ENo.398 シェリー・クレドニアス＝スミス

私は暗闇の中にいる。
湿った土と岩を身近に感じている。身動きが取れない。
きっと、とても細い穴蔵か鉱山道にいるのだ。
目の前には憔悴した彼の顔があった。
彼はそれでも優しい声で、手を貸してくれと言う。
私は目一杯腕を伸ばす。
それでもその手は彼に届くことはなく、まるで崩れ落ちるかのように彼の姿は見えなくなって、
そして、

私の悪夢はいつもそこで途切れるのだ。

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ここ数日のふわふわした足取りではなく、地に足の着いた感覚に私は体調が回復したことを確信していた。これなら問題はなさそうだ。
倒れてからの記憶はないものの、同行者達に多大な迷惑と心配をかけたことは分かっていた。自分の体調管理が出来ていないなど、あまりに未熟。私はここ何年も感じていない恥ずかしさを持て余していた。穴があったら入りたいとはこういうことだ。
半ば強制的に部屋に閉じここもっている形になっていたのだが、いつまでもそうしているわけにもいかない。新しい街に着いたのならば情報収集は必須だ。部屋にも階段を降りた先にも同行者の姿は見えなかった。日中から宿に閉じこもっているとも思えないから当然のことか。高い日の眩しさを感じながら、私は質素な宿の扉を閉めた。
ここが過去よく分からない二人組が漏らしていたオルゼという街であろうことは察しがついた。思えば随分遠くまで来たものだ。
石造りの建物は馴染みこそないが、冒険者が通りを歩き、それに声をかける露天の声が耳に心地よい。
必要物資を買おうと思ったが、寝ている時にずっと側に居た（であろう）頼りない同行者の顔を思い出してやめた。

そう、それである。
私は露天を冷やかしながら寝込んでいた時のことをずっと考えていた。
あの悪夢は恒常的に見ている。寝起きはいつも最悪だ。リネンから服からが全てぐっしょりと汗で湿る。起きたときに感じるのはあの手を掴めなかった虚無感と罪悪感だ。
それが昨日は違った。夢の内容が少し変わっていたのだ。
夢で彼の手を握ったのは昨日が初めてだった。
正確に言うならば、私が目一杯伸ばした手を救い上げるように彼は手を取ってくれた。私が名前を呼ぶと、彼はほんの少しだけ力を込めて握り返してくれた。
そこで目が覚めて（相変わらず最悪の目覚めだったけれども）眼前に居たのは関内君である。彼の節だった、それでも私よりももっと綺麗で滑らかな手は確かに私の手を握っていた。
――関内君の手を彼と錯覚するなんて！
顔から火が出そうだったのはきっと体調が悪かったから、だ。重ねて言うなら、関内君が驚きと羞恥にまみれた顔をしていたのもきっと気のせいである。
悪夢の中で初めて結末が変わった安堵感と、現実の状況がいまいち飲み込めない何とも言えない感情が頭の中にぐるぐる渦巻いていながらも、冷静に状況判断をしていつも通りの私を演じた、筈である。
関内君の目が丸くなったりそらされたりしたような気がする。着替えのために閉め出してから（いつもはそのような意味のないことはしないのだが）しまったと思い返して、もうどうにでもなれと頭を振った。
関内君に対してどうこう、という訳ではない。ただ、夢の中で彼の――アルバートの手を初めて掴めたことがどうしようもなく嬉しくて、同時に空しかった。

昨日の悪夢は結末こそ違えど、いつも通り私の心をぐすぐすに刺していることには変わりない。
二年前の事故のとき、アルバートが時間を止めたのと同じように、私も時間を止めようと決めたのだ。
その止まった時間をあざ笑うように、あの悪夢は私を罰している、に違いない。
私は関内君の姿をうっかり見つけないように祈りながら、露天を周り、他の武器職人の技量を見て回った。

