ENo.1775 ジル・フェン・イクス

アンジニティの世界に新年があるかはともかく、
不毛の地に祝い事の風習など根付くはずもない。
まして旅を続けるジル一行にその余裕があるわけでもなく
今日も襲い来るワカメマンを撃退していたところだった。

以前の街で負った傷がまだ響いているのかネフィルの動きは鈍い。

「やれやれ、戦力の減退は否めないな」

そう言ってため息を付くジルもまた祝祭の影響で本調子ではない。

「…いつもなら、そろそろ全快してても良い頃なんだけど……面倒をかけてすまない。」

自分の体の治りを確かめるネフィルは歯がゆそうに言った。

「終わったことをいつまでも言うつもりはない。
　せめてこれからのために回復に専念すべきだろう、が手段は限られている…」

慰めのつもりで言ったわけではない、あくまで現実的に考えて出来る事をすべきだと判断したからだ。
ジルは肩をすくめて刀を鞘に収めた。

「…治療はして貰ったから、あとは寝るか、食べるか…」

そう言ってネフィルがちらりとワカメマンを振り返る。地に倒れ伏したワカメマン。
実に見事なワカメだった。磯の香りが強く、近くに寄らずとも漂ってくる。
ネフィルの視線の先に気づいたジルが同じようにワカメマンを見る。

「どうした？これが何か？」

言うべきか言わざるべきか悩んで間を置いたネフィルが小さく口を開く。

「…いや、…この世界に来る前、東の国ではこんなのが料理されていたな、と…」

歯切れの悪い言葉にジルは首をかしげながら

「料理？東の国の料理といっても種類が豊富だが、
　君が指しているのはどれかね？それとこれと何の関係が…」

言いかけてネフィルが慌てるように言葉を付け足す。

「よく覚えていないんだけど…味噌スープとか言ったかな…。
　僕は今、君と共に居て満たされている筈だけれど、
　それでも回復力が衰えているのは食料が足りないから…かも知れない。
　君の料理は素晴らしいし、今まで不足は感じなかったが、
　怪我を治すにはやっぱり栄養が必要なのかと…」
「相変わらず君の賛辞は冗長だな。もっと簡潔に言えないのかね。時間の無駄だ。」

長々とネフィルの口から紡がれる言葉を容赦無くぶった斬る。
放っておけば一日でも一週間でも一月でも
ジルに対して賛美するであろうネフィルに呆れながらも

「…ふむ、味噌スープか…」

小さく呟いてワカメマンを見つつ何やら考え込んだ。

「ぜんぜん言い足りないぐらいだけど…」

不満顔でぼそりと言うネフィルの言葉は煩わしいので無視した。
しばらくして頭の中に浮かんだ考えをまとめ終えたジルが声をあげた。

「とにかく君に今必要なのは休息だ。さっさと今夜の野宿の支度をしておきたまえ。
　こいつの後始末は私がしておこう。」

そう言ってネフィルを追い払うように指示をする。
不満顔のままだったネフィルは反抗するかとも思ったが、
ちょっと肩をすくめただけで大人しく荷物を拾って離れた。
さて、邪魔者がいなくなったから早速思いついたことを試してみよう。
ジルはここ最近では見ない類の楽しそうな笑顔でワカメマンに近づいた。

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翌朝、ネフィルが目を覚まして起きだすといつものようにジルが朝食の準備を済ませていた。
ただその日違ったのは何やら昔懐かしいしょっぱ気な良い匂いが漂っていたのだった。

「…おはよう、ジル…？」
「あぁおはよう。感謝したまえ、君のリクエストに応えたぞ。」

疑問符を浮かべたままのネフィルにジルが満面の笑みで挨拶を返し、
目の前の何か煮込んでいる鍋をかき回した。

「リクエスト？」

まだイマイチわかっていないネフィルが鍋の中を覗き込む。
漂う良い香りと湯気の出所はまごう事無き味噌スープであった。
ただし具は溢れんばかりのワカメだけだったが。

「………ジル、昨日の「後始末」って…」
「なんだ、何か不満が？君の言う栄養のあるものだぞ。」

戸惑うネフィル、そして思ったよりも反応が悪かったことに対してジルは少しむっとした。
それが顔に出たのか慌ててネフィルは取り繕う。

「いや、凄くとても嬉しいが、思いもよらなかったせいでちょっとビックリしただけさ！」
「”凄く”と”とても”はどちらかにしてから喋りたまえ。
　…それはさて置き今の食材で栄養のあるものには限度があるからな、
　食べられそうな野生の食材があれば積極的に取り入れて見ることにした。」

