ENo.759 斑目百舌子

……夢を見ていた。いつもの夢だ。その夢は過去の記憶であり、酷く鮮明で、右腕の痛みと共に常に俺を苛み続けている。
あの時何か一つでも選択を正解していれば、又は誤っていたならば、このような広漠な砂漠で一滴の水を探すかのような渇きを感じずに済んだのではないだろうか？

俺には5年ほど前この腕がまだあった頃、大事なとても大事な妻がいた。

黒々とした綺麗な長い髪を持つ、少し小柄な花のように笑う女性だった。

名前は千佳といった。

彼女は俺と幼馴染であり医学への道を支え共に歩いてくれた。
子供の頃から苦楽を共にし、俺は当然のごとく彼女に惹かれていた。
そして子供だった俺達は成長し、医者と看護婦になり、また夫婦にもなった。
俺は医師としての頭角をメキメキと現し、町一番の医師だと言われるまでにもなった。
しかし俺の国は当時戦争をしており、戦況はあまり芳しくないようであり、志願兵も数が足りなくなったのか、徴兵も行われるようになっていった。

そしてついに俺も軍医として徴兵される事となった。そして看護師として妻も。
この時千佳は子供を身ごもっており、俺は当然反対した。

防人「何を言っているんだ！お前のお腹には俺たちの子供がいるんだぞ！？軍にそのことを話したらお前の徴兵だけでも取り消ししてくれるはずだ。」

千佳「まだ2ヶ月目だし兵役期間は半年、無茶しなければ大丈夫よ。」

防人「戦場に行くこと自体が無茶だって言ってるんだよ。ちゃんと報告すれば軍も免除してくれるだろう。」

千佳「防人君私がいないと何も出来ないじゃない。妻兼看護婦として私もいくよ。」

防人「う”…しかしだなぁ…。」

千佳「それに戦場では苦しんでる人がたくさんいる。私はその人達を見過ごすことなんかできないよ。」

防人「その人達は俺がみんな直してやる。一人だって放り出したりしない。」

千佳「防人君が頑張って治療してるのが分かってるのに、私が何も出来ないことが嫌なの！」

防人「頼むよ…。お前を危険に晒したくはないんだ。」

千佳「今の世の中じゃどこに住んでいても変わらないよ。この街にだって敵軍が進行してくるかもしれないでしょ？私だって防人君が戦場に行って危険に晒されるのは嫌だよ？ふふっ、だから私も付いて行って防人君を守ってあげる。」

そういって今までの真剣な表情から一転してイタズラっぽく笑った。
あいつは普段はのんびりしているくせに変な所で正義感と意思の強さは人一倍、そんな奴だった。

俺は結局妻を説得できぬまま戦場に来てしまった。その戦場は前線から少し離れた怪我をした兵士たちが収容されている兵舎だった。医者も薬も間に合っておらず、俺たちは到着すると共に持ってきた医療道具で治療を始めた。

千佳「ふーよく働いたねー！」

防人「そうだな、初日だっていうのに人使いの荒いことだ」

千佳「それはしょうがないでしょ、患者さんが街の人から兵士さんに変わっただけで忙しさは相変わらずじゃない。」

防人「怪我の程度が段違いだろうが。頼むからくれぐれも無理はしないでくれよ。」

千佳「もー、分かってるってば。もうそのセリフ100回は聞いたんじゃないかな？耳にタコが出来るってレベルじゃないね、クラーケンとか出来るよ。」

防人「タコ違いだし、クラーケンはイカだ。」

千佳「それじゃタコの凄いのって何？英語ならデビルフィッシュだよね、取り敢えず耳にデビルフィッシュが出来るよってことにしようか。」

防人「……アホな造語を作るな。ともかくお前の性格はお前より良く分かっている。何度も釘を差しておかないと絶対お前は無茶するからな。」

千佳「あはは、信用あるんだか無いんだか」

兵士長「先生、どうもありがとうございました。自分ではもうどうしようもないと思ってましたので、こうして歩けるのも不思議なくらいですよ。」

防人「ははは、どういたしまして。だけどまだ無理はしないようにしてください、まだ傷口は完全にはくっついていないので。」

兵士長はこの傷を治療してから変に義理立てして俺に敬語で話しかけてくる。

兵士長「はい、了解しました。そう言えばこの前先生の噂聞きましたよ。」

防人「噂？」

兵士長「えぇ、私たちの部隊は他のところに比べて死傷者が圧倒的に少なくて、前線を押し込んでいるおかげで軍全体の士気が上昇している…と、そしてその要が先生だって上層部が評価しているって。」

防人「そんな馬鹿な、私は普通に仕事しているだけですよ。もちろん、誰一人として死なせないつもりで治療していますけれども。」

兵士長「いえ、そこら辺は噂ですから。ですけども私も先生に命を拾っていただいたわけですし、あながち出鱈目でもないんじゃないかと思ってますよ。」

防人「それは兵士長がトカゲの亜人だからですよ。普通なら助かってませんよ、あんな傷。」

兵士長「トカゲの亜人でも普通あの傷じゃ助かりませんよ、普通はね。」

ですが、私は幸運なことに先生が側にいてくださったお陰でこうしてまた戦うことが出来る。#+#@防人@/10/不死身で名の知られる兵士長をまた殺すことができなかった敵軍の唖然とする顔が見てみたいですね。#+#@兵士長@/11/ははは、先生がいらっしゃる限り何度でも蘇ってやりますよ！

