ENo.3330 ネイト・グラスウォール

二日も休息したお陰か、涅槃雪の体調も大分良くなったと思われる。
他のメンバーも身体は楽になった。
というわけで、ついに山越えに挑むことになった。
準備は朝早くから行われた。
よって、昨日一昨日と続けた訓練はお休みとなる。
まぁ、慣れない事するもんじゃない。
教会や軍にいた頃も、訓練ってあまり好きじゃなかったしな。
適当な理由でサボった……と言うか、開始前に逃げたりとかしたな。
帰ったときに奉仕活動が待ってたわけだがまぁそこはそれで。
身体動かすこと自体は嫌いじゃないけどね。

「大丈夫かー！？前は大丈夫だぞー！」

兄がちょっと先から声をかけてきた。
それに対して軽く手を上げることで応える。
兄の脇にいる妹も一緒にこちらを振り返っていて
その妹と目があった。
一瞬だけお互い動きが止まるが、
どちらともなく視線を外すとまた前を向いて歩き出す。
昨日ちょっとしたいさかいがあった所為か、どうも間合いが取りづらい。

「……ふっ」

短く息を吐き、目線だけで上を見て肩の力を少し落とす。
首を軽く揺らし再度前を見る。
考えても仕方ない。
今は前に出来るだけ進まなくては。
元居た土地は完全に隔離された半島状態のため
進む場所はもうここしか残されていない。
何としてもここを越える必要があるんだ。

キュッ．．．

後ろ手に繋いだ指に力を込めた。
他人に何と思われようと知ったこっちゃない。
今は……今は彼女がいてくれるだけで……。

「おいい、聞いてんのか？」
「うぉぁ！？」

気付いたら目の前まで兄が来ていた。
てかちけぇ！？

「な、なんだよ！？びっくりすんだろ！？」
「やー、なぁに。そういやお礼言わなきゃなぁと思って」
「お礼？」

なんかしたっけか。
思い当たる所がないので首を傾げる。

「おう、いつも作ってくれてるじゃん。酒とか」
「ああ」

そういえば、今朝も行く前につまめるものを作った。
今日はほぼ移動だけで終わるだろうから本当に簡単なものだが。
だから酒は造れなかった。

「悪いな、酒じゃなくて」
「……？いや、いいぜ。全然、美味かった」
「そ、そうか？」

あ、あれ？
兄は酒が動力源だから酒しか飲めないはずじゃ。

「いやー、暫く酒ばっかり出てくるから嫌がらせかと思ったけどな」
「それは、リクエス……」
「ちゃんとした物も作れるのな、というかあれか？こんな世界だけど嗜好品を楽しめることで余裕を持とうとか」
「……酒以外も摂れるのか？」
「当たり前だろう？」

妹の方を見ると、わざとらしく斜め上を見て

「ぴ〜ぴぴ〜♪」

とか何口笛吹いてんだよテメェ！？

「にしてもどうした？さっきまで前見てたと思ったのに？」
「え？」
「気付いたら俯いてたからさ。まぁ、折角だし話し掛けるついでに礼をなと思ってってのが今のだが」
「……いや、なんでもない」

力を抜くように長く息を吐く。
何だかな、俺以上に他人にかまけてるやつを見ると。
確かに『こいつ大丈夫か？』ってなるな。
まぁ、今は素直に有難いが。
大体、自分が言えた義理でもない。
それに俺の場合は当然のことだが、
こいつのはほぼ１００％善意だ。

「あー、いや……まぁなんだ。まぁ遅れたのはこっちの都合だからな。何とかならないものかと」
「んなのはいつも料理作ってもらってるからいいって」
「いや、でもなぁ」
「それに、彼女はこんな状態なのに戦闘は手伝えるし。それに装飾、アレ彼女だろ？」
「いや……」

それについては、正直よく分からなかった。
兄妹はタリスマン、俺は白いスカーフ。
気付けば、彼女がそれぞれの前に置いたかのような位置に置かれていた。
それも無造作な感じはなく、渡すために形を整えたようにして。

こういうことが出来るのは……過去、鍛冶の経験が有る彼女くらいだと思う。
俺はもうちょっと大雑把な物しか作れない。
繕い物とかならマァある程度は出来るが、さすがに本職には劣ると思われる。

