ENo.736 R，E．D．

──通信回線の健全性：59％
　　ただし通信先の世界観によって品質が低下する場合があります。──

　この辺りは、出発地点だった街に比べてかなり東に位置している。旅に出てからようやくたどり着いた初めての街ではあるのだが、僕たち二人の現在の能力値では少々無理をしすぎたようだ。敵の数を減らすように調整すれば勝てなくはないものの、ここの所僕たち二人の戦闘結果は芳しくない。そもそも三人が一単位として決められているこの世界で、二人という半端な数で行動するというのはあまり賢いやり方でもないのだ。
　そんな訳で、僕たちは少しの間この街に逗留することにした。幸い、敵を減らせば勝てなくもないバランスなのだ。街の周囲で手頃な相手と戦いながら能力値や技能を伸ばせば、もう少し戦いも楽になるだろう。どうせ目的は脱出なのだから、何処かへ急いで向かう必要がある訳でもない。そんな訳で、僕たちは無理なくその日を戦い、傷ついたら街に戻って休む、という、いわゆる“レベル上げ”を始めたのだった。
　確かに、街は安全だ。だがそれは、あくまでも、“外と比較して”、“直接的な危険が”少ない、という意味に限っての話だ。街には町の危険があるものだし、所詮比較して外より安全だ、というだけに過ぎない。それはこの世界に限ったことでもないが、この世界においてはなおさらに、たとえ街のなかであったとしても、安全な場所など存在しないのだった。

「R，E．D．君、これを見てくれよ！
　すごいと思わないか！」

　“僕の友人”が、その日の夜に嬉しそうに取り出したのは、がらくたに極めて近い箱だった。大きさは手のひら程度、申し訳程度にいくつかのボタンやダイヤルがついている。

「これがあれば、他の世界と通信ができるんだって！
　つまり、これを使えば助けを呼ぶこととか、他の世界にいる友達なんかと話ができるんだよ！
　すごい発明だと思わないか？！」

　僕は、その箱を見ながら心の中でだけ溜め息をついた。まぁそういう類のことが不可能だとは言わないが、少なくともこの箱では不可能なのは、確かめてみなくても分かる。大方、この人のいい“僕の友人”は、今朝街の露天商か何かに目をつけられたのだろう。要するに、分かりやすいが一番ありがちな“街の危険”というやつだ。

「ああ、それが本当ならばすごいね。だけど、この世界は言ってみれば落とし穴だ。そう簡単に脱出を世界が許してくれるかどうかは分からないね。
　それで、もう試してみたのかい。」

　適当に言葉を濁しておく。おそらく、まだ彼はこの“機械”の使い方を心得ていないはずだ。何せ、昼間は戦闘でそれどころではないのだから。試してみるとして、明日の朝というところだろう。

「いや、実はまだよく分かっていないから……こういうものには詳しいかなと思って。」

　縋るような目で僕を見る“友人”。僕はもう一度心の中で溜め息をつくと、口の端に笑みを浮かべたままで左手を差し出した。丁度良い口実が向こうからやってきたものだ。

「ふむ、じゃあ少しの間、それを貸しておいてくれないか。今晩の内に少し調べてみるとするよ。」

「助かるよ！
　実はこういう機械はあんまり得意じゃなくて……使えるかどうか心配だったんだ。」

　喜び勇んで“機械”を手渡してくる彼に、僕は小さく肩をすくめた。

　　　　　＋　　　　　＋　　　　　＋　　　　　

　夜遅くに街へと戻り、準備をしてから僕は見当を付けた辺りでその露天商を見つけた。この手の商売はさっさと河岸を変えるに限るのだが、今朝迂闊な相手が捕まったことで、自分まで迂闊になってしまったらしい。もっとも、街の外には“危険が一杯”なのだから、よほど手慣れた者でなければ街の外には逃げ出せないだろうし、そんな腕があるのであればこんな怪しげな商売はしていないのだろうが。

「景気はどうだい。」

　緋色の法衣で顔を隠し、さほど興味もなさそうに声をかける。世界によっては目立ち過ぎる風体ではあるのだが、幸いこの世界ではそれほど奇矯な姿でもない。適度に魔術を操る、目立ちたがりの勘違いした三流魔導士、といったところか。

「まぁまぁでさ。何かお探しで。」

　やる気もなさそうに、雑多に並べられた様々ながらくたの中から、僕はいくつかのものを手に取ってみる。魔力があるものもない訳ではないが、残念ながらこの場にあって然るべき程度のものばかりだ。いくつか遠回りをして他愛のないやり取りを繰り返した後に、僕は“それ”を手に取ってみる。

「それは少し値が張りますぜ。何せ……他の世界とやり取りができるって代物ですから。」

　聞いてもいないのにわざわざ説明してくるからには、これが一番利益率が高いのだろう。僕は少しの間それを弄繰り回してから彼に聞いた。

「ほう、どうやって使うのかな。そんな魔術は聞いたこともないが。」

　魔術師にそう言われては困るだろう。だが、彼はそのためにしっかりと下準備をしていた。僕の手から“機械”を受け取ると、何やらあちこちのボタンを押しながらダイヤルを回していく。徐々に雑音が消え、“機械”から聞こえているものがどうやら声らしい、ということが分かり始めた。

──ふんぐるぃ、むぐるぅなふ、くとぅ──

「ひいっ？！」

　慌てて投げ出された“機械”を宙で受け止めながら、僕はそれをゆっくりと雑多な商品の中へ戻した。だが、スイッチが切れていないのか、その押し殺したような不明瞭な声は、消えるどころか次第にはっきりと聞こえてくる。

「な、な？」

　彼が振り返って、通りに面した窓のひとつを見上げた。まぁそこには既に誰もおらず、その部屋で合図を待っていた魔術師崩れは僕が先ほど少し話をして消えてもらったのだが。

「るるいえ、ふたぐん。
　海の主は館にて、夢見るままに待つ、という意味だよ。僕の声にそれほど驚かなくても良いじゃないか。ちょっとした手品さ……君たちが、人の良い侍に今朝方やったのと同じような、ね。」

　僕の言葉に、怯えた目で振り返った店主は、僕が言いたいことを察したのだろう。数歩後じさった。僕は、彼が見上げていた窓を同じように思わせ振りに見上げてから、右手を裾から出さずに彼の目の前に上げて、中から滴る僕の血を見せてやる。

「分かった、その金は返す！
　それで良いだろう？！」

　投げつけるように、数枚の硬貨が僕に突き出された。僕はそれを魔力で受け止めると、そのまま財布の中へと転移させる。血の蒸気のように赤い魔力が硬貨を包み、共に彼の目の前から消えた。まぁこれで目的は果たしたことだし、十分だろう。

「じゃあ、君の“友人”によろしくね。」

　僕はそれだけを彼に告げると、自分たちの野営地へと戻るために歩き出した。後ろで露店が蹴倒され、誰かが泡を食って走り去っていく慌ただしい音が聞こえるが気にしない。丁度良いお灸になったことだろう。

「さて、半分は片付いたね。後の半分は君にやってもらわなくては。シェル、良いかい？」

　僕は街の外へと向かって歩きながら、僕の行動を見守っている電子妖精に声をかけた。これからやってもらうことを指示しながら、ぶつかりそうになる通行人の行く手を戯れに書き換える。やれやれ、この世界は街の中も“危険が一杯”だ。

──十日目〜“danger”──