言いながらさっさと器に味噌スープをよそいはじめる。ただしジルの分はない、ネフィルの分だけだ。
アンジニティの世界で食材と思われたものがなぜか食べることができなくなることは多い。
この間もらった春菊が最たる例だ。さらに言えば動き出しているものたちを食べた経験はない。
そう、結局のところジルはネフィルを毒見役にさせる魂胆だった。
本人もそれを望んでいるようだし丁度いいじゃないか。
もし毒性があったり、悪影響が出たのならここで彼を捨ててしまおう。いい口実になる。

「…ありがとう、とても嬉しい。……ジルの分は？」

そうとは露知らずネフィルは感無量といった顔で味噌スープを受け取った。
感動に目を潤ませているがどうせいつもの勘違いだ、
いいからさっさと食ってあわよくば悪影響で死ね。
などと呪いながらも顔には微塵も出さずそれは素敵なスマイルで控えめに断るジル。

「いつもの奴で充分だ、気にせず食べるがいい。」

何かを感じ取ったのか押される形でネフィルは食事に手をつけ始める。

「い、いただきます…」

恐る恐る口に運ぶ様をジルは黙って見守る。
さてどんな反応がでるのだろうか。彼が死んだら解剖して死因を解明するとしよう。
この先何かに使えるかも知れない。
死ななかったとしても、以前見たB級映画の筋書き通りなら食べたネフィルはじわじわと
ワカメマンになっていき、最終的には知能が衰えなんだか知らないけど手当たり次第に
グロテスクに人を襲っていくわけだな、途中でセクシー女優のお色気シーンとかはさみながら。
あれ、それだと私が真っ先に狙われるわけだが…いや待て、上手く飼い慣らして道中の奴らを
蹴散らすことも可能なのでは…いやそれは自滅フラグだ。
たいていの映画での悪役はそうやって死んでいる。
などと少しも顔に出さず妄想している間にネフィルは一口食べて、瞬間かっと目を見開いたのだった。
おや、これは何やら反応があったようだな、ジルは息を飲んで次のリアクションを待ち受ける。
時間にして一瞬だったはずだが、なぜかとてつもなく長い間待ったような気がした。
ネフィルが震えながらゆっくりと口を開く。

「…ッじる、美味しいよ！とても！凄く美味しい！」

彼の口から驚きと感嘆の声が上がった、ジルをと味噌スープを交互に見てはぱっと笑顔があふれる。
今にも感動で泣き出しそうな勢いで食した味噌スープの旨さを熱く語る。
とてもむさくるしかった。勢いづいてネフィルは付け加えた。

「これはジルも食べた方が良いよ！」

今度はジルが勢いに押される番だった。予想が外れてつまらなかったこともあったが
それよりも敵が美味な食材になりうるという驚きのほうが大きかった。

「あ、あぁそうか。良かったな…いや私は遠慮しておこう海藻アレルギーだからな。」

興味はそそられたものの、だからといって手を出す勇気はなかった。
だってあれ、動いていたじゃないか。あまつさえ襲ってきただろうに…。
調理したジルが今更何を言うかと思うが無理なものは無理である。
（調理している最中だって気持ち悪かったのはあるがネフィルを実験台にして
憂さ晴らしが出来ると考えるとそっちのほうが面白かったので克服できたのだった。）

「何だって！？それは勿体無い、凄く…。」

本当に心の底から残念そうな顔でネフィルは落ち込む。
それはもうこれ以上ないほどにショックな顔で。
あまりにも無残な落ち込みように軽くジルは引いた調子で

「おかわりもあるから…全部食べていいぞ…？」

ととりあえず勧める。
それを聞いたネフィルはさっと顔を上げると

「今までの料理も美味しかったけど、これは…ありがとうジル、絶対に残さず食べるよ！」

まるで無念にも死んだ戦友のために志を引き継がんとする男の顔で
ネフィルは言い切り、黙々と味噌スープを平らげていくのだった。
なんだこれは、と呆然としつつネフィルの合間に挟まれる会話に
ああ、とかうん、とか適当に相槌を打ちつつ食事が終わるまで
ジルは普段見ないぐらいぼんやりと食べ続ける相手の様子を見つめ続けた。

自分の目論見が脆くも崩れ去ったことと
脅威の味噌スープの衝撃がさめやらぬまま次の敵襲が近づいてきた。
相手を視認したジルがうんざりした調子でネフィルに告げる。

「おいネフィル…ワカメマンが来てるぞ」

それを聞いたネフィルはすばやく振り返る、実に生き生きした顔で。

「戦闘準備は万端だよ！」

あぁ、判っていたけどなんかこいつ駄目だな、
とジルはのろのろと武器を携えるのだった。