ENo.439 シャンデ・ヴァレーザ

Christmas Link After 〜And a Happy New Year〜

『悪魔を見なかった？』

光の色した髪の姉さんは笑わない目の奥でそう尋ねた。
覚えが無ェ。
そう答えた気がする。
どくりと一度、左腕の薬石が脈打った気がした。
ぼろり。
少し乾いた泥人形が崩れて行く様な、そんな光景が何故か頭をよぎる。

『あなたは邪悪なるもの？』

そんな物騒な質問でも、話題が変わったことがありがたかった。
軽口を叩きながら動かす左腕で鳴らす鎖の音は奇妙に鈍い。
冷えたベンチに負けないくらい冷え切った体の芯に、
姉さんがくれたスープはやけにすとんと落ちた。

それが確かちらちら粉雪舞う、年の終わり。

「…ん」

一度見たきりの後姿が広場を横切った気がして思わずベンチを立った。
新しい年を迎えざわつく広場の一角。
気付いているのかいないのか、その足取りは緩められることなく開けた辺りを離れようとしている。

「おい、なぁ」

やっと追い付く頃には紛れる雑踏も途切れていた。
肩を叩きがてらくるりと目の前に回り込む。

「ちょいと、スープの姉さん」

言葉に緑の瞳は軽く意外そうに瞬いた。

「あぁ、クリスマスの」

そう言うや否や表情は挑戦的な笑みに変わる。
視界の隅に認めた体の影に隠された片手は既に得物に掛かる様に形を作っていた。

「何か思い出したのかな？」
「あーいや、そーじゃぁ無ェんだが」

両手をひらひらとさせてから帽子のつばを軽く持ち上げる。

「姉さんゴセンモンぽいんで聞くんだが、こないだ言ってた悪魔ってのぁ」
「見たの？」

途端に姉さんの顔から笑みが消えた。
その変化に目をしばたき、打ち消す様に再度ひらひらと手を振る。

「違ェよ待てって。…アンタもスイッチ入る系のお人かい」

苦笑混じりに呟くと綺麗に整えられた意志の強そうな眉が顰められる。

「紛らわしいよ。それで？」
「そりゃ失敬。いやなに、ちっとばかし聞きてぇコトが出来たモンで」
「なら早く聞けばいいでしょ」

ほんの少し、その目の奥に焦げ付く様な何かが見えた気がした。

「率直に、ね」

それはすぐに、軽く瞼を緩める様な笑みの裏側へ仕舞い込まれてしまったが。

「…ハ、やっぱおっかねぇお人だなぁ姉さん」

少し帽子をずらしたつばの影で笑うと、改めて口を開く。

「悪ィがコイツぁ古い癖らしーんでどーにも。つコトでちょいと話ぁ長くなりそーなんで」

ひょいと数歩先に止まったワゴンを親指で指す。
扱っているのは新年の振る舞い物の様で、
決して人だかりの出来る程ではないが湯気を立てるカップを受け取る人々が途切れることもない。
豆と砂糖を水から煮たという甘い香りが時折風に運ばれて来る。

「アイツ一杯、付き合っちゃぁ貰えねぇかと」

少し考えた後でそっちへ向かって歩き出した姉さんは、手近なベンチへ落ち着くと一息おいて口を開いた。

「この間の真似のつもり？」
「いんや？　ま、こんな世界でも偶にゃデートの一つもしとかねぇとってぇコトで」

目が合って、どちらもふっと口元を緩める。

「それで、聞きたいことがあるんだったね」

両手でカップを包み込む様に持つ手は白く、細い。
何故このなりで悪魔などという物騒なものを追い掛けているのかは分からないが、
姿を見かける内に聞けることは聞いておいた方がいい。

「まーな。その、姉さんの知ってる悪魔ってのぁ」

曖昧な映像を言葉に置き換える間、ず、と何やら甘ったるい茶色と紫の相の子の様な中身を一口啜る。

「…くたばっ時体ぁぼろぼろ崩れたりするモンかい」

言葉の後、僅かに首を傾げる様にして相手を窺う。
質問がどの程度予想の範囲内だったのか、驚く素振りは無かった。
同じ様にカップを傾けた姉さんはこくりと喉を動かすと真っ直ぐこっちを見て笑う。

「…まるで見て来たみたいだね」

ただ、その笑みは抑え難い何かと他人へ向ける為の表情が鬩ぎ合う様な複雑なもので。
あぁやっぱこの人ぁおっかねぇな。
そう、返る言葉を待ちながら思った。

Character Link：Eno.168　ステラブライエ様