ENo.1305 ジンとニック

ニック「…アニキ…。」

昏睡するアニキを負ぶって背中越しに見つめる。

ニック「もうすぐ街でやすからね、それまでの辛抱でやすよ。」

そう話しかけるが、アニキからの返答は有る筈も無く。

ニック「それにしても…アニキってこんなに軽かったんでやすね。身体だってこんなに華奢で…この細腕であんな奴らと渡り合ってきたんでやすね…。」

いつも大きく見えていたアニキの姿が、今は酷く弱弱しく見えた。

ニック「…アニキ…早く目を覚まして下せぇ…」

夢を、見た。

昔々の、懐かしい夢。

都から離れた所にある、自然に囲まれた村。

その村の外れにはすこし場違いと思えるような、小さいが立派な屋敷が一件。

とある貴族の別荘の一つとして建てられたそこに、ある日白毛の兎の少年が訪れた。

来客の予定などは聞かされていなかったのか、庭の掃除をしていた老齢の山羊の乳母が驚いたように兎の少年を見ていた。

「久しぶりだな、ばあや。」

「…坊ちゃま！」

乳母の言葉に少年は苦笑する。

「その呼び方も久しぶりだ。しかし私はこれでも父上の仕事の補佐をするくらいにはなったんだがな。ばあやにとっては私はまだまだ子供ということか？」

「何をおっしゃっているんです、いくら坊ちゃまが優秀とはいえ成人までまだあと5年以上ある上、その前の社交界デビューだって来年じゃないですか。それにばあやにとって坊ちゃまはいつまでも坊ちゃまですから。」

笑いながら乳母も兎に答える。

それを聞いて参ったな、と頭を掻く少年。

「来るなら来ると言っておいてくだされば良かったのに。」

「突然ですまない、だが今回は父上には内緒で来たものでな。」

「あらあら、まあまあ！今都では大変なのでは？後で旦那様に叱られますよ？」

「偶には叱られるのも良いだろう？少し遅い反抗期だ。」

すまし顔で答える少年に乳母は思わず吹き出す。

乳母につられて笑いながら、少年が尋ねる。

「レイは？」

「お嬢様なら自室にてお休みに…」

乳母の言葉が言い終わらないうちに、突然屋敷の扉が開かれ、中から一人の兎の少女が飛び出してきた。

そのまま少年の方へ走り寄って抱き着く。

「…兄様、久しぶり！」

「…こら、レイ。はしたないだろう。」

少し呆れた様子で少女を引き離す少年にそんなことないもん、と口を尖らせて拗ねる少女。

その様子が可笑しかったのか、乳母が笑みをこぼす。

「なんだ、ばあや。」

「いえ…こうしてみると坊ちゃまとお嬢様は御姿はとてもよく似ていらっしゃいますが、性格はまるで違うな、と。」

「…別に、双子だからといって性格まで同じとは限らないだろう？それに私とレイは異性だ。違うのも当然だ。」

「そうよ、わたしは兄様みたいに仏頂面じゃないもの。」

おい、と憮然とした面持ちで妹を睨む少年と、小さく舌を出してとぼけるような表情をした少女は背丈も同じぐらいで確かに容姿は瓜二つだ。

但し、少年の鬣は一般的な男性と同じように短くあるのに対し、少女の鬣はこれまた一般的な女性のようにある程度の長さがあり、少女の場合は軽くウェーブがかった鬣が肩口までかかっている。

ところで、と少女が少年に向かって話を切り出した。

「何かあったの兄様？こんな時期にここへ来るなんて珍しいもの。」

「…何か用事が無くては来てはいけないのか？ただ単にお前とばあやの顔が見たくなっただけだ。」

「…ウソね。兄様、ウソをつく時に左の耳を傾ける癖、まだ直ってなかったのね。」

半眼になって睨む少女に苦笑しつつ、少年が答える。

「やれやれ、参ったな。しかし、別にウソではないさ。勿論ただそれだけ、というわけではないが。」

「ふぅん。父様のお仕事のお手伝い？今回はどれくらいこっちにいるの？」

「いや…仕事というほどの事ではないが、今回は少し長めにこちらに滞在する予定だ。…良いだろうか？」

言葉の最後で乳母に問いかけるが、乳母は驚いたように少年を見る。

「…宜しいのですか？旦那様には黙ってこちらにと先程…」

「ああ、構わない。その件も少し絡んでいる。」

そうですか、と乳母が了承するよりも早く、少女が再び少年に飛びついた。

「やった！じゃあ兄様、また色んな話を聞かせてよ！」

少年が呆れ顔でまた少女の行動を窘めようとした時――突然少女が咳き込み始めた。

慌てて少女の背中を擦る少年。

「…おいッ、大丈夫か!？」

「ん…平気。少しはしゃぎ過ぎちゃったみたい。」

弱弱しい笑みを浮かべて答える少女だが、その息はあがっている。

「全く…お前は療養でここに来ているのだから少しは自分を労れ。」

「…ごめんなさい。」

「さあ、お話はこれくらいにして部屋に戻って休みましょう。」

乳母の言葉に賛同し、少年達は屋敷の中へと入っていった。

〜セルフォリーフ　オルゼ　宿屋〜

ジン「…ぅ…ん…？」

ニック「あ、アニキッ!!目を覚ましたんでやすねッ!!」

見知らぬ天井が目に入ったかと思うと、視界の横からいきなり奴の顔が覗き込んできた。

ジン「ここは…どこだ…？」

ニック「ここでやすか？ここはオルゼの街の宿屋っすよ。」

オルゼ…なぜそんなところに…？

ジン「…ッ！あのゾンビ共は…!?」

なし崩し的に依頼を請けることになってしまったが、ゾンビと相対した事で取り乱してしまい詳細はあまり覚えていない。

ニック「奴らなら、あの後また屋敷に戻っていったみたいでやす。追ってくるようなことはありやせんでした。」

ジン「…そうか。」

あのレムネットという少女は無事だろうか。

ニック「…アニキ、一体どうしたんでやすか？らしくなかったでやすよ。」

ジン「……。」

ニック「やっぱ何か理由があるんでやすか？…それってアッシにも言えねぇ事なんでやすか？」

ジン「…それは…。」

ニック「…あ、別に責めているわけじゃねえんでやすよ？ただ、こんなアッシでも少しでもアニキの力になれる事が有りゃあと思ったんでさぁ！
アニキが言ってくれる気になったらそん時に言ってくれりゃ良いんでやすよ。」

ジン「…迷惑をかけた。すまない。」

ニック「…え？…いやいや、別に良いんでやすよ!!アニキが無事ならそれで！身体の方は大丈夫でやすか？」

ジン「…ああ。」

ニック「それじゃ、今日のところはゆっくり休んで下せぇ！」

そういって部屋を出ていく奴の背中にもう一度、すまない、と小さく呟く。

――前から分かっていたことだ。

ゾンビを前にすると、どうしても『あの時』を思い出し気が動転してしまう。
いくら力をつけたとしてもそれだけではどうしようもない、私の明らかな弱点だ。
だが、それをあの男に知られればその弱点を突かれるのは目に見えている。
もうあのような失態は許されない。

幸いにも奴という供を得て旅するようになってからは、道中で遭遇した魔物の中にゾンビが居なかったために、特に問題は起きなかったが…。

どうすれば良い？
どうすれば――

その答えが出ないまま、私はベッドの中で微睡み闇へと意識を手放していた。