ENo.937 綾辻優衣

「…んー、気持ちいいですね。」
霊峰富士。
その頂上で彼女は深呼吸する。
空気は薄いけれど、
ここまで登ってきた実感と、
その達成感が最高のスパイスだと思う。
どうしてこんな所にやってきたのか？
本人曰く、
これも健康と修行との事らしい。
しかし――
そこから見下ろす風景は素晴らしく雄大で、
自然の偉大さを思い出させてくれる。
眼下には鷹が雄大に空を舞う姿も見える。
「素晴らしい――」
そんな様子に彼女の口からため息がもれる。
神様は見えないけれど、
こんなにも美しい光景なのだ。
目に焼き付けようとじっと見る。
(嗚呼、
なんて素晴らしい…)
そして、
此処にいるのは今は彼女一人だけ。
ゆっくりとお弁当を広げる。
茄子の漬物とお握りというシンプルなもの。
けれど、
其れで十二分。
お腹は満たせるし、
何よりおいしい。
これに勝るものはない。
ゆっくりとこの素晴らしい光景を見ながら、
お弁当を食べようとして…

目が覚めた。
「………いい夢、でしたけれど――」
やはり今日も神様の夢は見れなかった。
けれど、
彼女もひょっとしたらあんな人生があったのだろうか？
彼女はそう思うと…
少し寂しい気持ちになった。
迷いは捨てたけれど、
夢で感じた幸せもまた、
幸せの一つの形なのは理解しているから。
――
そういえば、
今日は正月。
という事はあれは初夢という事になるのだろうか？
一富士、
二鷹、
三茄子。
吉夢とよばれるそれ。
ならば、
彼女に福が訪れるのだろうか？
だとすれば、
それは――
「…願わくば七福神くらいが出てきても――
　贅沢、でしょうか…」
しかめ面をする彼女。
可能性はないわけではない。
けれど、
今までそんな期待を何度も打ち砕かれているのも事実。
だから、これは空っぽの願い。
叶わぬ希望。
だからこそ、
彼女はすがり離さない。
いつか、
だからこその苦渋。
願いは叶わず、
願いを抱いたまま彼女は前に進むしかない。
無駄と分かっていても。
虚しくはないのだろうか？
悲しくはないのだろうか？
夢を見て走っているうちはいい。
彼女は常に走っている。
けれど、
ふと立ち止まってしまったとしたら――
きっと彼女はそこで終わってしまうと思う。
だから、立ち止まれないし、
彼女は立ち止まらないのだろう。
だって――
全て、彼女は知った上でそうしているのだから――

