ENo.136 エルヴィラ・コンラート

「エルは何か苦手なアトラクションってある？」
「別にないですよ」
　遊園地内の喫茶店での結佳とヴィラのやり取りを、エルは少し離れた席から耳を澄まして聴いていた。

　そもそも遊園地に来たのが昼頃だったということもあり、まずは昼食を済ませてから楽しもう、ということになったのだ。
　いや、エルがそうさせた、といった方が正しい。
　集合時間を指定したのだ。

　■

「なんで昼なのよ」
「……どうせ夜も、というか次の日の朝まで楽しむんでしょう？
　朝から目一杯楽しんで夜に体力残ってないっていうのも……ね」
　結佳からのメールの返信を書いていた時の会話である。
　不満げなヴィラの文句に対し、携帯から顔を上げたエルは半分呆れた表情でそう返した。
　作戦の為の詭弁ではあるけれども、半分は本音でもある。
「あたしは別に平気だけど」
　なおも食い下がるヴィラ。
　エルは「はぁ……」溜息を吐き出してから、再度口を開いた。
「言うと思ったけど、『前例』がないじゃないですか。保証がどこにあると？
　貴女は活動が夜型だし、逆に私は基本的に夜遊び自体しないし……」
「たまに思うけど、あんたその意味では寂しい女よね」
　放っておいて、と本気で口を尖らせていると、「ま」ヴィラは諦めたように頭を振った。
「あんたの言うことも尤もね。朝よりも寧ろ夜の方がお楽しみなハズだし……」

　■

　――ということがあったわけだ。
　尤も、集合時間を指定した真の理由がそれであるわけがない。
「じゃあ絶叫系とかも大丈夫ね、よしよし」
　ヴィラの返事を聴き、結佳はテーブルに広げた園内地図を指さしチェックした。
　エルの席からはヴィラは背中しか見えず、結佳の姿は（ヴィラを含めた数人の客を挟んで）正面にある。
　その位置取りを選んだ理由の一つは、変装しているとはいえヴィラに姿を見られるのは拙い気がすること。
　もう一つは、結佳の性格の問題だ。
　結佳は兎角その日の予定を最初に決めてしまってから行動する傾向にある。
　つまり最初にその予定を此方も掴んでしまえば、エルとしても行動を起こしやすい。
　更にこの場で、エルにとってもう一つ幸運な出来事が起こった。
　すなわち、ヴィラが絶叫系を「平気」と言ったことである。
　彼女は先日も体力面を誇っていたように、何の確証もないことについて見栄を張りがちだ。
　いや――今回に関してばかりは、完全にヴィラはミスを犯した。

　エルは絶叫系が苦手なのである。
　元々同一存在であったヴィラが、体質的に平気なわけがない。

　■

「……さっきから思っていたのですが、αは一体何をしているのです？」
「尾行……だと思いますが」
「そんなことは分かっています。何のためにそんなことを行なっているのかと訊いているんです」
　見たままのことを言う従者の男に対し、アガットは不機嫌な顔でそう告げた。
　同じ喫茶店の、エルから更に離れた席に、アガットと従者はいる。
　アガットの服装は極普通の、白いワンピースに変わっていた。
　流石に入園前のあの服装では周囲の目をひきすぎる、と男の指摘があった為だ。
　とはいっても、現代日本に赤髪の人間など目立ちたがりでもなければいない。
　故に、やはり一部の注目を浴びてはいたけれども――元よりそれを気にするアガットではない。
「αは元よりこの世界にいる存在なのですから、もっと堂々としていてもいいでしょうに」
　実際の状況からするとややピントがずれた疑問ではあるけれども、アガットにはそれが心底不思議だった。
　すると従者は、眉を八の字に曲げ――やや困惑したように頭を掻いた。
「それがですね、ちょっとややこしいことになっているようでして……」
「と、言うと？」
「これをどうぞ」
　首を傾げたアガットに対し、一束の紙束が手渡される。

　それはここ数日にかけ行われた、エルとヴィラそれぞれの身辺調査の報告書だった。
　当然二人分ともに、結佳の名前がある。
　今回の状況に深く関与している為か、彼女についてもやや詳しく記載があった。
　エルに対しての特別な感情と、ヴィラがどうして彼女に心を奪われているのかについても、である。
　後者はその時を実際に見ているわけでもないので、状況証拠から考えられる推測ではあったけれども、間違ってはいなかった。

