ENo.9 ツィエルアーシャ・エロ＝サヴァーレン

「す、好きにすれば・・・いいわ・・・・・・ッ」

目を伏せ、武器を捨てた女賊。
ポーズや罠ではないことは全身の傷を見ればわかる。

「頂きます」
「・・・えっ」

なんだその反応は。

◆　◆　◆　◆　◆　◆

悦楽読本：異界の娯楽。装飾品として作製を依頼した一冊。
フルカラーオンデマンド印刷、かは知らないが上質な逸品だ。

パラパラとページを捲る傍らで、女賊が呻いていた。
場所は拷問部屋・水（ジュコ命名）。縛った上でに転がされ、猿轡を噛まされた姿はなんともいじらしい。

「んぅーッ、んー！」
「…そうか。もう縛ってる必要ないんだっけ」
「ぅ！？」
「いやね？同行者に見つからないようにと思って…ここに来てすぐ外せばよかったかな」

無意味に長時間縛られていた彼女の何とも言えない視線に微笑む。
左手に本を持ち、右手に氷の刃を出して縄を裂いた。猿轡も同時に切り裂く。

「っぷは！ああ、ひどい目にあっ・・・きゃぁ！？」

ちゅぷり。穏やかな音と対照的な悲鳴を上げる女賊の手足が水に包まれた。
仰向けの大の字。
指と指の隙間に入り込み強制的に指を開かせ、水とは思えない力で動きを封じる。

「念には念を。私弱いし」
「なにこれ、おもッ」
「水の密度を上げてあるんだよ。水銀のようなものだと思えばいい」
「すい・・・！？」

水は独りでに動き、女賊の手足を大の字に開かせた。
氷結、気化が主な技だがこういう応用もできたりすのだ。凝縮とでも言うべきか。

隠すことのできないボロボロの服としなやかな体を観察する。
筋肉が程良くついていて女性特有の丸みは少ない。
女豹とかそういう言葉が似合うだろう。

「水銀知らない？毒だよ、水みたいなくせに重くて猛毒」
「知らないわよそんなもの！」
「アンジニティに学校はなさそうだしねぇ。まあそれはタダの水だから安心していいよ」

水が半分ほど分離し二の腕と太腿に巻き付く形で更に拘束した。
関節を動かないようにしてしまえば大抵の存在は無力化出来る。

余談だが重さは下の部分に掛かっているため手足に痛みはない。
動こうと暴れてもあくまでも水だ、傷つかないようにしてある。

「ねえ、今から、その、何するの？」
「ふふ…何だと思う？」

汗と僅かな血で張り付いた前髪を掻き上げてやった。
拭い取られた水分は瞬く間に気化し、白と赤の粉を散らす。
ちらりと女賊を見るとかなり怯えた目で私を見ている。

「誤解のないように言っておくけど…別に全身干上がらせてミイラにとか考えてないからね？」
「そ、そう・・・よかったわ」

図星か。

「いくつか実験に付き合ってくれれば良いよ。アンジニティって世界に興味が湧いてきたんだ」
「きゃっ・・・・・・！？」

ぱちんと指を鳴らす。床から女賊を押し上げ出現したのは分娩台。
いや、正式名称は知らない。大の字拘束できる台。
何に使っていたかはとりあえず秘密。

「さて、まずは問診」
「まってまってまって、ちょっとこれ、こわ」
「名前と性別…は女だね。年齢を聞いてもいいかな？ぼかしてもいいよ」

遠慮無く遮り質問を被せる。手元には紙。ペンは万年筆。
レンズ越しに見える女賊の顔は心なしかこわばっている。

「名前はエリ・・・歳は・・・」

私から目を逸らして女賊、もといエリが答えた。彼女も理解したのかもしれない。
別の生き物だと。

「うんうん。協力ありがと。少し採血させてね」

腕に注射器を突き刺す。さすが賊をしているだけあってこの程度の痛みはどうともないようだ。
試験管に3本ほど抜き、水霊術ですぐさま止血した。
「ン……」

1本から一滴だけ指に垂らして舐める。
横目に見えたのか女賊が悲鳴を上げた。

「それ、血！何してるのよ！」
「おかしな力は感じない。普通の人間と同じか」
「変態！この変態！！」
「知ってる。んー、出身を聞こうか」

なんというか、賊と魔女を比べると賊のほうがまともだ。
人道を踏み外したのが賊。人道を飛び出したのが魔女か。

　・エリはアンジニティ出身
　・物心ついたときには賊だった
　・おにくはペットと見せかけてハイエナ

「主に食べてるものは？」
「・・・あぶない果実。野菜より味、いいから。アタシからしたらだけど」
「肉は食べない？」
「滅多に食べられるもんじゃないわ」
「それもそうだ。じゃあ人肉は？」
「・・・・・・はぁ！？」

これにはエリも本気で驚いたようで、思わず体を起こしかけて勢い良く頭を打っていた。
目の中に星を散らしている彼女に首を傾げる。

「アンジニティの食糧事情が悪いのは知ってるよ。だから食べたことあるかなーって」
「あるわけ無いでしょそんなもの！進んで命までとらないし！」
「命より飯か」
「食糧事情が悪いって言ったのアンタでしょう！？」
「それはそうだけどもね」