今日も今日とて同じ行動を起こす。
そして、その結果が――
「ころなはおなかがすいてる。
　おまえ、たべてもいいよね？」
これである。
今、彼女の目の前にいるのは一人の少女。
紅い瞳と血に塗れた服。
さらに首のタグと服のぼろぼろな様子から、
まるで何処かから逃げてきたかのよう。
けれど、
――違う。
あれは見た目通りの生易しい存在ではない。
物怖じしない様子、そして――
「おいで？かりのじかんだよ」
ころなというらしい少女の発言。
彼女の脳裏に警鐘が鳴る。
あれは危険な存在だと。
けれど、
だから――
彼女は構える。
ころなという名の試練へと。
(貴女が強ければ強いほど…)
ころなの影が膨れ上がり、
奇妙な生き物が現れていく。
不気味な声に、
不快な臭いをまき散らしながら。
その姿はまるで邪神の如く。
其れを見て、普通ならば恐怖するだろう。
だが――
(私の心は――
燃えあがるっ…！)
唇が歪む。
それは恐怖ではなく、
喜悦。
喜びである。
余りにも嬉しくて、
そして、
「おいで？みんなでおいつめよ」
どういう原理なのかは分からない。
けれど、
彼女の傍には得体のしれない何かが詰まっている。
彼女がそうして何かを呼び覚ましたのであれば――
こちらも数を補うだけ。
蛇と天使を呼び出す。
そんな様子を見ても、
相手は動じない。
冷静に彼女だけを見て追い詰めてくる。
彼女に向けて、ころなは右手を向け――
その右手が爆ぜるように膨らみ、
大蛇と化して彼女へと襲い掛かった。
彼女はそれを見て、
すぐに懐に飛びこむ事でかわす。
が…
それを見てすぐに反転する蛇の体当たりを喰らってしまう。
追撃の攻撃は受けてしまうものの、
すぐさま攻撃を返す。
一進一退の攻撃、
だが――…
そう上手い事は続かない。
すぐさま舞うような攻撃が彼女へと襲い掛かる。
なす術は無い。
早くも華麗な動きに翻弄され吹き飛ばされる。
だが、
それで一つの事に気づいた。
(一撃はそう重くはない――)
そう。一発一発はそう重くない。
とはいっても、
彼女にとっては痛い攻撃である事には変わりはない。
ならば狙うべきは――
生臭い奇妙な生き物から。
攻撃を阻まれ、
防がれしながらゆっくりと近づく。
そして、掴みあげ…
一撃、二撃。
左と右の拳を叩き込む。
それで、終わった。
奇妙な生き物の、
生臭い体がぐにゃりとひずみ、
どろどろとした汚泥となって流れる。
そして、少女の影へと戻っていった。
「おつかれさま」
「成程、貴女の一部という訳ですか――」
面白い。
一体この少女はどれほどの物を秘めているのだろうか。
続けて呼び出された土の精を殴り飛ばす。
一枚、
一枚と、
相手を追い詰めていく。
だが、不意に限界が訪れる。
「くッ…あ…！」
彼女の膝が落ちる。
そのまま蛇に弾かれて身体が飛ぶ。
地面に何度もたたきつけられる。
意識は途絶えぬものの、
ダメージは大きい。
「ぐッ…！」
そして、彼女は動向をみる。
相手はどう動くのかを。
未だ天使と蛇は健在。
そして、
相手も彼女を倒すので限界だったらしい。
天使と蛇の攻撃の前に倒れる。
(痛み分け、ですか――)
それでも、いい…
次に会う事があったなら――

＊　＊　＊　＊　＊　＊　＊　＊　＊

「新年あけましておめでとうございます。」
父親に、母親に。
親戚に。
新年の挨拶をする。
皆その姿に笑って可愛いと言ってくれたのが懐かしい。
神様にも。
今年こそは、
声を聞かせて下さるようお願いをした事もあった気がする。
無邪気だったあの頃。
あの時の彼女が、
今の彼女を見たらどう思うだろうか？
嘆き悲しむのだろうか？
やっぱりと憐れむのだろうか？
それとも――
…
誰にも分からない事。
もう戻れない時の事なのだから。
でも、
もしも戻れたら？
今の彼女はどうするのだろう？
あの時に戻るだろうか？
幸せだったあの時に。
辛く苦しいだけの今を捨てて。
否。
きっと戻らないだろう。
辛く苦しい事は試練なのだから、
きっと彼女は逃げ出さない。
本当ならば、
本来ならば、
逃げてしまってもいいというのに。
逃げてしまう事を望まれているというのに。
真っ直ぐな性根。
ここで叩きのめされて、
打ちのめされて――
ここですら居場所がなくなって初めて――
彼女は戻りたいと願うのだろうか？
そんな日が来ればいい。
そんな日が来なければいい。
そんな葛藤が、
本当は彼女の奥底にあるのではないだろうか？
そうであればいい。
そうでないのであれば――
きっと彼女に救いは永遠にないだろうから――

＊　＊　＊　＊　＊　＊　＊　＊　＊

身体を休め前に進む。
其処に現れたのは巨大なクリオネ。
「――」
こんなものが陸にいるとは予想外だった。
仕方がないので、
蛇を呼び出す。
クリオネと蛇。
相性は分からないが――
クリオネは攻撃が苦手らしく、
薄い膜で回復と、
攻撃の反射を行ってきた。
単調な戦法。
だけどそれは効果的。
回復は相手を叩きのめす時間がかかり、
反射は攻撃を封じながら、
ゆっくりとこちらをいたぶってくる。
大きな打撃を叩き込んで反射されたら、
痛い目をみるだろう。
けれど――
幸いにも蛇が反射を請け負ってくれたため、
存外楽に打ち倒す事に成功する。
とはいっても、
殴り続けていただけで、
別段変わった事はしていないのだけれど――
他に出来る事もないのだから、
仕方ない。
「ふぅ――」
己の未熟にため息がでる。
それでも、前に進まないと――
次の相手は誰なのだろうか――