味で“街”なのか甚だ疑問は残るわけだが。
産業や交易が発展してるわけでもなく、特産があるわけでもない。
人はいるが、それはほぼ全て流れ者で殆どが居付かない。
そして、治安は劣悪。
あるのは雨風が凌げる建物くらいだ。
後、野生動物の気配がないことくらいか。
それらに襲われる心配はないな。

ともあれ、“何もないよりはまし”程度な……山小屋みたいなそんなイメージだ。
一応、商いをしている者も居るには居るから補給も出来る。
それに一日だけでもしっかりした休息を取れるのは大きい。
これから先も長いのだ。
休める時に休まなければならない。

「まぁ、助かったかな」
「本当だな」

荷物の重さを確認しながら呟くと、
横から兄が相槌を打つ。
既に、物資は尽きかけていた。
食料がもう殆どないのだ。
タダでさえ少ない食事が、全く無くなる所だった。

「結構な距離移動したしな、早く着いて今日くらいはゆっくり休もう」
「同感だな」

強行軍の疲労で重くなる足を砂に取られつつ
兎に角その街に向かうことになった。

「なぁ」
「……なんだ？」
「これは街かな？」
「さぁ、ね」

尋ねる兄に、俺も曖昧に答えざるを得ない。
街としての体裁はそれなりに整っている。
が、しかし……

「…………」

砂を踏んだ靴が立てるジャリッと言う足音が響くほど
この街はシン、と静まり返っていた。

「なんだか、薄気味悪いな」
「街全体でグルに、なんてことはないでしょうか？」

不安なことをいう兄妹。
ありえないこともないが、
一応奥の方に俺たちと同じ流れの者達も見える。
無事な所を見ると、多分大丈夫なんだろう。
まぁ、向こうもかなり挙動不審っぽいが。

「まぁ、何とかなるだろう。今日は一旦解散して別行動にするか？」
「そうか、分かった。明日の朝集合ってことで良いか？疲れた」
「ああ、そのつもりだ」

このままでは何も始まらないので別行動を提案する。
店などもあるかもしれないし、そう言うのを探すなら手分けした方がいいと言うことだ。
向こうも快諾、相当疲労がたまっているらしい。
まぁ、昨日のウミネコがまた飛来してきたのだから無理もない。
しかも、今回は２匹同時だ。
タコは居なかったが、なんか尊大な物言いをするだけの力はヤッパリ持ってるもんだ。
追い払うことは出来たのだが、こっちもボロボロな状態だ。
結構危なかった。

「そうだな、補給などは良い物があったらその限りじゃないが出来るだけ明日にして今日は早く休もう」
「ああ、それが良い。それじゃあな」

こっちから出した提案に軽く手を上げると、
兄妹は疲れた足取りで街の西側に向かっていった。

「さてと」
「…………」
「俺たちも、もうちょっと歩こうか。そしたらゆっくり休もう」

返事を期待しているわけではないが
こうやって話し掛けるのが完全に癖になってしまった。
話し方としては明らかに優しい口調だと、自分でも思う。
でも何故か自然とそうなってしまう。
病人として過保護になっているのだろうか。
それとも、また失いたくないが為の、弱さが出てるだけか。

「……そんなことはねぇ。行こう」
「…………」

自分の考えを自分から言葉で否定し、
中央から東よりの道に入っていく。

道幅はそこまで大きくなく
中心から一歩左右に踏み出せば壁に手が付くくらいだ。
そこで、漸くこの街の中にも人が居ると言うことが分かる。
ここまで建物が近いと、中からは人の気配や衣擦れの音がかすかに聞き取れるのだ。
その様子は、どうやら警戒はしているが何かを狙って押し殺していると言うわけではないらしい。

「……ふぅ、やれやれ」

全くの無人だったり、こちらに対し何かを狙っているわけではないと言うことが分かり
幾分緊張がほぐれ、溜め息と呟きが漏れる。

程なくして、INNの看板が掛かっている建物を見つけた。
まぁ、掛かっていると言うよりか掛かっていた、と言うべきだろうか。
壁に掛かっていたんだろうが今はかけられる部分はなく、
下に立てかかっているといった状態だ。

