少女の部屋の中は、冷たく澄んだ空気に満ちていた。
　余計な物がほとんど置かれていない、生活臭を極力削ぎ落とした内装。照明は絞られ、入り口の扉の側に立っているだけでは、細部はおろか広い室内の全景もよく見えない。
　一歩前へ踏み出すと、柔らかい絨毯が足音を吸い込むので、ますます静けさに拍車がかかるような気さえした。
　姫君とはいえ、小さな女の子の部屋から漂う空気でない事くらいは、フロレンスにも理解できる。若干の戸惑いを感じつつ、贈り物の小箱を掴む手に力を籠めた。
「ヴィオンヌ姫さま……？どちらに……」
　呟いてから、馬鹿な事を言うものだと自分に呆れる。少女は、この部屋の中にいるに違いないのだから。
　フロレンスは深呼吸をして、部屋の中ほどに置かれた仕切り戸へ近づいた。模様の入った擦り硝子の向こう側に、人の気配のない部屋の用途を唯一定義付けるように、豪奢な天蓋のかかった寝台が置かれている。
「あの、姫さま……？」
　返事は返ってこない。今日が新しい教師（つまり、フロレンスの事だ。）の顔見せだという事は、彼女の姉、エメラによって伝わっているはずなのに。
　少し首を傾げて、フロレンスは考えた。もしかすると、自分の拝謁するのが遅いとお思いになって、お休みになられたのだろうか。
「うーん……」
　ちょっと覗いてみようかなと、とんでもない事を考える。
　女性の寝所、それも首が痛くなるほど見上げなくてはならない身分の方のそれを、盗み見ようとは！
　フロレンスは大抵の人間なら躊躇して立ち止まるところを、あまり深く考えずに乗り越えて行った。本人に言わせてみれば、ヴィオンヌ姫は既に本日より自分の生徒であり、疚しい気持ちなど塵ほどもないのだから、眠っている事を確認するくらいは良いだろう、といったところか。もしも本当に彼女が寝ているのだとすれば、時間を改めて会いに来ようなどとも考えている。
　軽く衝立とすれ違い、フロレンスは寝台の目の前へと躍り出た。


　金の髪と青い瞳は、貴き血の、王族の証。
　寝台の上の小さな少女は、眠ってなどいなかった。
　美しい矢車菊の花の青。この空気に相応しい瞳を持った部屋の主が、沈黙を纏いながらフロレンスを見つめている。
　若干9歳とは思えない大人びた視線を浴びて、フロレンスは首筋に少しの汗をかいた。初めて見るヴィオンヌ姫の姿を、気圧されつつも眺める。
　青い目の嵌った、白く瑞々しい貌。珊瑚色の唇はふっくらと可愛らしいが、今は彼女の意思により引き結ばれていた。顔と同じく透き通ったデコルテの胸元に、レースで模られた花を付けたドレス。その腕から伸びる手は小さく、指先の爪もまた愛らしい。たっぷりと余ったスカートの布地を、渾身の力で握り締めていなければの話だが。
　少女の足は手首と変わらず細く、レースの海からしなやかに伸びていた。彼女は寝台に座っているので、その膝の上に髪の毛がまばらに落ちている。滑らかそうなドレスと白いシーツの上に、細かい金髪が流れている様を見て、フロレンスはケーキの上に飾られた蜂蜜細工みたいだな、と間抜けな感想を抱いた。
　改めて、上から下まで相手を見分する。とかく美しい姫君だった。
　少女が敵意にも近い眼差しでこちらを眺めている事は気付いていたが、フロレンスにはそれでも彼女が魅力的に思えた。
　こんなにも綺麗な女の子の先生になれるんだ。なんて光栄な事だろう！などと思いを馳せていたので、まったくおめでたい教師であったのは間違いない。
　フロレンスが何も言わず、ヴィオンヌ姫の容貌をうっとり楽しんでいるところへ、ようやく少女の言葉が降って来た。
「お前が、お姉様の小姓なの」
　尖らせた唇に幼く甘い声が乗る。彼女の刺々しさを感じる口調を受けて、フロレンスは絨毯の上で直立不動になった。
　緊張が一気に体内を駆け巡る。胃の奥からぐんと勢いを付けて昇ってくる圧迫感に、たまらず息を吐きだした。
「ひゃ、ひゃい。フロレンス・リリーアンと申します。それと、今日からは姫様の家庭教師を務めさせていただきましゅ！」
　思い切り舌を縺れさせたフロレンスに、相手は幼女らしかぬ冷ややかな視線を送る。
　色々と考えていたにも関わらず、フロレンスがヴィオンヌ姫に初めて発したのは、何の変哲もない自己紹介であった。

まずは一通り、フローラが話を終えるまで耳を傾けて。

恐る恐る、両腕をフローラに向けて伸ばし始めた。

　　　△　　土　▲
　　（　㊤　皿　㊤）　　がしゃーん
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　／│　　塊　　│＼　　　　　　　　　がしゃーん
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