ENo.3 満月の森　夜明の海　王たる者と騎士

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「Last Christmas I gave you my heart　But the very next day you gave it away」
「…………」
「…歌わないんですか？続き」

スティルフの街、宿の一室。
カラフルなモールとツリー、レースのテーブルクロス。
誰が見てもクリスマスだと思うだろう。

鼻歌を歌いながら料理を並べているのはリンディだ。
止まった鼻歌の続きを促すのは長い金髪に赤いつり目の少女、もといパンのフィルンである。

「私は歌が上手くないからな。必要ない」
「この体でならいくらでも歌えるのに…」
「手元が狂いますから。口は差し上げますので、続きを」
「そう？じゃあ――――♪　♪♪」

リンディは女の声、第一人格と男の声、第二人格とを目まぐるしく入れ替えながら会話をしている。
相対するフィルンは今にも掻きむしりそうな勢いで頭を抱えた。

「あぁもぅ！ややこしいっ！」
「ややこしくないわよ。私はリンディ。一人だけ」

二人は街中で出会い、互いの差異に驚き、話は後程というところで別れたのだが。
ディナーに呼ばれたフィルンを待ち受けていたのは混乱LV5フルコース。

「深く考えないでご飯食べてって頂戴。独りじゃ食べきれないの」
「それは頂きます、けど…今日はリンディさん独りなんですか？」
「クリスマス祝うようなのが私だけだから仕方ないわ」

ファニアは己を律する騎士。
カエシスは独りを好む学者。
それに冒頭にあった通り、Last Christmas―去年のクリスマスなのである。

大抵の人々は日記で新年を迎えている筈だ。
一部は文化祭らしいけども。

―――閑話休題。

「…独りなのを忘れていてな。作りすぎた」
「相変わらずさすがですね…すごく手が込んでるなぁ」
「判るのか？そこそこ腕を上げたんだな」
「まだ『リンディ』に勝てる気はしませんけどね」

褒められたことにはしゃぐわけでもなく、至って冷静に謙遜するフィルンに第二人格は小さく笑った。
彼の知るフィルンなら胸を張って『へへーん！私だって成長してるんだよっ！』くらいは言うからだ。

「安心しろ、百年どころか億年経っても私に勝つのは無理だ」
「ぅぐ……」
「二人は相変わらず楽しそうねぇ。さ、できたの。冷めないうちに」
「頂きます」

正面に座って一対一。互いに手を合わせた。
堅苦しいルールやマナーはない。好きなものを好きなように楽しむのが唯一の決まりだ。

パンでできているはずのフィルンが食事が可能なのは彼女の体質ゆえである。
魔力や妖力、呪力を一定量浴びると人間のような体に変質するのだ。
知る人ぞ知る秘密だった気がするが、なぜリンディの記憶にあったかは神のみぞ知る。多分。

「悔しいけど本当に美味しい！パンにも合うだなんてっ！」
「相変わらずパンパンパンなのね…ご飯にだって合うの。捨てるのが勿体なくなる味でしょう？」
「それはもぅ！……それにしても随分多いですね、二人分には」
「二人じゃないもの」

さらりとした一言にフィルンは首を傾げた。てっきり二心同体かと思っていたが―――

「フィもぐぁっ！！」
「リンディ、だ。貴様は頭のスカスカっぷりだけは変わらんな」
「むご、むごぁ…」
「…剥き身の魚肉ソーセージがよく似合ってるわよ。ともかく、あまり『別の名前』を呼ばないで頂戴？」

こくこく頷くフィルンにリンディは満足げに微笑み手を引っ込める。
慣れた動作で口元を拭うと妖艶な笑みを浮かべた。

「私はリンディ。便宜上は主人格…第一人格よ」
「私はリンディ。第二人格ということになっている」
「それから―――」

雰囲気が変わる。謎めいた、或いは落ち着いた雰囲気が。

「初めまして、リンディの第三人格です」
「こんにちはこんばんはっ！リンディの第四人格ですっ」
「！！！！！？」

まだ甘さの残る少年の声。
よく通る澄んだ少女の声。
その二つが順にリンディの唇から零れた。フィルンは目を白黒させている。

「い、いぃぃまのっ！？」
「というわけで四人前あるの。三人分は頑張るからお願いね」
「あのあのあの、あの、今のは…もしや」
「なぁに？」

不思議そうに牛肉の赤ワイン煮をつつくリンディに、フィルンは驚愕の表情のまま告げた。

「ペットですか！？」

「……………なぜそうなる。お前と一緒にするな」
「あ、違うんですね。てっきり私と同じなのかなーって」
「本体の意思を投影しただけの疑似生命体じゃないわ。そもそも、それなら同じ体に入れたりしないでしょう？」

リンディが持つ記憶によれば、フィルンには魂や自我といったものが存在しない。
本体の意思を投影した仮初めの人格がそこにあるのみだ。
主に第二人格が割とひどい扱いをしているのはそれが理由である。
物は物、壊しても痛痒があるわけがない。他人の物なら配慮はするが。

「いあいあ！！今はちゃんと自我がありますよ！魂…とかはよくわかんないですけどっ！本体より大事なものができましたっ」
「そうか。どうなろうとお前の扱いは変わらんが」
「びしゅむぅが一番大事…って文脈無視ひどぃ！鬼！悪…もぅいいや。とにかく、じゃぁその、他の人？は何なんです？」
「秘密」

