「黒天よ」 小さく薄暗い座敷。中央に焚かれた囲炉裏の赤だけが灯す二つの影。 まだ若い青年の穏やかな、しかして曲がりのない一声だけが闇の中に溶けて消えた。 "黒天"と名を呼ばれ、視線を寄越したのは正面に座する成人の女性。 桃色の髪に、冷やかささえ感じる、か細い目鼻立ち。 対照的に豊満な乳房と艶めかしい肢体、その全てが男の性を誘う陥穽。 即ちその影こそは、本来人を喰らう蛇の妖であり、それ故に抱く陰は大きく黒い。 「御用でございましょうか、比弥良様」 穏やかな声と共に、男へ向けられる楚々とした微笑み。 視線の一つ、言葉の一つ。その全てが男の心を焙り続ける。 しかしかつて、その全てへ恐怖していた筈だった。 その一つ一つが心を捕え、囚える蛇蝎の為業なれば……。 いずら蛇が喰らうのは、心か、躰か、魂か。 男……上銜比弥良(うわばみのひびら)は退魔師であった。 今や夫婦のように連れ添うこの女、蛇の妖との出会いもまた、己のその使命依りであった。 なればどこで誤ったのか、どこで正されたのか。 討つべきものと討たれるべきものが、恋い焦がれる不合理に苦悩が晴れる事はないのであろう。 「比弥良様？」 流動し続ける男の意識は、再度投げかけられた蛇の声により現実へと呼び戻される。 「すまない。考え事をしていた」 蛇は答えずに、再び微笑みを一つ。 だから男も、仕切り直しとでも言うように小さく一つ、咳払いをして。 「黒天よ、お前はなぜ人に与する？」 その問いかけに、数刻の間が空いた。 「……まだ、私の事が信用なりませぬか？」 「違う。そうではない」 男は右手の平を蛇へ向け、項垂れる。 自身の発した一言で、僅かに目の前の"女"の瞳の中へ、浮かんで見えた悲しみの色に居た堪れなくなった。 「だがな、事実として未だ理解には至っておらぬ」 「理解は求めておりません。今の私には言葉を繕う事しかできませぬゆえ」 「その言葉が欲しいのだ。人間とは、貴殿らよりもずっと弱き生き物なのだ」 「であれば、幾度も申しました故。人を守り、貴方を守りましょう。その心に変わりはありません」 「うむ……」 再び沈黙が訪れる。この問答に、果たして終わりはないように思えた。 視線を上げれば、僅かに憂いを帯びて揺れる"女"の瞳がそこにあり、この小さな世界に不安だけを訴える。 「では、質問を変えよう。なぜ理解を求めない？」 「それは……人間は弱い生き物だからです」 「いいや、人はお前が思うよりも強い」 「先程と、仰っていた事が定まっておらぬように見えますが」 「人間は心あるゆえに弱く、心あるゆえに時として強い」 「わかりません。蛇である私には、心はありません」 「無い事はあるまい。ただ、形が違うだけだ」 先刻までの、"女"の姿を思い出す。男の言葉それぞれに、微笑み、悲しむ者に心がない？ 「人の心を理解しろとは言わぬ。だが認める事はしてほしいのだ」 「比弥良様……」 男の名を呼んで、女は……"蛇"は、小さく首を横に振ってみせた。 「私に寿命はありません。即ち、生まれ落ちたその瞬間から死という概念から拒絶されております」 「些細な事だ」 「本当にそう言い切れますでしょうか？」 言い切ってから、視線を遮る前髪を掻き分けて……表情は何一つ変わらぬまま。 それは、艶やかに思える女性の仕草そのもの。しかし、同時に鋭利な刃物を思わせるような視線が男を見据える。 まるで、蛇に睨まれた小動物のように僅かに身が竦んだような気がした。 「人は生まれ落ちた瞬間から始まり、やがて終わりへと向かってゆく。それは、生まれたときから全ての人が等しく持つ概念です。 その感覚があるからこそ、存在を証明できるのです。ゆえにこそ彼らはいずれ朽ち、再び始まりへと戻ってゆくのです」 「難しい話だ」 「あるはずのもの、その全てを持たぬ私に、自分自身の心を、想いを表す事は叶いません。 永遠はやがて私を囚え、閉じ込めてゆくのでしょう。そしていずれ消えてゆく……そこには情も、安らぎもありません」 やはり、表情も声色一つ変わらぬまま。しかし弱々しく聞こえたその声は、彼女が今にも消えてしまいそうに思わせた。 「お前も悩んでいるのだな。人ともに在る事で、答えは見つかりそうか？」 「わかりません。しかし人の心に私を描き続けていくその果てで、始まりに至ることはできるのかもしれません」 「そうか」 そうか。と繰り返し呟いて。 やはり目の前の"蛇"はどこか狂っているのだろう。人を喰らう妖怪が、人の為に生きたいなどと。 「……黒天」 ただ一言、名を呼んで。そこでやはり押し黙る。 男が抱えて仕舞ったものは、彼女にとっての答えそのものただ一つ。 けれど、きっと何者よりも弱い"蛇"にそれを受け入れる事は、まだできないと思ったから。 「人を守るも、喰らうも、好きなように生きれば良い。 全てに飽いたときは、その時は俺の側へ居ればよい」 意味も理解せず、"蛇"は再び微笑んだ。本当に、単純な生き物なのであろう。 とはいえ、実際に彼女へかけた言葉へ深い意味はない。ただ、それでも。 この小さな世界の中で目の前にあるもの一つ見出だせずにいる蛇の、その姿が愛おしくも、哀れだと思ったのだ。