防人「と、いうことを言われてね。」

千佳「へぇ、よかったじゃない。軍も防人君の実力見抜くなんてなかなかやるじゃ無い。」

千佳はグッ！と親指を立ててウィンクした。

防人「はしたないから、やめてくれ。」

千佳「はしたないとこなんて防人君にしか見せないよ。患者さん達には美人で優しい清楚系看護婦さんで通ってるんだから。」

防人「あぁいつも二重人格じゃないかと疑うぐらいの猫かぶりだよな。」

千佳「猫かぶり言うなー。そんなことよりどうするの？階級とか上がっちゃったら。」

防人「まぁ俺は今のままでも全く問題ない、むしろ危険なところにお前を連れて行きたくないから正直御免だな。」

千佳「…ふぅん」

しかし俺の思惑は外れ、部隊は激戦区への派遣が決まってしまった。

戦場は鬱蒼とした森で、お互いにゲリラ戦を繰り広げていた。そんな疲弊しきった戦場に戦力の温存を続けるこの部隊が推されたのであった。

そこでの生活も2週間が経とうとしていた。深夜、騒音で目が覚めた。騒音は外からのようで、千佳を起こしている途中に兵士長が部屋に勢い良く入ってきた。

兵士長「先生！ここにおられましたか！」

防人「何かあったんですか？」

兵士長「敵軍から奇襲を受けました。兵舎にも火の手が上がっています。早く逃げてください。話は移動しながらします。」

俺は千佳の手を引き、燃える廊下で隊長と並びながら話していた。

兵士長「警告塔が一番始めに爆破されたようです。」

防人「そのため基地全体への通達が遅れた…。」

兵士長「誠に申し訳ない。それはこちらの…」

その時会話を遮るように資材が崩れかかってきた。咄嗟に千佳を引き寄せようとしたが、間に合わず繋いでいた腕ごと燃え盛る資材に潰されてしまう。更に天井が燃え落ちてきて千佳の上に降りかかった。俺は何とかもう一方の手で瓦礫をどけようとするが上手くいかない。兵士長も手伝ってくれるがびくともしない。千佳は瓦礫で頭でも打って気絶してしまったのか未だ繋いでいる手からは力を感じない。俺は焦燥感を感じながらも力一杯瓦礫を押す、が次々と瓦礫が上から落ちてくる。兵士長が手を止め叫んだ。

兵士長「先生！早く逃げてください！でないと貴方も死んでしまいます！」

防人「千佳はまだ死んでいない！！」

ゴッ

兵士長「本当にすみません、先生。しかし貴方はまだ死んではいけない。」

薄れ行く意識の中で俺は右手に妻と自身が焼けていく感覚と自分の無力さを感じていた。

妻の遺体は後日燃え跡から見つかった。

俺の火傷は相当酷い有様だった。兵舎が燃え落ちてしまったせいで俺の右腕の治療はままならず、治療できるキャンプに合流したときには、傷口は膿み始め、切断するほかなかった。医者としてももうやってはいけないと思った。右腕が無いことよりも千佳がいないことの方が理由かもしれない。

その後俺は、幽鬼のように世界各地を旅して回った。一瞬でもこの苦しみから逃れたかった、しかし妻とついに生まれることすら出来なかった子への罪悪感で精神は押しつぶされそうだった。しかし泣くことは出来なかった。涙はとうの昔に枯れ果てた。

それは長い放浪の末、俺は都から遠く離れた農村の外れを通りがかった時だった。不意に視界の上方に影が射した。とっさに見上げると、大きな樫の木からソフトボール大の球が落ちてきた。俺は思わずそれを受け止めた。その球体の正体は卵であり、俺が受け止めていなければ割れていただろう。その卵を所在なく持っていたが、捨てていくのも気が咎められたので、俺は宿に持ち帰ることにした。宿屋の主人に尋ねたところ気の上から落ちてきたのならそれは百舌鳥の亜人の卵が託卵されて落とされたものあるとのことだ。文明を得ても百舌鳥は樹に卵を産み孵化させる、カッコウは百舌鳥の巣に託卵する本能からその関係を続けているそうだ。巣に卵を戻すことは出来るかと尋ねると、樫の木は、凹凸はあるが幹が太すぎて登るのは不可能であるそうだ。
俺はこの卵の処遇を決めなければならなかった。亜人だからという訳ではなかったが、今の俺には命をどうこうするのは重すぎた。見殺すことはできなかった。
俺は卵を孵化させることにした。ヤカンで温めたタオルで包み、適温を数日保ち続けた。ある日卵からはｺﾂｺﾂと音が聞こえた。次第に音は大きくなり割れ始めた。俺はそっと割れるのを待ち続け、ついに殻から這いでてきた。
それは卵の殻を頭にくっつけた、羽の生えたそれこそ天使のような女の子であり、その時俺の心は少しだけ、ほんの少しだけこの天使の赤ん坊に救われたような気がした。

――そしておれはその天使に自分の姓と百舌子という名を与えた。