ENo.2531 リノア=セラフ

ACT3-2.Whoredom

右を見る。ソコには廊下が広がっている。
左を見る。ソコには廊下が広がっている。
ずっと長い廊下が延々と伸びているだけの白い場所をなんと呼称すればいいのかを、私は知らない。
漠然と私たちは施設と呼んでいた。どうしてそんな言葉が出てきたのかも、今では定かではない。頭に刷り込まれているかの様にその言葉はスルリと出てくる。

不気味だ。静かで、ゴミひとつ許されていない真っ白い空間だ。
廊下には無数の扉がある。一つ一つがきっと私の部屋と同じ構造になっているんだろう。
扉一つに付き個室が一個。全部の個室に入居している訳ではないだろうが、その数は相当多いのかもしれない。
そして、私と同じようなことをしている人間は居ない。そもそもこの扉には普段鍵が掛かっていて、私の様に首を出したりもできない。
扉に付いているのは配給口と小窓だけだ。

巡回員に見つかる前にさっさと首を引っ込める。何時見てもこの廊下は白いままだし、無駄に長い。
きっと廊下には監視カメラの一つか二つは有るだろう。私の行動も恐らく筒抜けになっているが、特別脱走であったり、害がなければ無視を決め込んでくれるらしい。一度も注意はされたことがない。
もっとも、する気が起きないのは、その報復の怖さを刷り込まれているからだし、無理だとわかっているからだ。

基本的に、この部屋で行う事は自由という事になっている。つまり、さっきも並べた脱走などの施設側に不利益になることでなければ何をしてもいいということだ。
しかし、この部屋には、洗面所とベッドとトイレぐらいしかないから、特に何か面白いことが出来るわけではない。
ヘッドフォンを持っていかれなかった事だけは幸いだ。時間潰しには持って付けで。

我儘を言えばある程度の物資補給は実は通る。私のように世間を知らないで施設に入った子ばかりではなく、普段は外で一般的な家庭で生活してたような子が入ってきたりもする。
そういう子は、外界の文化を強請るのだ。やれ、漫画が欲しいだの、やれ音楽が聞きたいだの、だ。
このヘッドフォンもその一環で手に入れた知識で欲しかったから買ってもらったものだ。

録音と再生の出来る一体型のワイヤレスである。有線は時代遅れだと言われた。実物なんて視たことなかったから知らなかった。
まあ、この話はいいや。再生するために耳にセットする。

聞こえてくるのは、少女の声だ。ついこの間まで一緒に育った女の子の声が耳元で響く。
といっても、歌なんかではない。いやある種の歌なのかもしれないが。
聞こえてくるのは、悲鳴と咳込み、嘔吐の音だ。
背筋がゾクゾクと気持ちよくなる。新しい部屋では壊す物が無い為に鬱憤がたまりにたまるから、このヘッドフォンはトランキライザーとしてかなり優秀な効果を発揮している。我儘を聞いてくれた研究員には一応感謝はしている。

ぼーっと電池が切れるまで延々とループさせていく。充電は実験の時についでにしてもらう。ここの職員はまだ私たちに優しい方だと思った。
まあ、ヘタに扱って私たちが壊れるのを恐れているのかもしれないが、壊れたらそのまま遺棄するくせに…。
耳には延々と、少女の声がループバックしていた。

『2531号、出ろ』

充電が切れてどれだけ立ったか、時間の概念は此の白い部屋では皆無に近くて、扉を開けられた時に「ああ、もうそんな時間なんだ」と認識するしかなかった。

「何人いるか知らないけどさ、名前で呼べないの？」
『いいから出ろ』

私の訴えは早々に却下された、やれやれ……数字で呼ばれるのは何時までたっても慣れない。
何度この横柄な態度を取る警備員の鼻っ面を蹴り上げようと思ったことか。前の施設の方がよっぽど融通が効いた。もしかして、コイツ私の名前を知らないんじゃないか。

後ろをついて白い廊下を歩く。手は枷をされ前を歩く警備員がリードを握っている。かなり屈辱的だ。私はあの子みたいに虐められて喜ぶタイプじゃないぞ。虐める方が好きだ。
着いた先には何時もの拘束具がある。端にはメガネの無精髭が居る。この施設の責任者らしく、施設の人間の殆どがヘコヘコしているのを見る。