そして、その過去もかなり昔の話だ。
何分、俺が生まれるか生まれないかくらいかって言うのが未だに信じられないが。
まぁ、それが可能なのは彼女がやっぱり自分達とは違う種族だからこそで
そう言う部分は知識では分かって……。

いや、そんなことはどうだっていい。
涅槃雪は涅槃雪だ。
雪がなんだろうが、俺は彼女と一緒に居るんだと決めた。
我侭に巻き込んだ形になるのかもしれないが、
それでも彼女はついてきてくれた。
だから……だから、俺は絶対に彼女を離さない。

また、彼女の手を引く腕に力を込める。
ゆっくりとだか、ちゃんと突いてきてくれる彼女。
振り返ると、無表情だが涅槃雪がそこに居てくれる。
それだけで、今は十分だと思おう。

「ああ、多分な」

脱線しかかった思考を、
顔を戻すと同時に切り替えて答えを返した。

「そうかー、不思議だよなー。でも、有難いぜ」
「そうだな」

それについては、自分もそう思うので素直に返事をする。
このスカーフに守りの力が働いているらしく、傷が多少軽減されていた。
また、これは彼女の意思がまだ完全に消えていないという証明にもなる。

「それに俺たちだけじゃちょっと厳しいところもあるしな」
「……まぁ、な」

俺の返事は少しばつが悪いような言い方だ。
まぁ、それも仕方ない。
この山を登る直前、賊に襲撃されたのだ。
といっても女が二人であったが。
しかし、コレが思うよりも苦戦した。
その身軽さゆえか、こちらの攻撃は思うように当たらず
逆に向こうの攻撃が重くなくとも積み重なるようにして当たってくる。
そして、俺ら二人の前衛は一人を倒す所で力尽きて動けないところまで来てしまった。
もう一人も大分削っていたとはいえ、後立っていたのは雪一人だった。
それを……

「本当に助かったぜ、あそこで負けてたら多分今日もあそこで休憩だ」
「それどころか、無事でいられたかどうかすら危ういだろ」

彼女から漏れる魔力が賊の攻撃を受けながらも相手を弾き飛ばしたのだった。
結局最後まで立っていたのはこちら側。
素早く大勢を整え無事にココまでこれたのだ。
山を登るわけには行かないから麓を迂回するような形での移動だ。
山脈が海を渡す唯一の橋となり、隣の地へと繋がっている。
すぐ脇には切り立った崖に海が見えた。
潮気を含んだ風が強く吹き髪を煽る。

「まぁ、それももうすぐ終わりのはずだ。コレが最後の山だから」
「それだと助かるな」
「向こう側に着いたら、とりあえずは明日すべてやることにして寝ちまおうぜ」
「ああ、こっちも疲れたので、異論はない」

よし、と言うと兄はまた少し離れた先まで行き、そこを歩いた。
少し先を見ていた兄だから、もう少しで終わるといったのだろう。
こっちは、そんなこと気にもかけていなかったからな。

「もう少しで、着くってさ」

歩を止めて、幾分表情を緩めて言う。
海風に煽られ、ほつれた髪を少し整えてから一つ頬を撫でた。
その時、肌がとても冷たく感じられた。
握っていた手はそうでもなかったが、
この風なら冷えて当然かもしれない。
彼女に防寒用のマントを彼女がつけている更に上からもう一枚掛ける。
自分はこの下にコートも着ているのである程度は平気だ。
彼女が喋れたなら、きっと怒ったようにして拒否されてたろうな。
いや、むしろ困ったような顔をするかもしれない。

『私なんかのことよりも、ご自分のことを大切になさってください』

と。
でも、今彼女は俺の心配を何も言わず受け入れてくれる。
むしろ、俺が今してやれることはこれくらいしかない。

「……よし、行こうか」

そう言って、また彼女の前で後ろ手に涅槃雪を引いていく。
彼女は引いてあげないと歩けないため、並んで歩くことは出来ない。
それが、少し残念なような、歯痒いような気がした。
一緒にいるのに一緒にいない気分にちょっとだけさせられるから。