ENo.987 Cecgii=Verwandt

「移動？」

タルタスから一番近い街へ移動することが決まったのはつい昨日のこと。

リオゼラの家に厄介になって数日。
漸く、買い物に行く程度にならタルタスの街に慣れてきたところだった。

タルタス周辺はそれほど気性の荒い敵はいない。
…完全に安全かと問われれば首を縦には振れないが。

それでも、生命が脅かされるほど危険な地域ではないはずだ。

だが、世界の障壁について多くの情報を得るためには一つの街に留まるのは得策ではない。
多少の危険は承知の上、タルタスから動くというのは殊勝な判断だろう。

それに一度行動を共にすると言った以上、中途半端なところで降りるのは何となく落ち着かない。

だから文句はない。文句はないのだが。

「めんどくせぇ。」

ぽつりと小さくこぼし、紫煙を吐き出す。

我が物顔でソファーを占領し、何をするでもなくただ天井を見上げた。

面倒くさいことは嫌いだ。昔から。

煙草の火が手につくギリギリのところまで吸い、
盛大に溜息をつきながら灰皿に押し付ける。

そうして、ようやく重い腰を上げ荷物の整理に取り掛かるのだった。

鞄の奥に転がっていたメモ帳を手に取る。

そういえば、今回は全然これを触っていない。
メモ帳の最後のページは10日前のままだった。

ただ一言

”しばらく頼む”

と。

奴らと行動をともにするようになって10日経つ。

これだけ長い間、外の人間と関わるのは久々だと思った。

今回、俺が目を覚ましてから10日。

どうせあいつのことだ。
何か目的があって出てきたのだろう。

それなら早めに替わってやったほうがいいのかもしれない。

いつまでも目的がそこにいるとは限らない。

今回の俺は所詮”場つなぎ”でしかない。

得体の知れぬものの陰に隠れることにより得たその安心感と虚無感に、
自嘲がこぼれた。

カサリと紙が擦れる音がする。

少し離れたところでファングが難しい顔をして分厚い本を読んでいた。
そうしていると、白衣もなかなか様になっているような気がしないでもないが、
学者は本を鈍器にチンピラ共に突っ込んでいったりしない。

奴らのことは気がかりではあるが、ほっとけばなんとかなるだろうとも思う。

俺が気にするほどのことでもないし、気にされたところで迷惑だろう。

新しい煙草を取り出し、口に咥えて火を点ける。

ここ数日で部屋がヤニ臭くなった。
家主は気にしないのだろうかと思い視線を移したが、
相変わらずぼーっとした顔で窓の外を眺めているようだった。

まあいいか。

メモ帳の次のページを開き、短く文字を綴ってインクが乾くのを待たずに閉じて鞄に突っ込む。

この家とももうお別れだ。

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乾いた風の中を、音もなく漆黒が振り下ろされる。

悲鳴もなく、人の息遣いもなく、
その軌道上は静かにまっすぐに赤く染まった。

ただひとりの男が立っていた。

手には不釣合いな黒い大鎌。

フードを深く被っているため表情は見えない。

男が大鎌を持ったままの右手を掲げると、
それは黒い霧となって霧散し、男の肩に収束する。

「…本当にこっちで合っているのか？」

誰に話しかけるでもない声が、静かに響いた。

霧の中から小さく、カタリと乾いた音が鳴る。
その音に応えるように、顎に手を当て考える仕草をする。

「…本当に来てしまうとはね。いや、来れてしまうことに驚くべきかな。」

収束した霧は、鳥のような形になっていた。
顔と思しき部位が点々と赤黒く光る。

「科学者とやらも、なかなか変わったことをしてくれる。
　尤も、帰り方くらい教えてくれてもばちは当たらないと思いはするけど。」

薄く口元に笑みを浮かべながらぼやく。
視線の先にはタルタスの街。

まあいいか。

「時間は有り余るほどある。たまにはこういうのも悪くない。」

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虚像が実像に成り代わっても、虚像は光を結ばないのだと