ENo.150 ダーク＝ブラッドペイン

『ダーク＝ブラッドペインの回想』

　ミラージュの日付『PC2267.12.20』、惑星『アース』――

　私は包帯を取った。左脇腹にはまだ治りきっていない傷があった。胸部には
手術の痕跡がうっすらと残っている。痕跡を消すことも可能だが、私はあえて
痕跡を残した。これは私が私であった証であり、戒めのために残したものだった。
　鏡に映る私の身体は、男としては頼りない体つきだ。もう少し鍛えるべきだが、
身体のラインは崩したくない。腹筋が割れるくらい、筋肉質で逞しい肉体は嫌だ。

「マスター、オレがやろうか？」
　エクスが塗り薬の瓶を差し出した。
「自分で出来るからいいよ。有り難う。エクス」
　エクスの頭を撫でる。エクスの頭部のアンテナがしなって揺れた。顔には
出さないが、エクスの嬉しい時の感情表現の一つだ。

「……手術の痕、治さないのか？」
　エクスは目を細める。
「ん……治せなくはないんだけどね。戒めさ。『あの出来事』を忘れないための」
　薬の蓋を開ける。薬草のきつい匂いが鼻をつく。
「『あの出来事』は、マスターが原因じゃないだろう」
「そうだけどね。もし、あの時にアークの開発が間に合っていたならと思うと、
胸が痛くなるよ。過ぎた事を悔やんでも仕方がないのだけけどね」
　偶然居合わせたブラッド博士のお陰で私は一命を取り留め、そして、
私は『あの出来事』を境に変わったのだった。
　これは戒めの為に残した痕跡であり、変化の痕跡の証である。
「欲張って開発を遅らせてしまった。万能で完全無欠のロボットを創り出すのは
不可能だって判っているのにね。何かしらの欠点は残ってしまうものなのに」
　エクスがわざとらしく溜息を吐く。
「……あぁ、マスター、まだ気に病んでいるのか。あれは仕方がないだろう。
きっとアークが居たって状況は変わらなかっただろうさ。寧ろ、アイツが
あの場に居たら被害拡大に違いなかっただろう」
　エクスは背面から玩具のハンマーを取り出した。落ち込んでいる相手に
エクスが渇を入れるための玩具だ。エクスはそれで私の太股を軽く叩く。
「痛いじゃないか。こらこらっ！」
　私はぽこぽこと玩具のハンマーで叩かれる。
「馬鹿馬鹿しい。いつまでも過去に囚われていたって仕方が無いじゃないか。
生き残ったからには、前向きに精一杯生きて、二度と悲劇を繰り返さない努力をしろ。
マスターには成さなければならないこと山のようにあるんだぞ、へこんだって、
過ぎ去った時間は二度と戻らないんだからな」
「い、痛たた……玩具でも君に叩かれるとちょっと痛いから叩かないでよ」
「マスターが、いつまで経ってもへっぽこ思考だからだ。振り返る余裕はないんだぞ」
「確かに……今のは後ろ向き思考でへっぽこ発言だったけど……
でも、だからって叩かないでくれ。本当に痛いから」
　私がエクスのハンマーを受け止めようとした時、部屋のドアが開いた。
「…………お前等、祝日の早朝から、賑やかに何をやっているんだ？」
　この家の主で友人のレイガだ。レイガ……レイは大きく欠伸をする。寝起きらしく、
黒髪は乱れ、濃い紫の瞳は細くなっていた。
「うぉっ！？」
「ご、御免なさい！」
　どうやら友人の睡眠を妨げてしまったらしい。私はエクスの頭を抑えながら、
頭を下げていた。

　英雄祭。この惑星『アース』が、宇宙よりの侵略者に勝利した日。
　人々は英雄達を讃えて、英雄をあやかった衣装……主に仮面やマント等を
身に纏い、お祭り騒ぎを楽しむ。英雄に扮した人々は親しい人々に
平和の象徴である贈り物を贈る。

　祭りに行くのは久しぶりだった。十数年ぶりだろうか。
　私の惑星は私が生まれる以前から、近隣の惑星と戦争の真っ最中だった。
祭りがないわけでもなかったが、私は幼少の頃から研究所で暮らしており、
滅多に外へ出歩くことはなかった。祭りを楽しむ機会も殆ど無かった。
遠くから祭りの光を眺めているだけだった。
　偶に両親の所用で他の惑星へ行った時も、祭りは遠くから眺めるだけだった。
　祭りを楽しんだ記憶が……殆どなかった。両親の仕事柄、身近にロボットが
居る環境で育ったためか、ロボットが側にいればそれでよかった。祭りよりも、
ロボットの可能性を探ることを楽しんでいた。
　私は祭りに対して無関心な子供だった。もしかしたら、寂しさをロボットで
紛らわせることで、意識的に祭りを遠ざけようとしただけかも知れなかった。

　リトゥーヌ記念公園。英雄記念館を中心とした円形の人工公園だ。記念館は
堀と木々でぐるりと囲まれ、公園の外側は花と木々で囲まれている。
　元々は緑溢れる自然公園だったのだが、戦火で焼け野原となったらしい。