その辺の倫理観は、少なくともエリにはあるらしい。
命まで取らないというのならむしろアンジニティでは至極善良な部類の賊だ。

いや、ここに追放された者の多くも『殺戮』ではなく『略奪』のために人を襲うのだが。
暗黙の了解か？或いは『追放者を勝手に殺すな』という世界の力か。

「とにかく！私は人を食べたことなんてないわ！」
「わかったわかった。確かに賊に襲われて死んだというのはまだ聞いたことないし」

まだ、というのは私が聞いたことがないだけの可能性を加味して。
人を殺したことがないというのなら、そこまでひどい事はできない。

「えーと他には…そうだなぁ。出産経験は？」
「―――――――！！！」

彼女の何かに触れてしまったようだ。顔を真っ赤にして口を開閉させている。
特に他意はないんだけども。

「老け顔って言いたいわけじゃないことは言っといたほうがいい？」
「わ、わかってるわよ！アンタほんとデリカシーないわね！！」
「極稀に言われるかなぁ。ものをはっきり言い過ぎるらしい」

ここまであっさり罵倒を受け流す存在は初めてだったらしい。
エリはさっきから金魚がデフォルトになっている。

「その反応からすればNOなのは解った。それじゃ次」
「アンタほんっとにマイペースね」
「マイペースは初めてかなぁ…思考能力のチェックをしようか」

引っ張り出したのは数冊の本。中身は道徳のあれこれ。
善悪ではなく、他人の気持ちを読むだとかそういうものだ。

「ねえ、アンタ楽しいの？こんなことしてさ」
「私からすれば賊こそやってて楽しいのか聞きたいな。楽しい？」

思考能力も問題なかった。彼女に心は理解できている。
普通のヒトと変わらず。

しかしエリは躊躇わなかった。

「楽しいわよ。生き方だしね」
「ふぅん…」

ここが引っ掛かる。
他の生き方を考えたことがないのはまあ、仕方ないとして。
街には少なからず店があり、流通があるからこそ誰かの荷を狙うことができるのだ。

「商人を襲ったことはある？」
「ない。あいつらはダメ」
「駄目？」
「用心棒が強いから」

それなら納得はできるけど。私とシンとエミルに負けるほどだし。
もっと深いところを見た方が色々掴めそうだ。

「直接頭の中を見せてもらおうかな」
「ッ！？」
「大丈夫、切ったり開けたりはしないから」

台の高さを調節し、女賊の上に跨がった。
肩のところに手をつき顔を近づける。

「月並みだけど私の目を見て。大丈夫、痛いことはしないから」
「顔近ッ！嫌よ！放して！」
「やーだ。じゃあこうしよう」

ぶるぶると水枷が震え、体積を増していく。
四肢を覆い胸を、腹を、エリの首と私の手まですっぽり包んだ。

「気持ち悪い気持ち悪いぃッ！」
「ひどいなぁ。人間の6割は水なんだから仲良くしないと、ね？」

人間かは知らないけど。そう呟いて両手に魔力を込める。
蠢く水。漂い始める霧と甘い香り。

「や・・・な、に・・・」
「こう見えても水霊術師だからねぇ。よく馴染むだろう？」
「ぁ、あう・・・」

麻薬ならぬ麻水。夢幻の力を乗せた水と霧が五感を蝕んでいく。

浮遊感と陶酔。昼食後のうたた寝。

イメージを乗せた魔力を少しずつ流し込み、同時に夢幻の術を行使する。

　広がるのは海。紫色の海。
　まだ何も生まれていなくて。
　何もかもを閉じ込めてる海。
　時間が経ち貴女は生まれる。

かり　かり　かり　かり　かり　かり

かり

・・・−−−・・・

「・・・っく、ぐすっ」
「泣かなくたっていいでしょう？少しやりすぎたけど」

頬どころか全身を紅潮させてエリは泣きじゃくる。
全身の感覚に干渉し水の中に居るような安心感？不安感？を与えたせいか

　　その
　　　　　いや、彼女の名誉のために言わない。

「ちゃんと除去したじゃないか。服も何も濡れていないし」
「そういう問題じゃないわッ！！ああ、ほんと最悪・・・」
「私は重要な情報が手に入ってそこそこ嬉しいけどね」

何も分からないという情報。
彼女の記憶をどこまで遡っても、彼女の言葉以上のものは得られなかった。
『エリ』はアンジニティで生まれ、育ち、矛盾のない人生を歩んでいた。

彼女の記憶を読んだ。
夢幻の力を用い、無理やり夢を見せた。

「とりあえず何か食べる？ゼリーでいいかな。オレンジとコーヒーがある」
「オレンジあるの！？」
「あるよ。この部屋に無いものはあんまり無い」

ゼリーを差し出す。何の疑いもなく口に運ばれるゼリー。

夢は記憶の整理というのは常識として広まっている説だ。
物言わぬ赤ん坊でも見聞きしたものを夢見、整理している。
その『夢』を辿っても私の望むものは見えなかった。

「あぁー！生き返るぅううッ！」
「それは良かった。食べ終わったらどこへでも行くといいよ」
「へ？」

オレンジゼリーを口に含んだままぽかんと口を開けるエリ。
予想外の言葉だったのだろう。

「飼って欲しいのならそうするよ？」
「っじょ、じょじょ冗談じゃないわッ！」
「あっははは、そうだろう。さあ私の気が変わらないうちに」

ろら逃げろ。

私の目に本気の色を感じたのだろう。
『女賊』は慌ただしくゼリーを食べ終え、風のように去って行った。