傾いだ身体に反射的に腕を伸ばせても、
其のまま留まれる程の体力は、残っていなかった。
倒れた衝撃は、背から背骨を伝って、胸まで。軋むように痛み、息が詰まる。
でも、そんな事よりも、

「……先輩」

手を伸ばす。右目から頬に伝う鮮血を、拭う。
指先と、目から伝わるもの。
凄絶さを失った『躍動』。それから彼の暖かみと、…吐息。
今度こそ、身体の力が全て抜けてしまう。
痛みと、疲労と、後悔が巡る中。
──今はただ、彼の無事を、抱き締めて。

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「……これは、俺がやったのか」

目を覚ました彼の表情は、とてもでは無いけれど、見ていられなかった。
自身がした事を、目に、心に、染み込ませている。痛そうな、顔。

「覚えて、いる…？」

もう瞳は落ち着いてるから大丈夫だと、額を撫でながら伝う。
気休めにすら、ならないかもしれなくても。

「……ああ。全て覚えてる」
「すまない」

彼は消えるような声で、腕で両目を覆って。
違うと、その謝罪を遮る。

「謝らなくてはいけないのは、…自分。…メールを受け取った時点で、気付くべきだった」

彼の眼とソルトの呪いが引き起こす可能性に早く気付いていれば、
彼が心を乱すことは無かった。誰も、傷付く事は無かった。

「私は……何もできなかった」

「……違うんだ。悪いのは、お前じゃない」
「俺が、この眼で、お前の仲間を傷付けた。……それだけだ」

「…それ、は……」

彼は『今』を見る。『事実』を見る。
覆す事のできない場所に、自ら沈んで行く。思わず、言葉に詰まった。
あの時、力を向けたのも、誤解をしたのも、貴方だけじゃないと、
あなたひとりが、悪いわけじゃ無いと必死に訴えても、彼の瞳は、罪悪に塗りつぶされていて。

「……それでも」
「俺のしたことは、消えはしない」
「お前が信じてくれたこの眼で、俺は間違った道を歩んでしまった」
「お前に、そんな顔をさせてしまった」

「私のことは、良い」

強く、頭を振る。彼を覆う闇を拭えるようにと、言葉を、絞り出す。

「……間違えても、別の道を歩める……魔異先輩が自分を苛み過ぎてしまったら、きっと、それも出来なくなる…」
「……私は、先輩を、そういう風にさせたくない…」

だって、彼は私の闇を拭ってくれたのだ。新しい道を、見つけ出してくれた。
そんな彼を、ひとりきりで苛ませたくない。それに、私は──、

気付けば、一緒に行きたいと、言葉にしていた。
彼は目を見開く。
そこにはただ驚きがあるばかりで、拒絶の色が無い事に、安堵していたのに。
賛成しない、と、声が降る。
見上げれば、この世界に来てからずっと行動を共にしていた風精の姿が、そこにあった。

「……ルトゥ」
「マコト。俺はお前の善良さを疑っちゃいない。冬花がお前を慕う理由も何となくわかる……けどな」

剣呑な眼で、彼が見据える先は、ひとつ。

「『その眼』だけは信用出来ない」
「いつまた制御を失うとも知れない。そんな危険な力の傍に、トウカを居させる訳には行かない」

「……その通りだ」

彼の瞳から、光が薄れる。真っ直ぐで鮮やかだったいつかの色は、何処にもない。
何か、言わなくてはと思った。けれど、言葉を探すまもなく、彼は「すまない」と口を開いた。

「冬花。俺は、お前と一緒には行けない」

「……どうして」

思えば、自分の望みを彼に拒絶されたのは、これが初めてだった。
突き放すような声音に、心を氷で突かれたような気持ちになる。
その感覚を、私は知っている。
片隅に閉じ込めていた幼声と先輩の言葉が混ざり合って、頭の中で反響する。
塗り潰されるのを恐れるように、自然と言葉が突いて出た。出てしまった。

