廃図書館の自室に戻ったあとも、龍は先ほどのエンブリオの存在が気になっていた。

まるで俺を知ってるようではないか。
何も知らないままこの世界を訪れて、まだそれほど時間が経ってはいない。
この世界に来たとき、龍にとってここは十全に異世界だった。
この世界についてある程度理解をしてきた今でさえその認識は変わっていない。
この世界を自らは知らず、向こうは自らを知っている・・・？
であれば導かれる答えはさほど多くない・・・・恐らくは・・・・

ふと、龍は先ほどのエンブリオの気配が傍から消えていることに気づいた。
龍はまるで何か導かれるように扉の外へ、階段を下り廃図書館の広間へと出た。
そこには花蓮は居なかった。

思わず漏れた声に対して返事をするものは居なかった。
恐らく外出中なのだろう。普段はさして気にもかけない同居人のことが、その時は何故か気にかかった。
しかし、特に居る様子もないので龍は図書館の外へと足を運ぶ。
外は昼の輝きを夜の帳が包み隠す前、黄昏といった時間帯だった。
空気はやや生暖かく、虫の鳴き声が聞こえた。
敷地の外の路地へと出ようとしたときに、ふと、頬にひんやりとした冷たい風が当たるのを感じた気がした。
その風を受けて、龍が視線を向けた先は図書館の裏手だった。

廃図書館は街の外れにある。
その場所は区画の行き詰まりといって差し支えなく、バックには壁面が広がっている。
表からは別段何かがあるようには見えない。
だが、今の龍にはその冷たい風が気になった。
進んだ先には小さな日当たりの良いとは言いがたい菜園があり、その先には壁が延々と続いていた。
その壁を見て、ため息をついた龍は戻ろうと踵をかえした。

そこで薄暗い闇の先に小さな穴のような者を見つけた。
ごう・・・と
鳴動するその穴はまるで自然の作り出した楽器のようだった。
穴は小道のように奥へと繋がっており、所々に苔が生えている。
冷たい風を受けたまま、龍は奥へ奥へと進んでいく。
地面には石畳、そして壁面は石壁であり、長い年月がそれらを劣化させていったことを感じさせた。
道の先は小さな広場のような空間が拡がっていた。
広場は天井が開けており、そこからは月光と星の瞬きが見て取れた。
そして、広場の中央には十字の石の塊。
誰かの墓標だろうか、と龍は思った。
墓標のすぐそばに鈍く輝く人型の光の塊のようなモノが滞留していた。
それは先ほど契約を交わしたエンブリオだと知れた。

光は声に反応するかのようにぴくり、と動いた。

そういって、龍は光に近づこうとして足を止めた。
闇の中ではぼんやりとだが、人の形のディテールが見えたような気がした。
そして、それは彼のよく知った者の姿に似ていた。

突然の背後からの声に思わす龍は振り返った。

そこには花蓮の姿があった。

花蓮は有無を言わせないような雰囲気で事務的に言葉を紡いでいるように感じられた。

龍は光のほうを見ると、光は龍に吸い込まれるようにして消えた。

龍は花蓮と共にその地をあとにする。
だが、龍は確かに見た。
エンブリオの輝きの中、朽ち果てた墓標の名前。
全てを読むことが適わなかったが、そこには人の名前が刻まれていた。




Karen（カレン）



と

龍は両腕を脱力させ、下ろした状態で低く構えた。



彼の右頬がわずかに釣りあがる。

ふいに殺気をまとっていく——

彼の両腕がまるで別の生き物のようにうねりを上げた。

そのさまはまるで四肢の無い爬虫類のようだった。