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「絶対に駄目です」
「……」
とりつく島もないとはこのことだ。
「ぶり返してまた倒れたらどうするんですか。今日は大人しくしておいて下さい！」
要するに今日の戦闘には参加するなということである。彼が語気をここまで強めた姿を初めて見たかもしれない。
そうはいっても、誰かが戦わなければならない。さらに言うなら関内君はそういう面に関しては素人だ。
「そうは言うが君であの敵を対処しきれるのか？　私は素人に銃は貸さないし、この辺りの敵は一層強くなっていると聞いたんだが？」
「確かに僕は素人ですけど……って、何と言おうと駄目です！　いっ、いざとなったら僕が体を張って何とかしますっ」
「冗談じゃない、それで君が倒れたら元も子もないぞ」
「あなたはまた無理するじゃないですかっ」
「またとはなんだ、またとは」
まるで子供同士の喧嘩に聞こえたかもしれない。言い争っていると（多分、私が関内君を追いつめているように見えたのかもしれない。何と言っても以前まではそうだったので）馬鹿みたいに高い履き物を鳴らしながら東雲風早が近づいてきた。顔は若干呆れている。
風早は私に近づくと、こつんと履き物を打ち鳴らす。みるみる履き物の高さが縮み、丁度良い高さになったところで彼女は私の肩を寄せてその腕を組んだ。自分の眉間に皺が寄っていくのがわかる。
「まあまあそう言うな。折角の男の決断を揺らがすものではないぞ」
「危険だ」
「そうかもしれないが、儂とイリーナも居るであろう？　案外何とかなるかもしれん。どうしても心配なら一番後ろで構えているといい。その武器は遠くも打ち抜けるのが利点ではないか」
正論を言われて少し口ごもる。
名前を呼ばれて近づいてきたイリーナは、状況が分かっているのかいないのか、ちょこんと首を傾げた。
「今日はシェリーちゃんがお休みなの？　うん、ちゃんとお休みしておかないとだもんね」
聞き耳でも立てていたかのような物わかりの良さ、何より何も説明していないのに現状を理解している少女に少しひやりとした。当の本人はじゃあ今日はシェリーちゃんと一緒だね、と連れの黄色い鳥に話しかけていた。
「決まりじゃな。まあゆるりと構えておるが良いぞ」

他人の生死をかけた戦いを見ているだけというのは、何とも収まり心地が悪かった。
関内君も準備していたであろう投擲物（鋭いものが大半で、成人男性の渾身の力で投げればまあ痛そうではあった）を使って牽制していたものの、じりじりと距離を詰められていた。このままでは良くない。早期決着を望む為にも、私は腰の銃を引き抜こうとした――のだが。
「熱ッ……」
関内君の顔が歪んだ。彼がかけていた鞄から何かが発光していた。――赤い。
「なっ、なんだ……？」
彼は慌てて光の正体を探り当て、それを手に取った。この間荷物に紛れ込んでいたという鉱物、恐らくはガーネットの類だろうと私が結論付けたそれだった。
風早曰く、魔力を帯びているのだとか。
早く敵に向きなおれ、と内心舌を打つ。しかし私はある違和感に気づいて足下を注視した。ずず、という鈍い音が足下から聞こえる。
「地面が……動いてる」
私が、あるいは誰かが呟いた。
関内君の立っている場所から敵に向かって、蛇がのたうつように亀裂が走る。位置を探り当てているかのように一直線に敵の足下までたどり着くと同時に、今度こそ足下が揺れる感覚があった。
敵の体を地面から吹き出る赤黒い粘性のある液体が焼き払うのを間近で見た私は、関内君と同じくらいには驚いていた。
それが溶岩と言われるものであるのは理解できた。というのも住んでいた地域は山が多く（休火山や死火山ばかりだったが）火山の驚異については重々承知していたからである。
地面から、それも敵ひとりを焼き払う程度の量の溶岩が吹き出ることなどあり得ない。そしてそれは周囲に痕跡を色濃く残しながら、地中深くへと潜り込むようにおさまってしまったのである。
「何だ、今の……」
呆然と呟く彼に、風早は尚も寄ってくる敵を自身の魔術だか魔法だかの術で吹き飛ばすと意気揚々と言った。
「やるではないか！　今のは紛れもない術の一種。見直したぞ」
イリーナがメスを投擲し、その勢いで振り返る。
「すごいねー！　どうやったの？」
「術！？　まっ、魔法とかそういう系ってことですか！？」
「そなたに素養はなさそうだと思っておったんじゃがのー。いやはや分からんものじゃな」
風早はそういうと、助走をつけて勢いよく拳を叩き込んだ。ぴくりとも動かなくなった敵を見下ろすと、ふむと嘆息する。
周囲に飛び散ってなお熱を発しながら冷え固まっていく溶岩をしげしげと観察しながら（イリーナがもう少しで触りそうだったので慌てて止めておいた）その威力を測っているようだった。
「なるほどその石の力が解放されたわけじゃな。……まだ未知数の力を秘めておるが故に何とも言えんが」
そう風早は私見を述べると、関内君の肩をぽんと叩いて笑う。

「喜ぶとよいぞ、それは立派なそなたの力だ」
そう告げられた彼の顔は私からは見えなかった。けれども彼の傷一つない滑らかな手に力が籠もるのが分かった。