【漆：夏の夜に】

日は沈み、夜が来る。
妖怪たちの時間。

夏の夜。
夜風が奏でる音
直線的で優美で

だから、私は、この時間が一番好きだ。

「お昼は、酷い目にあいましたけど……」

昼間のこと。
親父殿から送られた水着を着て、ちょこっとだけ泳ぎにいってはみたものの──
ローライズすぎる水着が波で流れそうになるわ、ちょっと沖まで行ってみようと思ったら、クラゲがやたらと居て刺されそうになるわ。

「まあ、身の丈にあうことをしろ、という事ですね」

そう、納得する。
妖怪は夜の化け物だ。
日の差す昼間に、海というシチュエーションでは、上手く行かないのも道理というものだった。

だからこそ、こういう夜は
とても私が在りやすくて、助かる。

空には薄い雲、星がちらほらと輝いている。
聞こえるのは、虫の声。
山岳地帯への攻城へ至る道の、途中。
草木が生い茂る、人間の村のはずれ。

静かで、儚い場所。
それが私のあるべき場所なのだ。
故郷の──伊吹の山も、こうだったから。

山に近く、人の気配を足元に。
畏怖される山の支配者。鬼とは、そういうものだ。そうであるべきなのだ。


「ふう……気もちいい」

肌をなでる夜風。
そこらにあった大きな石にもたれ掛り、目を瞑る。
遠く──かすかに聞こえる程度の音で、人間の町の音が聞こえる。

すう、と意識が遠くなりそうになる。
眠い。正直、ちょっと疲れているのかもしれない。


　
　　　このまま、少し──

　　　　　　　　　　　眠って──　　　　　　

─────


「あの、君、大丈夫ですか？」

──ん？

呼ばれ、そちらに目を。
　　　　　　　　　　送る。

──



──綺麗だった。
夜空を背景に、心配そうにこちらの様子を伺う、その瞳。
色は墨の用に黒く、深い。吸い込まれそうな印象すら受ける。

出で立ちは黒い浴衣と、ハンチング。
まるで水墨画のような色合いの中に、ただそこだけが鮮やかな、薄緑の髪がとても印象的だった。

その姿を
とても綺麗だなと、思った。

（……夢、かな）

だから、これは夢だと思ったんだ。
そういうものに逢いたいと、願った私の夢なんだと。

（親父殿の言葉に、ヘンに影響されたかな……）

ふう、と溜息をひとつ、そして
何事か言いながら、心配そうに手を伸ばす、その彼の手を取った。
夢だったら、きっとここで目が覚める。実体の無いものに、私の体が引き起こされる事が無いから。
だから、その違和感で、目が覚める──はずだった。

ぐい、と。
優しく、引っ張られる感覚が、確かにあった。
予想していなかった感覚に、勢いがつき、足がもつれた。
そのまま、彼の胸元に飛び込む。果たしてそれは

ちゃんと、抱き止められた。

「大丈夫ですか？」

私を胸に抱きつつ、心配そうにこちらを覗き込んで来る。
優しい瞳。目が、あった。

「……どうやら、意識ははっきりしているみたいですね」

きっちり、目の焦点が合っていたから、安堵したようだ。
そこでようやっと離してくれる。
私は、何も言えない。
頭がまだ完全には覚めていない感じがする。
何を言えばいいのか、わからないで、ただ頷くだけだった。

「具合が悪いので無ければ、良かった。こんな夜更けに道端で蹲っていては、危ないですよ」

そういって、もう一度こちらの様子を確認し、大丈夫だと思ったのだろう。

「大丈夫そうで安心しました。それでは、僕はこれで」

その言葉を置いて、彼は去って行った。
元々、何処へか行く途中だったのだろう。

ぼんやりと眺めていると、途中、一度だけこちらを振り向き、手を振ってくれた。
こちらも、手を振り返すと、彼は満足した様子で前に向き直り、そのまま歩いて行ってしまった。

「……あー」

顔が熱い。
寝顔を見られた恥ずかしさ
そういえばよだれ垂れてなかったか、私。
というかそうだ、あのヒト──、いや、人じゃない。人外だ、あれは。それは、わかる。
常に人間に打倒される、鬼である私だからこそ、人とそうじゃないものの区別は、わかる。

そして思い出す、あの彼は、確かかつて──セルフォリーフで。
彼にとっては何日前だか、何年前だかはわからないが、私の時間では、５年前。
親父殿と共に、ほんの少しだけ過ごしたあの異世界で、見かけた事がある──

「たしか、名前は──」

-【漆：夏の夜に　了】-


SummerVacation参加中：Eno16 文箭さんお借りしました。thx!

とつぜん現れた虎模様の神の少女に、身をすくませて硬い表情を向けます。

にこやかな笑顔の自己紹介を受けると、ゆるゆると緊張にこわばっていた肩の力が抜けていきました。
その代わりに、だんだん頬が朱に染まっていき、恥ずかしそうに表情をフードで隠します。

ぺこんと頭を下げてから、少し深呼吸して、やっとおちついて話をはじめます。

展開が唐突過ぎて、まだ頭がついてきていないようです。
ノリが悪い、とも言います。

そう言うと、砕けた様子で笑った。後に続けられた”妖怪”の説明を聞くと、
確かに、と納得した様子で頷いて。

尋ねられた己の翼に、はたと視線を落として。

そう言うと背にある翼を小さくはためかせた。
バサバサと、しかし軽い音が響いている。