　公園はマントや仮面を着用した人々が行き交い、外周には一定間隔を開けて
屋台が出ていた。
　あぁ、今になって私が祭りを楽しめなかった……いや、楽しまなかった理由が
判った気がする。噎せ返る程ではないが、食品の焼ける匂いと人々の体臭……
特に飲酒者の……が、気持ち悪いのだ。匂いに敏感な私にとって、
この場は心地悪いものでしかない。
　私は外周に移動するとポーチから香水の瓶を取り出した。爽快感のある花の
香水を使用していたが、この場では無意味だ。きつめの香水の方がマシだろう。
かといって、香水使用中に更に別の香水をかけると、匂いが混ざり合って
酷い匂いになってしまうが、香水の方が幾分かマシだろう。
「急に走り出して……具合でも悪いのか？」
　香水を振りかけ、声の方に振り返る。やや大きな襟のついた白いマントの
レイだった。
「ちょっと匂いに酔ったみたいだ。御免。少し休ませて」
「あ。そういや前に匂いに敏感って言ってたな。すまん、忘れてた」
「御免」
　自分から祭りに行ってみたい等と言い出しながら、とても情けない姿である。
私達から少し離れて、私とは対照的にレアは匂いも気にせずにはしゃいでいた。
「美味しそうな食べ物がいっぱいある〜♪　あの美味しそうなのは何〜？」
　レアはキャンディーを片手に、クリスの腕を引っ張って屋台に連れて
行こうとしていた。
「さて……イベントまでは時間があるしな。俺達も行ってみるか」
「？」
「何もイベントだけが祭りじゃないさ。匂いが駄目なら、匂いのない方へ行けばいい。
野郎二人っていうのが、寂しいんだがな」
　と、レイは苦笑した。

　ホワイルエ教会。リトゥーヌ記念公園より徒歩で五分もかからない場所にあった。
この惑星では全体の約三割を占める宗派の教会とのことだった。
　小さな教会だった。入り口の上部に鳥の彫像が飾られている。この宗教の
象徴的動物なのだろうか。教会の扉は開き、中からは美しいアカペラの合唱が
聞こえてくる。
「……ふぅん、礼拝か。レイは意外と信心深かったんだね」
　私は信心深くない。実家の宗教にならって、儀礼を行うことはあるが、
神様を信じていなかった。その存在は未だに証明されていないからだ。
　友人は意外にもは信心深かったのかと思ったが、異なる返事が返ってきた。
「別に。信心深くはないよ……って言うか、カミサマ自体信じちゃいないよ」
「ならどうして連れてきたんだい？」
「祭りだからね。偶にはステンドグラスを拝んでも雰囲気があっていいじゃないか。
信仰心は全然ないけどな」
「……そうだね。偶には悪くはないかもね」

　長椅子に座って、歌声に耳を傾けているとレイは右腕の携帯型小型通信機を
弄り始めた。銀色のブレスレット状の端末だ。端末の上に小さな映像が浮かび出す。
それは一枚の画像だった。
「……この時期になると毎年思い出すんだ」
　画像は少女の画像だった。黒髪でショートカット、紅い瞳に少し尖った耳の
明らかに異星人……ミラージュの人間の少女だった。少女は白のワンピースを
着ており、左手で頭の白い帽子を押さえ、右手には縫いぐるみを持って笑っていた。
年齢は幼稚園児くらいだろうか。
「へぇ……懐かしいな」
「この子を知っているのか！？」
　レイは驚いたが、私は口に指を当てた。他の客に迷惑はかけられない。
「知っているというか……この縫いぐるみだね」
　と、私は少女の持つ縫いぐるみを指さした。ロボットのキャラクターを
デフォルメにした縫いぐるみだった。
「私が子供の頃に流行っていたロボットギャグアニメの主人公だね。
私もこの縫いぐるみを持っていたよ」
　子供の頃の記憶が蘇る。私も子供だった……ね。
「で、このミラージュ人の女の子がどうかしたのかい？」
「俺が子供の頃に初めて会った宇宙人さ」
　やや頬が赤くなっているのは気のせいだろうか。
「最初は心を開いてくれなかったんだけど、何度か会っている内に心を
開いてくれて……ほぼ毎日、この子と会うようになったんだ」
　私は黙って聞くことにした。
「けどな、いつしか会えなくなったんだよ。お互いに事情もあったしな。
でも、もう一度会えるなら、あの子に会いたいんだ。理由は言えないけど、
どうしても……伝えたいことがあってさ」
　成る程。友人の言葉の先を何となく理解した。
「……つまり、彼女と同じミラージュ人である私に、彼女を探してくれないかと
言いたいんだね？」
「その通りで」
　理解が早くて助かると、友人は笑う。
「しかし、私は探偵じゃない。君の情報網で解決した方が早いだろう」
　私は声を潜めて言った。
「それは酷くねぇか。友よ。ミラージュは戦争の真っ最中で、他の惑星の人間は
ミラージュ近辺の惑星に行くのが困難だというのに」
　友人も声を潜めて、お手上げだという仕草をした。
「そのミラージュ人もここまで来るのが大変、且つ、情報収集は命がけだよ。友人よ」
　と、意地悪く返した。
「君への報酬を一割をくれるなら、私の知人を当たってもいいけど？」
　私は笑みを浮かべる。危険を伴うのだ。それ相応の対価を戴かないと割に合わない。
「……それでいいさ。彼女に会えるなら」
「では、引き受けましょう。まずは彼女に関する詳細な情報をくれるかな」
　と、私は携帯端末を取り出した。