フロレンスが少女の格好をして社交界にいた理由は、本当に下らない事がきっかけだった。
　馬鹿馬鹿しいなりに上手くやっていたし、潜入捜査のような1年が終われば、生徒である妹姫と果たすべき目的もあった。
　あまり深くは考えていなかったのだ。その最終地点へ到達できなかった時の事を。


　痴呆のほうに立ち竦んでいると、垣根の奥から友人が顔を見せた。
　淑女らしかぬ速さで駆け寄って来た彼女に、フロレンスは思い切り抱きしめられる。
「フローラ、可哀相に……！」
　流石に痛かった。彼女はフロレンスよりも背が高かったし、どれだけ優雅に見えても、力そのものは本来の性別に恥じないものであったから。
「あんな大勢の前で男性だと暴露されるなんて……、わたくしがあなたの立場だったらと思うと……！恐ろしくて」
　ぎゅうぎゅうと容赦なく羽交い絞めにされる。痛いと振りほどく事は可能だったが、我を忘れるほど動揺している彼女を突き放すのは、流石に躊躇われた。
　そこへ彼女の背後から声がかかる。フロレンスも抱かれたまま相手の身体越しに、そちらを見た。
「案外元気そうだな」
「……」
「フロレンス・リリーアン。姉上から離れたらどうだ」
　彼女の弟はそう言った。彼は以前からずっと、フローラが女ではないと知っていたので、全く思うところはないようだった。いや、もしかすると元々がこういう性格なのかもしれない。社会的に大きな傷を負い、行く当てもなくなった人間を見て、同情も侮蔑も好奇もない、こうも平坦な目の色をしているのは相当に変わっている。
「なんて、冷たい。お前がフロレンスの様子を見に行こうと言ったのじゃない」
　姉に詰られると、後のフロレンスの"旦那様"は静かに言った。
「面白そうだったからな」

疲れるからやめるね、と言ったフローラの頭を、
少し恐る恐るに撫でてやり。

自分が男だと知ると驚くのはどうしてかとそう呟く彼に、
少し考えこんでみせてから。