「……先輩。ルトゥの言う事は、気にしなくても良い。私は…何かあっても、自分の身を守れる。」
「もう、同じ事には、ならない」

欲にまみれた、何の根拠のない言葉だった。
先輩の表情が、歪む。過ちを自覚した時には遅かった。引鉄のように、先輩を纏う空気が、変わって、

「——何も、解らない癖に」
「邪気眼を持たないお前に、何が解る」

向けられた双眸には、確かな『拒絶』があった。
びくりと、身体が震える。顔の強張りを、自分でも、感じる。

「魔異……先輩？」

その言葉の先を促したくないのに、動けない。これ以上、声を発せない。

「俺がいなくても……お前にはルトゥが……あいつらがいるだろ……」
「……お前にはもう、俺なんて必要無いんだよ」
「『危険』なんだよ、俺は！　お前の力じゃ、俺は止められない！　出来もしない癖に、偉そうなことを言うな！」

「……ぁ、」

掠れ声は、激しさを含んでいて。
言葉を、風を遮られた時よりも、心が冷えた。
だって、あの時はまだ、彼は私を想ってくれていた。けれど、今は、

「…私は、…力に、なれない？」
「……力のない私は、傍にいても、…意味が、ない…？」

確認じゃない。
ただ、彼の怒りを受けて巡った言葉が、そのまま口を突いて出た。
それは、自分が一番分かっていた事で、だからこそ一番……詰られたくなかった場所で。

「——お前は、…………『足手まとい』なんだ…………」

きしりと、心の中で何かが罅割れたような音がした。

欲を出してはいけなかった。これは、罰だ。
彼の気持ちを何一つ考えず、自分の都合を押し付けた。
彼の事を考えているつもりで、結局は、

彼と、離れたくなかっただけで

「……出過ぎたことを言った」

わすれて、と。声を絞り出すだけで、精一杯だった。
傍で、彼が立ち上がる気配がするけれど、そちらに目を向けることも出来ない。

「……じゃあな、冬花」

ばさりと、何かを翻すような音。彼の足音が、一歩。そのまま、遠のいていく。

「ラ・ヨダソウ・スティアーナ（さよならだ）」

それは、永遠に耳にする事がなければいいと思っていた──『別れの言葉』だった。

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https://dl.dropboxusercontent.com/u/69846349/ikki/touka0901.htm

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どれぐらいそうしていたのか、わからない。

「……『ルド』？　其処に居るかい？　動けないや。僕を起こすのを手伝っておくれ？」
「あ、ら…私……？い、た。」

同行している彼らの声に、意識を引き戻される。

「……『クロ』？　君も、無事かい？　……ねぇ、『アシリロ』？　君は、『まだ君のままで居られる』かい？」

ソルトの声が、一人一人へと。そうして自分に向けられた不可解な言葉を、心の中で反芻する。
元々意味を込めているような響きが、更に何かを含んでいるように、聞こえて。

「………どういう、こと。ソルトの言葉は、私には、わかりづらい…」

「……そうか。君は『変わらなかった』んだね。それなら、いいんだ。
　クロを、看ていてくれるかい？ 彼女は、僕とは違う。君の、『友達』だから」

もしかして聞いていたのかと問いかけても、彼は答えなかった。
彼は時折、わざとらしくなく、ごく自然に言葉を受け流す。
意図的に思えるのに、置かれた他の言葉に紛れて、追求もできなくなってしまう。
諦めて、ため息をつく。…続いた言葉が少しだけ、心の中で重石になる。
『友達』になるのは難しいと言ったのは、自分だけれど。
今でもきっとそれは変わらないけれど、それでも、心配は…していたから。

「…有難う御座います…あら、先程の方々は……」

「……先輩達、は…先に行った」

言われた通りに身体を起こそうとするクロさんを手伝いに行けば、お礼と共に首を傾げられた。

「…トウカさん？何でそんな顔をされてるんですか？」

何とか、用意していた言葉を用意していた通りに伝えられたのに、
不思議そうな声に、また心を乱される。
繕いきれていない。彼らにはもう、これ以上迷惑を掛けたくないのに。

