暗い森の中で、私は一本の木に背中を預けて座り込んでいた。
胸が痛む。それはひとえに今日の戦闘の結果によるものだった。

　フィアが倒された。
力の足りない私は、ただそれを見ていることしかできなかった。
本当は、私が戦闘に慣れていない彼女を助けるべきなのに。

　そしてもう一つ。ヘイアンの様子がおかしかった。
私の気のせいであればいいのだが——戦闘中、調子が悪そうに見えた。
この前の酒かとも思ったが、彼に限ってそんなことは無いはずだ。
だとすると、いったい何がヘイアンをあそこまで苛んでいたのだろうか。

　明日からはまたもう一度、森を抜けて別の場所へと向かう。
不安要素をいくつか抱えたままで戦い続けるのは、拙いだろう。

　私は一つ深呼吸をすると、ゆっくりと立ち上がる。
『道具』である私が、口出しするべきことではないのは分かっているが。
彼の不調は、パーティ全体の応戦能力や士気にも影響してしまう。
今のフィアに負担をかけられない以上、それを聞くのは私の仕事だろう。

　テントの方に視線を向けると、ヘイアンが一人で座っているのが見えた。
手に常用の剣と、近くに置かれた砥石、布。武器の整備をしていたのだろう。
私が近寄って声をかけると、彼はすぐに気がついてこちらの方を向いた。

「……ねえ、ヘイアン。今日は……具合でも悪かったのかな」

「ああ。……どうも、二日酔いらしくてな」

　まさか。
いや、流石に本当にそうであるはずはないだろう、と思う。

「……本当に？」

　じとりとした目でヘイアンを見る。疑っているのではないが。
彼は私が問い返したのを聞くと、ふう、とため息を吐いた。

「……本当に、嘘が下手だな。俺は」
「最初に契約した……大元になっているエンブリオとの同調が不安定になっている」
「……たぶん、お前達ならそう表現すると思う」

「最初に契約したエンブリオ……」

　私にとってのルナ——『アニマ』。ヘイアンのそれは、『ゴレム』だったはずだ。
話に聞いた。エンブリオは時に、契約者に攻撃を加えることもあるのだと。
彼の場合はそうではないだろうが、エンブリオがただ従順なだけではないのは確かだ。
『同調がおかしくなる』というのも、あながち間違ってはいない表現に思える。

「……だから、力を出せていなかったんだね」

　こちらの世界では、私も『魔術』を上手く扱う事はできない。
殊更エンブリオと契約してからそうなった事を考えると、彼の不調も頷ける。
ヘイアンはもう一度ため息を吐き、重苦しい様子で頭に手を当てて。

「おまけに、頭痛も酷い……どう、御したものかな。これは」

「頭痛……か……」

　薬、と言いかけたがそれは飲み込んだ。
タイミングから考えて、その症状はエンブリオとの不和が元になっているはず。
あまり踏み込んだ事は言えないが——誤魔化す事くらいは、できないだろうか。

「……魔術師は、何かがおかしい時にはね」

　そう言って、手を胸元に当てると、瞳を閉じる。
すう、はあ、と息を二度三度吐く。意識を一所に集める、いわば儀式。

「自分の中の『流れ』に集中する、っていう事をするんだ」
「外から自分を閉じて、自分の中身を確立する——」

　本来は『魔力回路』を感じる事が必要なのだが、魔術師以外には分からないだろう。
だから、彼にも分かるように『流れ』と称した。なんとか落ち着いてもらえるように。

「そうやって、『区別』するということか」

　問われた言葉には、頷きで返す。自分の中を外から分け、見つめなおす。
最後に一つ息を吐くと、私はゆっくりと目を開き、小さく微笑んだ。

「……どう？　目を閉じて、やってみたら」

「分かった。上手くできるか分からないが」

　私が促すと、ヘイアンも私がやったのと同じように、瞳を閉じる。
——集中するための仕草。その中で、彼は何を考えているのだろうか。
恐らくその領域は、私の説明したとおり、『閉じられた』部分だ。