積もる話をしたいと言いながらのにべもないこの言葉。
あまりのことに開いた口が塞がらないフィルンだったが、リンディは構わず続ける。

「教えたらペラペラ話しまくるだろううが。お前に言うな話すなと言っても守られた試しがない」
「あぅ、そんなことっ……………………アリマシタスミマセン」
「本当に進化も進歩もしてないのね…フィルンらしいけど」
「うぅぅ……それは、別人になっちゃってるリンディさんには敵いませんけど…少しは進歩しましたよ？」

さすがにいじけてハンバーグを1cm角に切り分けだすフィルン。
対するリンディは気にもせずクリスピーを口に運び唇を舐めた。
その唇から無邪気な声が飛び出してくる。

「自己紹介くらいはするよっ！私は音楽が好き！パンより好きっ！」
「第四人格、さんは音楽が好きなんですね。きっと体があったら可愛いんだろうなぁ…」

「僕は一人前の騎士になりたいんです。フィルンさんは？」
「第三人格くんは体育会系？真面目そうだぁ…。私は至高のパンを作るために頑張ってるよっ！」

その言葉に一瞬にして顔をしかめるリンディ。

「まだ諦めてなかったのかゲテモノパンめ」
「あいあい！もぅ変な物入れたりしてませんよ！レシピ通りに作れますっ！作ってますってば！」

じっとりした視線を向けてくるリンディにさしものフィルンもたじろいだ。
確かに色々やらかしたのは知る人ぞ知る事実である。
その頃を知る者からすれば当然の反応なのだが、ここまであからさまな軽蔑の眼差しを向けられることは無かったからだ。

「そ、それにっ！前に会ったときのケーキは美味しかったってリン、………えぇと、第二人格が言ったじゃないですかっ！」
「あれは共同製作だっただろうが。覚えてるぞ」
「くぅぅ…勝てないっ！！！」
「人としては負けられんな。パンには」
「ぅぅぅううその通りだけど納得いかなぃ………」

ほっといたら悔しさのあまり床で転げ回りそうなフィルンである。
リンディは黙々と料理を口に運び、時折さまざまな声で『おいしい』と呟くのみだ。
その様子をみて、ようやく落ち着いたらしくフィルンが疑問を口にした。

「そういえば体はどうなってるんですか？感覚とか…」
「ん…一応共有してるの。空腹とかはひとりぶんよ」
「痛み、とかは？もちろんリンディさんも戦ってらっしゃるでしょうし」

ぽんぽんと胃の辺りを叩くアピールに更に疑問を重ねる。
本来、『感覚』を感じることのないフィルンには『体』と『感覚』を共有していることが不思議らしい。
恐らく、フィルンの『本体』に感覚がないせいだろう。

「そういえば言ってなかったわね。この『リンディ』の体は戦闘で傷つくことはないの」
「どういうことですか？」
「この体が受けるはずのダメージは全部鎧に張られた障壁に行く。障壁の効果が無くなった時点で戦闘から離脱。
　そうなるようにこの世界に来るとき調整した。好き好んで傷つけに来る阿呆は居ないだろうがな」
「それはそうですねっ！一応、この世界を助けに来たって事になってますし」

リンディはふぅ、と小さく溜め息をつき傍らにある巨大な箱に手を伸ばした。
フィルンからは見えない中身をごそごそ手繰りながら半眼になる。

「…お前は何をしにきたんだ。飼い主の家に引き込もっていれば全壊の必要もないだろう」
「必要！？心配とか可能性じゃなくて必要！？」
「実際砕け散ってるのはどこのどいつだ。…と」

ずる、と引き出されたのは箱に負けず劣らず巨大なケーキだった。
二段重ねの下段はベイクドチーズケーキ。上段はチョコでコーティングされクリームや苺、カラースプレーで飾られている。
上に載っているのは『Marry』と書かれたホワイトチョコのプレート。
もしかしたらメリークリスマスと書こうとした名残かもしれない。名残というには誤字が見受けられるが。

「引きこもるもなにもびしゅむぅが出かけちゃって、その後すぐに追いかけてこの間見つけたとこ……って、それは？」
「これね、メイドの一人が送ってくれたの。パンとかお菓子が大好きな子よ」

意味ありげに微笑むリンディだが、フィルンには解らない。
しかしその意図は切り分けられたケーキを口にした瞬間に理解できたようだ。

「これ、この味…どこかで…」
「ふふふ、さぁて、ね？」
「なんか秘密が多いですよリンディさん！…おいしっ」

しっかりとチーズの効いたケーキも、チョコで覆われたティラミス風ケーキも、十二分に味の良いものだった。
フィルンはやや悔しがりながら、リンディは心底幸せそうに（恐らく第四人格だろう）平らげ皿は空になる。

「今日はご馳走さまでしたっ！」
「ご馳走しました。じゃ、またねフィルン」
「…また来ても構わないぞ。ゲテモノを持ち込まないならな」
「気をつけてね、フィルンちゃん」
「ばいばーい！またねっ」
「はい、またお会いしましょぅ！」

少しだけお腹を膨らませたフィルンはリンディに見送られ帰っていった。

「…あの味、まさか、ミル……！？」

鮮明に思い出せる、甘くあっさりしたケーキの味。
隠し味を明かすその声は、闇夜に溶けて消えたという。