『はい、じゃあ、そこに』

言われるがままに拘束具に横になる。なんの何時ものことだし、手つきも慣れたものだ。
手足と腰はベルトで拘束。肩周りもがっちり閉められて自由に動かせるのに首ぐらいな物だ。今日は首も固定されないから、特に頭を開くという事はナさそうだ。
ヘルメットをかぶらされる。電極とコードが山ほどついたごっついヘルメットだ。被る時に少しチクリとする。

そこから先は、よく覚えていない夢の世界だ。靄が掛かっている。知らない知識が流れこんでくる。1秒間に1秒間の記憶ではなく、1秒間に1日分の記憶。ただの記憶ではなく、体感的な実感を伴うから披露も半端ではない。何より、中身を詳細に覚えていなくても、無意識下に埋め込まれる。
実験なのか研究なのかは知らないが、私の得た知識の大体はこの変な装置による記憶操作のお陰だ。

ヘルメットを外されると、視界がぼやけて戻ってくる。大体、記憶は無い。どんなものを視たのかっていうのは覚えてないが、経験として体は覚えてるし、知識としても身についていく。
辺りを見回すと、山ほどいた研究員は居なくて、居るのは偉い人だけだ。
こちらに背を向けて何かをしている。拘束されているから、特別何か出来る訳ではないけど、しばらく観察していた。
ヘルメットを外したのは他に職員が居ないから彼のはずなのだが、こちらには見向きもしない。全く、どっちが檻の中の猛獣なのだか…。

『気づいたか』
「とっくに…、早く外してよ」
『警備員がくるまで我慢したまえ』

中々職員と話す機会というのは少ない。そして、ここに来てから少し練っていた計画もあった。前施設で一緒になった少女。ノエルを脱走させる物だ。
そのためには必要な物として考えていたのが、この施設の機械に触れる機会と、目の前でこちらに背を向けている人間の権限。
その方法として、私は前施設での出来事を反芻する。多分行ける。

「なあ、アンタ」
『なんだ』
「私の体、買わないか――」

予想以上の成果だった。権限も貰えたし、少し脅したらコンソールに触る機会もゲットだ。
よく判らんが、溜まってたと言うやつなんだろう。施設に引っ込み過ぎでそういう事をする機会が全く無かったとかもボヤいてイた気がするし、何よりまだ私が若かった事もある。
後は……、まあ、クレイドル自体はまだ珍しい物だろうから、きっとそういう意味でも十分な研究になったんじゃないだろうか、彼にはね。

幸い変な知識だけは日々の実験と拷問で付いているからそれらをフル稼働させる。時間は極僅かで限られている。短時間でどれだけの成果を出せるか、それが問題だ。
叩ける時間にはコンソールを叩きまくった。横で見ていた責任者は、手際の良さに呆れ返っていた。この知識を付けさせたのはアンタたちだぞ、と言いたかった。クレイドルとしての記憶が残っていて、この記憶力と行動動作が最適解を導く為の遺伝子操作の賜物であるなら此の体を作ったこいつらに私は感謝しないといけない。

結局、実行に移すまでにはかなりの年月を要したし、それまでに体を好き勝手にされた回数も人数も増えた。溜まるイライラは壁に蹴りを入れることで発散した。それでも発散できない時は、IEの実験で思いっきり暴れた。
若い女の体というのは、強い武器になるということを、学んだ。

＊　＊　＊　＊　＊　＊　＊　＊　＊

リノア「さして美しくもない、きったねぇ現実じみた記憶ですこと。ま、そうでもしないとあの権限を入手できなかったんだろうけどさ、当時の私は」

ペンダントをなぞる手を止めて、蓋を閉める。辺りは森で、やたら暗くて黒い。陽の光は一変も届かない。

リノア「まあ、色が分かんねー生活にも慣れてきたかな…。多分ここも、茶色の幹に緑の葉の綺麗な森なんだろうけどさ。こうも光がなくて黒くっちゃなあ」

足元で目を回している野いちごっぽい形のモンスターを尻目に今は休憩の時間。コイツらも黒くて、やたら見辛かった。
顔が火照る。焚き火の明かりだけがやたら私を照らしている様にも感じた。

ちなみに後で一緒に歩いてたヤツが教えてくれたが、この世界の木々は、葉が赤いらしい。なるほど、誰かと感覚を共有できないのは、少しばかり淋しい気がした。