　それでも、私は昨日握ったヘイアンの手の暖かさを忘れてはいない。
きっと、その温かさは、彼の一番奥底に横たわっているものだろうから。
私にはもう触れる権利は無いけれど、彼自身には大事にしてほしい。

　そんな事を考えているうち、ヘイアンは再び瞳を開いた。
視線が合う。先ほどよりは大分憔悴した様子は無くなっているように見えた。

「ん。……どう、少しは落ち着いた……かな」

「……ああ。大分、痛みは引いてきた」

「そう、良かった。ヘイアンが弱ってちゃ、うちのパーティはやっていけないからね」

　私は安堵と共に笑顔を浮かべた。つられて彼も口元を歪めた。
『持ち主』である彼の体調を思いやる事だって、『道具』の役割の一つだ。
それが達成できたのであれば、ひとつの仕事が完遂できたと言える。

　ふと月を見る。私が最初にテントの外に出た時より、ずっと傾いていた。
もう、ずっと夜風に当たっていたらしい。そろそろ私達も休むべきだろう。
特に落ち着いたとはいえ体調を崩しているヘイアンは、一刻も早く。

「明日からはまた別の場所に行くんだし、ヘイアンも早いところ寝た方がいいよ？」

「はは。そうだな。見張りはナビに任せるとしよう」

「うん、今日はそうした方が良いよ。……じゃあ、おやすみ」

　そう挨拶をすると、私は彼の横を通り、テントの方へと向かおうとする。
しかし、背後から名前を呼ばれて、私は足を止めて振りかえった。
まだ私に何か用事や言うべきことがあるのだろうか、と。そう思ったのだが。

　す、と。私の頬に暖かい物が当たるのが分かった。
見ると、ヘイアンの掌が添わされているようだった。

「ありがとう」

　そう言う彼の瞳は、昨日の花畑で見せてくれた物と同じだった。
だから私も、ふ、と小さく息を吐いて。ずっと昔にそうしていたように。
今できる限界までの『心から』の笑顔を、彼へと向けた。

「どういたしまして、ヘイアン」

　——私を少し前まであれほど苛んでいた、胸の痛みは。
いつのまにか、綺麗さっぱり消え去ってしまっていた。


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（E-No205のヘイアンさんをお借りしております！）

そう。私がおかしいだけだから。
普通の人なら、ここまで反応しなかっただろう。
貴女は悪くない。
あなたは、わるくない。

的確に表せる言葉を、見つけられない。
口籠ると、ミモザの声の調子が変わった。

数秒、目を閉じる

　翼も角も珍しいものという自覚はあんまりないようだ。
　触ってみたいと言われて、ちょっと驚いた顔をした後、ようやく好奇の目で見られていたことに気付いたのか、何かに納得したような顔をして

　下卑た笑い声が響き渡る中、太歳は特に顔色を変えずに話を進めた。
　……無用に大物である。

　場合によっては、砕けて動けなくなるまでが任務の一つ……と。

隣に立つ青年の事を案じた後、少女は対戦相手に視線を向ける。

どこか翳を感じさせる女。
快活さが溢れ出し、髪色まで染め上げたかのような少女。
色彩豊かな衣服とリボンで飾られた青年。
——そんな一行の中で、明らかに浮いた存在。

『それ』を認識した瞬間、呆然と目を見開く。
相対した一行を順に追っていた視線は、豪奢な鎧を着た男に釘付けとなっていた

かた、かたかた。
震えている。
刃が。
掌が。
腕が。
身体が。
心が。

恐怖にも、怒りにも似た——しかし間違いなくそれらとは別種の、もっと根源的な『衝動』。
歯を剥き出しにし、隙間から獣の如き唸りを漏らしてもなお堪え切れない『ソレ』が。
男の内を暴れ狂い焼き尽くして喰い破っ

かた。
震えが、止まった。

乾いた笑い声を漏らし、宙を仰ぐ。
その表情は、どこか自嘲的で。

小さく、二人だけに聞こえるように漏らした呟きは。
温度の低さに反し、頼りなく揺れていた。

　

　
視線の先にはフィア