ENo.1363 異世界の二人

立ち寄った街での休息。
少なくとも、魔物から不意打ちを喰らうことは無い。
訪れた誰もが、思い思いの食料や嗜好品を調達し、装備を調節して、情報を得ようとする。
特に、来て間もないランにとっては、世界観を深める為の貴重な時間だとも言える。
個人で行動するのも良かろうと、シュノイは連絡用の魔具を二人に渡した。
それは服に付けるタイプで、見た目は赤い宝石のカフスのようだ。
シュノイはホオヅキに、甘いものを食べすぎないようにと、しっかり釘をさす。

「太って困るの、ホヅキなんだしさ…」
「大丈夫だってば。今の時期、ちいと膨らんだ方が暖かいくらいだよ」
「痩せる術なんて…知ってても、かけないからね？」
「知ってるんだから、勿体振るなよー。…ん、焼き菓子の匂いがする」

言っているそばから、ホオヅキはフラフラと歩いて行ってしまった。
シュノイは仕方のない人だと、がっくり肩を落とす。
医療に携わる身としては、つい、あの糖分摂取のしかたが気になってしまう。
出来立ての温かいココアに砂糖を山盛り八杯入れて、ホールケーキを一緒に食べる。
甘いとか、おやつだとか、そういう問題を飛び越えている食べ方だ。

「本当、しょうがないな…ホヅキは。
…さ、ランも…見ておいで。私とホヅキが…最初にいた街とは、また…違うけれど。
このセルフォリーフを、理解するには…十分過ぎるだろうから…」
「了解致した。…伯爵殿、貴方はどうするつもりで？」

聞かれれば、シュノイは冒険者が開く露店の集まりを指差した。

「他の人の…借りたい技術が、あるんだ。露店を…覗いたら、宿にいるよ。
…宿にいなかった場合は、妖精の宿の方に…いるかもしれない」
「さようで。…ではしばし、探索してくる事にします」

ランが去ったので、シュノイも目的を果たしに行くことにした。
ただその前に、目の見えないホオヅキの為、宿の目印なる香りを残す。
長年、一人で旅をしていたホオヅキが迷子になるとは考えにくいが、安全策は持つべきだ。
シュノイは香りの効果を確認すると、露店が広がる街道へ向かった。

［ホオヅキ］

この街は静かだ。
いや、悪い意味じゃ無くってな。雰囲気と言うのかな、肌で感じる空気が、そんな風に思えるだけでね。
足音や反響からすると、街全体の材質は石みたいに丈夫で、冷たい建築材か。
通り抜ける風がそこまで増幅してないのを考えると、高くて密接した建物は少ないかな。
耳の底に響く、硬くて高い音。俺は嫌いじゃない。

目が見えないっていうのは、どこの世界でも、他人に影響を与えやすいらしい。
よくガラの悪そうな声のヤツとかいるが、これが言葉少なに、ドアを開けてくれたりする。
流石に一人歩きの街中じゃあ、杖を使って歩くから、余計に目立つんだろうね。
さっき寄った菓子屋の兄ちゃんも、ぶっきらぼうな喋り方はしてたよ。
俺を心配しての言葉なんだろうけどさ、ちょっと刺があるんだ。
声の質とか考えると、腕っぷしの強そうな外見してそうだな。後で、二人に見てもらおうか。
俺の外見予想が当たったら、俺の勝ち。勘と理性が裏読み勝負。今のとこ、勘が圧勝してるけど。

ああでも、あの兄ちゃんが作ったパウンドケーキは美味いな。重い手触りだけど、舌触りは悪くない。
こういう柔らかいケーキが焼けるヤツは、根が優しいんじゃないかなあ。
俺は、そう信じたいよ。

そうじゃなきゃ、釣銭をキッチリ計算しないだろうし、他の客も来てないはずだし。
隠してるモノっていうのは、どこからバレるか分からないもんだからな。

さあて、次は何食べようかなーっと。

［エランジ］

撫でられ疲れというものが、ある。
少なくとも、某にはある。今まさに、その状態だ。

決して愚痴ではない。間違えるなよ。

そう、つまりだな。
己が予想していたケースより、斜め上の事がなされただけ、なんだ。
ホヅキ殿が、あれほど動物好きだとは。いや、むしろフェチね度合いか？
手触りが良ければ何でも、とは言っていたが。
確かに某は、民の安全を守る者として、みだしなみには気を使ってはいる。
評判というものがあるのだから、気は使わねばならんのだ。
いざと言う時は、こちらから協力を仰ぐこともある。だからこそ、だ。
印象が敵を作る事もある。お互いに、人間なのだからな。

しかし、首元から胸にかけて、酷くモヤモヤした感じがするのは、撫でられたからだろうか。
気が遠くなるほど、ひたすら撫でられてたような。気がついたら、寝ていたような感覚はあったが…。
…忘れよう。犬に成り切っていたなど、そんなはずは…。はずは…っ。