「…………」

不安を覚えながらも、その扉を開く。
ギィイィ……と、使われてない扉特有の軋んだ音が響く。
中は酷い荒れようだった。
案の定、誰も居ないようだ。
いや、かつてはいたのだろう。
そして、人自体は今も居るらしい。
つまり、人の気配はするが管理する者が出てくる様子はない。
空き部屋を流れ者達が好きに休息に使っているのだろう。

「それはそれで、やりやすいか」

カウンター奥から部屋の鍵らしいものが見つかる。
どうやらこの建物の不文律らしく、
この中ではある程度の秩序が守られるようだ。
空いているであろう部屋の鍵がそこにあることがその証拠だ。
今、ココにない鍵の部屋は誰かが使っていて休息している。
その間はお互いが不可侵なのだ。

適当な鍵を取りそこへと向かう。
一歩踏むたびに床板がギィと嫌な音を立てるが
新参が来たことを告げるような音が出ても
何もアクションが来ない辺り先程の解釈は間違っていないらしい。

部屋に着き鍵をはずして戸を開ける。
ここでもまた扉が嫌な音を立てるが、もう気にしない。
まぁ、回りの迷惑にならないように出来るだけ小さくするに越したことはないが。
入るとそこには簡素な寝台が一つとぼろい毛布が一枚、
テーブルと椅子が一つあるだけだった。
そこそこに誇りが溜まっており、そう何度も使われるものではなく
常に管理されているものではないことが分かる。
けれどまぁ、今はそれで十分だ。

「ふぅ、取り合えずは一段落付けそうかな」

涅槃雪を引き入れ鍵をかけると漸く安堵の息を漏らした。
何もないが、完全にないわけではない。
これだけあれば十分だ。
うえに、余計な干渉もない。

「疲れたな、ゆっくり休もうか」

引き寄せて背中まで手を回すとぽんぽんと二回ほど軽く叩いた。
彼女はお嬢様だったからな。
冒険者をしていたことがあったとはいえこんなに歩いたことはないんじゃないだろうか。
自分の結界内にいつでも領地を持てたみたいだし。
そう考えると、相当弱ってるんじゃないかと思えるのだ。

寝台まで手を引いて傍まで連れて行き軽く身体を押して縁に座らせた。
その後、履物をはずし衣服の帯などを多少緩めてから
膝裏と首後ろに腕を通して腰を軸に彼女の身体を寝台に横たえる。
こういう動作は、本来受動側が能動側に重くならないように力をかけたりする。
しかし、彼女の場合はそこはされるがままなので非常に重く感じる。
介護が酷く大変だったり眠っている人物や死体を運ぶのが重労働なのはこのためだ。

「よっ……と、どうかな？」

相変わらず、返事はない。
けれども今はそれを良しと勝手に判断して進めるより他はない。
ダメだった場合は、こっちでそれを早い段階で見つけてやらなくてはならないが。

「よし、とりあえずコレで楽になったかな？」

足を伸ばさせ片手を鳩尾部分に乗せ毛布を被せる。
椅子を運んできてその横に座ると空いた手を握る。
まだ彼女は目を天上に向けたままだ。
瞬きはするし、眠る時は眠るのだがまだその気はないらしい。

「疲れたな、早く寝た方がいいけど……」

ベットの縁に両肘をつけ握った手を額につけるようにしつつ少し間を空け

「本当に、俺はこんなことにお前を巻き込んでよかったのかって今でも思うよ」
「…………」
「苦労しかさせてないこの現状が本当に良かったのか。いや、良い訳はないけど」
「…………」
「でも、それでもお前と一緒に居られるこの時が……俺は凄く嬉しくて仕方ないんだ」
「…………」
「こんなだけど、嬉しいだなんて。なんて身勝手でエゴ丸出しだろうな」
「…………」
「それでも、それでもだ……俺は」

そう言って顔を上げる。
彼女は未だに目線を天井に向けたまま。
全く、なんて懺悔だ。
許しも戒めもこないことが分かっていて、勝手に吐露して楽になろうとして。
だけど、それだけじゃないこれは

「俺はヤッパリ、お前を諦められないってさ」

絶対に諦めない。
これは、俺の決意だから。

「もう、寝ような」

そう言って手を彼女の顔にゆっくりと被せる。
人は反射で自分以外のものが顔に近づくと目を瞑るのだ。
手をはずし、彼女の瞼が閉じられているのを確認すると、その額にキスをすると

「お休み、涅槃雪」

再び椅子に座って手を握りなおし、自分もまた眠りに落ちていった。