ENo.724 アイヴォリー＝ウィンド

　出かける準備をしていたアイヴォリーたちの前に、彼が良く見知った来訪者が現れた。彼からすれば、できることならば金輪際会いたくなかった相手だ。舞い散る羽毛を模した光の粒子は、一部が宙に溶けていく間にその中央に現れた本体を構成して描画する。

「やっほー、元気してた？」

　軽やかな鈴のような、声変わりもしていない少年の声。耳にも心地良い、だが甘すぎてどこか粘りを持っているかのような、毒のある柔らかな声だった。その端正な声で能天気な挨拶をしながら、創造者を模倣した零と一の集合体は、彼のお気に入りの姿を取る。ブロンドで柔和な顔立ちの、声と一致した天使のような少年の姿だ。

「オマエ……ヤッパ出てこれんのかよ……。」

　アイヴォリーはげっそりした様子で、彼に嫌々話しかけた。剣の少女にそう言われていたから、あの運命調律者を名乗る男が近くにいることは事実だろうと思っていたし、それならば遠からずこの悪魔とも遭遇する日が来るのだろうと覚悟はしていた。が、実際にこうして目の前に現れると、とりあえず無駄でもいいから数発殴っておきたい気分になる。だが、アイヴォリーがそれをしなかったのは、今休息しておかなければ今日の移動に差し支えるからだった。昨日の野盗との戦いは、思ったよりも大変だったのだ。今の内に少しでも体力を回復しておかなければ、今日の移動で他の連中についていけないという情けないことになり兼ねない。

「で、ナニしに来たんだよ……あの嬢ちゃんの話だと、ソッチとコッチじゃカンタンニャ干渉デキねェハズッつーんで、オレは少しばかり安心してたんだケドな。」

　露骨なアイヴォリーの嫌味を全く意に介さず、少年の姿をしたものが懐から何やら四角い箱を取り出す。彼はそれをアイヴォリーに差し出すと、受け取ってもらえなかったので無理やり手の中に押し込んだ。

「あ、勘違いしないでよね、君にじゃないんだから。それはねー、フェアリーさんの方に贈り物なんだって。渡してほしいってさ。
　えーと……どこだったかな……“直接やり取りはできないから、その時の僕の様子を見てもらおう。それと実際の効果を見てもらえば、君に断ることはできないはずだ。”……だってさ。」

　途中、聞き覚えのある、囁くような掠れ声を完璧に再現して少年はそう言った。再現というよりかは、それは“再生”なのだが。要するに、彼の主が言ったことを“記録”して、今それを再生しているだけということだ。

「はい、これ。」

　少年の姿をした電子妖精が、手の上に光球を作り出す。その中には、荒く乱れた状態ではあるが見覚えのある姿がアイヴォリーにも見て取れた。

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　どこか、荒れ果てた大地を歩いているらしい。背後にはそれなりに大きな街と、月が浮かんでいる。光源はそれだけで、逆光になっているため非常に分かり辛い。緋色の法衣だけが印象的に浮かんで見えていた。彼は右手を不器用に動かすと宙に文字を描き出す。“破滅の宇宙創生”と呼ばれる魔筆、書かれたことが実現するペンで何かの文章を書いているのだ。まるで自らの指で綴るような不自然な持ち方で、それでも流麗な飾り文字で文章を綴ると、彼は左手で持っている小さな箱に目を落とした。

「これで良いだろう。効果は出るように宣言しておいてくれ。」

「でも、世界間通信にはポイントが必要だよ？」

　音声は調整されているのか、映像ほどには聞き取り辛くはない。彼が肩を竦めたのだろうか、法衣が大きく波打った。

「彼のポイントを消費しておいて構わないよ。彼はそれを望んでいるんだろうさ。で、これをリストアップした相手に届けておいてくれ。これが相手方にもなければ役に立たないからね。」

　懐から、手品のようにもう一つ同じ箱を男が取り出した。小さく喉の奥で笑うと、それをこちらに投げて寄越す。それは目の前まで飛んできて、光の粒子に分解され、消えた。

「もう、もの投げないでよー、当たったら危ないでしょ。」

　少年の声が不平を述べる。どうやらその声の視点で映し出されているらしい。

「良いから、さっさと済ませてしまうんだ。
　……聞こえているか。僕にはこんな茶番は興味はない。だからこれで最後だ。後はシェルが実際にやってみせる。それを見れば、彼女に渡すべきだと君は思うだろうね。」

　唐突に、男が“こちら”に向かって話しかけてきたところで映像は途切れた。あまりやり取りが円滑にできないか、伝えるべきことをすべて伝えたという様子だった。

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「えっと……後はこれをこうして……。」

　少年の声でアイヴォリーは我に返る。光球は既に消えていて、少年は手元の箱を何やら調整しているのか弄繰り回していた。それはどう見てもがらくたで、何かの役に立つような様子ではなかったが。

──えっと、メイリー、聞こえるかい？
　これで良いんだよね、R，E．D．君……──

　どこかで聞き覚えのある声。二度しか聞いたことがないが、はっきりと覚えている。そもそも、暗殺者の記憶力で聞いた声は忘れないアイヴォリーだったが、それでもこの声は別格だった。
　青い髪の、ハーフエルフのサムライだ。それを思い出して、アイヴォリーの左腕と心の奥が微かに痛んだ。左腕はあの時に斬りつけられて切り飛ばされそうになったから、心はもう一度の時に、樹上で彼とメイリーのやり取りを聞いたからだ。舌打ちして、運命を玩ぶあの男の思い通りにしかならないことに小さく悪態をつく。

「わーッたよ、メイリーに渡しゃイイんだろ、クソッタレ。」

　無駄だとは知りながら、やはりあの男の代わりにでもこいつを殴り倒しておくべきか、アイヴォリーはもう一度その問いについて考え始めていたのだった。

──十日目〜“危険な接触”──