　報告書を読み終えたアガットに対し、従者は告げる。
「どうやらαは、現在の歪んだ状況をどうにか……それもβと白浜結佳双方を出来るだけ傷つけないように打開しようとしているようです」
「……随分と回りくどいことをするものですね」
　アガットは肩を竦めてみせる。
　結佳はともかく、異分子たるβを気遣うαの気持ちが理解出来ない。
　けれども、どうやらそういう問題だけではないらしい。というのは次の従者の言葉で理解出来た。
「おそらく、ですが……αは直感的に、自分が二人いるということを他に知られる危険について気づいているのだと」
「あぁ……」
　それならαが必死になって面倒な手段を取る理由がわからないでもない。
　突発的に発生した異分子という存在は、世界の因果を狂わせる。
　ところが、このαとβのような存在の場合――当事者以外の世界の人間が、『分かれている』ことを認知しなければその狂いは起こらない。
　この世界の都市伝説にドッペルゲンガーというものがある。
　ということをアガットは訪れた後で知ったけれども、それもその一種なのである。
「ある人と同じ存在がもう一人いる」ということを「ある人」以外が知らなければ、都市伝説はそもそも生まれない。
　人が死ぬことも、ない。
　――裏を返せば、ここでαが自分が二人いることを他の人間に知られた場合――。
　そこまで考えが至っているかは分からない。
　けれども、『直感的に危険を感じ取る』というのならそれを否定することも出来ないだろう。
　現に、最悪のケースを避けるようにαは動いているのだから。
「……というか、αにこの世界で死なれるのも困りますけどね」
　アガットはそう呟いて、カップの中の紅茶を啜った。

　■

　予想通り。
　ヴィラには悪いけど、と思いつつもその様子を見たエルは小さくガッツポーズを作った。
　結佳とヴィラは遊園地自慢の絶叫系――およそあり得ない角度の急降下があるジェットコースターに乗っていたのだけれども――。
　ゲートから出てきたヴィラは明らかにげっそりとしていた。それこそ結佳が心配そうに肩を抱きかかえるレベルである。
　当然乗らずに観察していたエルも心配ではあるものの――今はそれどころではない。
　このままべったりされていると予定は行えない。
　けれども、そうもならない確証があった。

「ほ、本当に大丈夫……？」
「大丈夫、ですってば、ほら。ちゃんと自分で歩けますし……」
　とは言うものの、誰の目から見てもヴィラの足はふらついている。
　顔も真っ青になっており――。
　案の定、とも言うべきことを次にヴィラは口にした。
「す、いません……。少し、お花摘みに行ってもいいですか？」
「え、ええ……」
　結佳は心底心配そうに肯く。胸中では絶叫系に乗せてしまったことを後悔しているに違いない。
「私もついていく？」
「……いえ、でも、大丈夫ですから」
　どこが大丈夫なんだ、とは流石に結佳も言わなかった。
　こういう面での強情さはエルでも見ている筈だ。
　別人だと知らないとはいえ、いつもと違うように見えない以上意思を貫こうとするだろうと思ったらしく、彼女はそれ以上何もいいはしなかった。

　そうして、結佳を近くのベンチに座らせて、ヴィラはトイレへ駆け込んでいく。
　結佳には見えないように、エルもまたそのトイレに足を踏み入れた。

「……な、に、すんのよ……！？」
「……ごめんなさい。
　でも、次気がついた時、きっと貴女だけじゃなく――皆、目が醒めてると思うから」
「……あんた、まさか……！？」

　■

「……遅いわね」
　ベンチに腰掛けて、早二十分は経とうとしている。
　流石にそれだけの時間トイレに篭りっぱなしというのは、何かあったとしか思えない。
　やっぱり自分も行こう、と結佳が立ち上がった所で、
「お待たせしました」
　声をかけつつ、走り寄ってくる――服装を先ほどまでのヴィラに揃えた、正真正銘エルの姿があった。
「大丈夫なの？」
「はい、大分すっきりしました」
　肯いて答えるエルの顔色は、確かにさっきより大分いい。
「……とりあえず、よかった。でももう変な見栄を張っちゃダメよ？」
　ごめんなさい、と首を縮めるエルの頭を軽くポンと叩いて、
「それじゃ、続きといきましょうか」
　自分も気を取り直すつもりで、結佳は言った。