あと、尻尾がジンジンする。ちょっと痒くもある。
もしや、掴まれすぎか？移動の度に掴まれていた覚えがあるぞ。

むむう、こうも身体を触られ続けたのは初めてだ。
敵に縛られ、なぶられ続けたことなら、数回あるものの。
うかつに獣姿で移動なぞ、出来んな…。後が怖い。
だが、犬の姿に変化してくれという頼みを断るわけにもいかん。
伯爵殿の、大事なご友人なのだからな。
それに、個人で嫌いになったわけでもない。そこはハッキリさせるタチだ。

しかし、このセルフォリーフという世界は不思議だ。
身体能力の一部が抑えられたり、妙な姿をした魔物がいたりする。
前に伯爵殿が紹介してくださった緑の球体は、こういう世界から連れてきたのだろうか。
ナントカ雑草と名乗り、喋ってたヤツ。今も森で暮らしてるはずだ。
丸いクセに手足はあるし、柔らかいし、頭に花は咲いているし。
あまつさえ、喋りに謎の言葉が出てくる。

「マミられる」とは、一体なんなのだ。新手の魔術か？
伯爵殿のご兄弟から異世界の土産として頂いたという妙な箱を操り、動画に喜んでいた。

ああいう訳の分からないヤツは、依り代にしたくない。
魔物と遭遇する時は、いつもそう祈るばかりだ。

お、刃物を扱う店か。一つ、見聞を広めることにしよう。

［シュノイ］

この世界に、体が慣れてきた。
体内魔力の流れも大人しく、過剰に魔力が湧く様子も無い。
今回の異世界旅行には、ホヅキがいる。太陽に当たりすぎて倒れたり、魔力を吐くような真似は避けたい。
心配させてしまうのは元より…悪戯させるチャンスを与えたくないのも、ある。

それにしても、異世界の顔見知りが同じ世界に集まっていたのには、少し驚いてしまった。
成長した姿は元より、次の世代なる子供が訪れていたりして。
ああ、私も歳をとったのだと、実感してしまった。
私の一族の平均寿命を考えれば、まだまだ若造の部類に入るけど…。

…子供と言えば、兄さんの双子達から連絡が来ない。
闘技大会に出るチャンスを得たので、体力を余らせてる二人が暴れられるようにと、手紙を飛ばしたのに。
手紙が時空に捕まったか、まだ学院の実験にてこずっているのか…

キィンと、高い音が響いた。
正確に言えば、シュノイの耳だけに、その音が届いた。
連絡手段の魔具が、通信が来たぞと呼んでいる。
シュノイは道の端に寄り、壁に背を預けた。
袖の中から本を取り出して、表紙を指で叩き、ページを開く。
ページに現れたマークを見ると、通信の種類はプライベートだった。
応答の意をなす魔力を指先に、マークへ触れる。

「叔父様！」

ホログラムのように現れた女の子が、シュノイを見て声を上げた。
先がくるんと巻いた黒髪に、紫の瞳。

「ベルーガ。返事が来ないから、心配していたところだよ…」

ついさっき気にかけていた双子の片割れが、ようやく連絡をしてきた。
外見は十八才程度にしか見えないが、すでに成人済みの学院生だ。
半透明の姿を見せるベルーガは、少しだけ苦笑いを浮かべる。

「ごめんなさい！どのくらい遅れてしまったのかしら。
私、そっちとの時間差を知らないのだけど…。叔父様、着いて何日目？」
「もう十日になるかな…。そろそろ、日が沈む事も…考える時間だね」
「えーっ！こっちは、手紙を貰ってから二日経った頃よ。すごいタイムラグ…」
「まあ、気にしなくて良いよ…。カミューは？」
「お父様と手合わせをしているわ。その後、お母様に髪を切ってもらうみたい。
まだ準備が出来てないから、そっちに行くの、数時間後になってしまうの」

シュノイは指を唇に当て、小さく唸りながら思案した。
自分の世界とセルフォリーフとのタイムラグが酷いので、双子が来る日にち、時間が読めない。
あちらの数時間が、こちらの数日になりかねないのだ。

「出来るだけ、ラグが無いことを…祈るけどね。…移動の準備が済んだら、また連絡して欲しいな…」
「うん！…あっ、そっちでの宿の事だけどね、お父様から空間を貰う事にしたの」
「一から、時空を裂くの…？」
「じゃなくて、すでに造られてた空きの時空間をね。
家具の移動は、大まかに終えてあるの」

ベルーガは、嬉しそうに言う。
無数に存在する時空の、小さな穴を拡げ、魔術で部屋のように固定した空間は、
そう簡単に造れるものではない。
シュノイの兄は「空間」の操作に長けているので、穴を拡げてはストックしている。
言わば、いつでも入室できる秘密の部屋だ。

「それは…良かったね。確かに、兄さんの造った空間で寝泊まりなら…安心だ」
「でしょ？あ、カミューが手合わせ終えたみたい。もう切るね」
「分かった。早く、準備しておいで…待ってるから」
「うん。それじゃあ後でね、叔父様！」

ベルーガの姿が雲のように消えて、通信は終了した。
本を袖にしまうと、シュノイは空を見上げた。
風が冷たくなり、太陽が傾き始めている。時間は思っていたよりも経っているようだ。

改めて、用事を済ませてしまおうと、シュノイは壁から離れ、人混みに紛れていった。