「…別に。少し……疲れただけ」

嘘を、吐いてしまった。罪悪感よりも、彼女に心配をさせたくない気持ちが勝って。

「俺も、結構疲れたけど、」
「……とりあえず、皆無事なら良かった」

変わらず静かな声。ふ、と。ソルトに手を差し伸べながら、ルドさんが息を吐く。
彼らの動く気配に、互いの無事を確かめ合う声に、少しだけ胸の軋みが解けた。
最低ではあっても、最悪の結果にはならなかったのだと。

「……ねぇ、『ルド』、『クロ』、『アリシロ』？ ……『マコト』を、『怨まないで』居てあげて、くれるかい？」

その言葉を、彼が口にするとは思わなくて、驚く。
寧ろ彼が先輩を恨んでいないのかと、つい問い返すと、常と変わらない口調で、彼は言葉を重ねてきた。

「……仮に、僕がマコトを『怨んで』いたとして、何かが変わるかい？
　……僕が、彼を『愛していた』としても、『憎んでいた』としても、同じ事さ。
　僕にとって、それらは『等価(トウカ)』なんだ。感情や執着と言い換えてもいい。そういう『呪い』を扱って生きてきたんだ。
　『敵意』なんて、もう慣れてるよ」

愛することも憎むことも、同じ。
まるで、-3も＋3も同じ3だと、言われたような気持ちだった。
感情とは、そういう物だっただろうか。『敵意』とは、慣れるものだっただろうか。
呪いを纏い、呪いを操る彼は、これまでどんな風に生きてきたのだろうと。

──と。１、２。ぽふりと頭を撫でられる感触に視線を上げると、淑やかげな黄昏の瞳と目があった。
柔らかに踏み込んでくる足は怖いけれど、それをそっと押しのけた今も、こうして触れに来てくれる。
優しい人だと、思う。
彼女と同じように、彼を『恨まない』と言ってくれた、ルドさんも。

「……さぁ、行こうか？　随分と、懐かしい夢を見ていたよ。こんな所で何時までも寝ていたら『危ない』からね」

ルドさんに寄り掛かるように、傍らに立ちながら。
いつも通りの、はかりかねるような微笑みを浮かべる少年は、どうなのだろう。
少しだけ。
少しだけ彼らの、触れるつもりのなかった場所に触れたいと、思ってしまった。

　
　左手も空くから便利で良いし見た目通り軽いからこっちは全然負担ないからそれは良いんだけどと、抱えた彼に向かって言って。
　

　——女役に。
　ごく自然と首に回された腕に、流石にどういう顔をしていいのか分からずに、憮然と言った。
　

　自然である。
　周囲の風景の話でない。手首を重ねるように、青年の首の後ろに手腕を回した、呪術師の仕草が、である。　
　見事なお姫様抱っこであった。

　しゃなり、と。
　首を傾げれば、墨色の髪が、揺れる。

青い髪の青年が、華奢な黒髪の青年を抱きかかえる。
名乗り出てから抱きかかえるまでの流れも余りにも自然すぎた。
そしてさながら今は少女向けの絵本に描いた様な理想的な図だ。

トウカに立ち上がる手伝いをして貰いながら
目の前の光景にとても微笑ましそうに告げる。
羨ましいですね、なんていう言葉さえ笑顔で付け加えて。




何故目の前の姫抱っこが『男子二人』によるものという疑問を持たないのだ

徐に顔を上げ、思うままに呟いた少女に、悪気は無い。
少年が少女よりも華奢な為、体格の差に全く違和感がなかった。なちゅらる。

折角だから、互いに綺麗に着飾った格好で。きっと似合う。
彼女に寄り添うように歩み始めつつ、そんな事をぼんやりと考えていた少女は、
結局最後まで、絵になってしまっている二人の性別に疑問を感じる事は無かった。

　あ、と声を漏らす。
　

　ここはいろんなモノがいるなと、骨と鳥を見。そしてどこかで見たようなもう一つに、眼を留めた。
　

　するり、と。
　抱えられていた少年は、自分の足で地を踏んだ。
　こうなってしまえば、常と何ら変わりが無いようにすら見える。

ふわり、笑った。

声は、固く響く。
いっぽ。歩み出る少女を守るように、精霊達もまた、躍り出て。

言い聞かせるように紡いでは、ひとつ、深呼吸をした。