「……」

「…………おぉう」

「……おいおいおいおい立ちながら居眠りかよ」

「……いや、声がな」

「あぁ？」

「たまーに聞こえるんだよね」

「ふーん。なんていってんの？」

「いやーよくわかんないけど、なんていうか心配されてんのかなぁ～～～」

「はぁ？　誰に？」

「ナイショ」

「……そうかい、もうどうでもいい。 とりあえず、あの虎娘においてかれないようにしろよな」

「わかってるって！　っていうか、なんでしらたまさんそのカッコなの？」

「ぎく！」

「人間の姿なんてくそくらえだー！っていつも言ってたような……」

「それはその……別にいいだろ！　この姿じゃないと困る人間もいるんだよ！」

「は～～～～～～～～～～ん？」

「先いくからな！　じゃあな！」

「あぁ～～～……？」

「……まぁいっか」

「……」

「なーんかみんなに心配かけてばっかだな」

「ま、そういうことでさ……ごめんよ、まだ側にはいけそうもない」

げっしょはアイテムNo.13 海ブドウ を使用した。

器用が3上がった！

	穏やかな海《セルリアン》

穏やかな波、暖かい水温。太陽の光を透かし、キラキラと輝く水中に、
光とともに舞うように鮮やかな熱帯魚達が珊瑚礁に集まる海域。

この世界の窓口である探索者協会からも程近いこの場所は、
色々なところから集まってきたバカンス目的の観光客や、
これから冒険に挑もうとするものたちで賑わっている。

比較的凶暴な生物もいない、穏やかな、冬でも温暖の海である。

先へ先へと旅立っていく探索者たちを尻目に、
げっしょ達バカンス目的の者は銘々に楽しんでいることだろうッ！
なぜならガイドブックにすら載っていない、
まさにこの最先端でバカンスをしているのだからッ！

海底探索協会周囲に広がる、
小魚の群れや小さな珊瑚礁も美しかったかもしれないッ！
だがここはさらに離れ、よりディープな海域になってきているのだッ！

この先は更にデンジャラスな生き物や海域が存在するかもしれないッ！
だがッ！　最先端の、より刺激的なバカンスを望むというのならば、
探索者たちが切り開くその道を進み、
より一層の充実感を求めてバカンスするといいッ！