玲瓏と、枝葉から漏れる仄蒼い帳に照らされる。地面を踏み締める音だけが細く、不規則に響き渡る。
　しっとりと柔らかな土から盛り上がる巨木の太い根を跨いだ。
　クズの葉が、数多と覆いかぶさる。大樹を覆って守らんとするように、栄養を奪い尽くす毒蛇のように。近くの樹に半身を寄り掛からせながら、子は静かに息を吐く。さすれば白い吐息がふぁ、と漏れ出る。

「——クズ・エイルツェール」

　それは子の真名だった。偽者と揶揄する子は、人知れずに名を変えた。理由なんてものはない。あるにはあるが、子供の頃にふと思いついたこと。戯れに過ぎない。
　少しばかりの休憩を取ってから、くるっと方向転換。器用に木々の合間を跳ねるように奔りながら、大腿部付近に縋り付くるよう纏う柘榴の草花に視線をやった。





『——あなたは私のお母様ではないですか？』

　柘榴を探す傍らに、子は子へと問いかけた。答えはすぐには返ってこなかった。
　無言で目当ての花を小一時間探したところで、ようやく柘榴を見つけることができたとき、やっと話しかけてくれた。

『ありがとう……』

　そう、慈愛に満ちた聲を響かせた。





　ぐる、と不満そうに腹が唸り声をあげる。なんとも気のない、間の抜けた音。薄くたなびく吐息を燻らせる。
　腕の裾から蔓を伸ばし、ワイヤーアクションのように太い枝に絡ませて、跳べば枝の上へと着地する。真冬の夜風にそよりと靡かせながら、さらに天高く伸びる幹に腰かけた。
　少しばかり寒く、スカートがはたはた揺れる。けれど人が来ないし、真下からでなければ何も心配はいらない、はずだ。





『……さっきの問い。そうだと言ったら？』

　とろぉりと蕩けた聲を、ぽとりと娘に零した子。鳥の囀りめいた聲に、ぴくりと揺れていた。

『……いろいろ言いたいことはありますけど、お会いできて嬉しいです、と』

　そう伝いたい。母親が生きている姿を物心つく前に死してしまったのだから。見ることができなかったのを、今ようやく見ることがかなうのならば、吐き出したい感情が行きつく先は、きっとそういうもの。
　安堵、安心、安らぎ、狼狽。すべてを入り混じらせて、体液に塗れても伝いたい言の葉。

『そんなことを言ってくれる子がいるなら、親にとっては嬉しかろうよ』

　虹色は否定も肯定もしなかった。





　静かな森の空気を謙虚に揺らして、耳に届くのは風の音。夜風に攫われて靡く布端。ぼぉんやりと微睡みに蕩けるよう、子は静かに瞼を何度も落とした。
　首を反らして真上を見上げながら、木漏れ日、というには光の弱い月を眺める。
　樹木の皮に髪を摺り寄せるよう、後ろ髪はざらついた。帽子の毛糸がざら、と音を立てて繊維を引きちぎる。瞼は水を啄む鳥のようにことり、ことりと幾度も落ちた。





『探してくれた礼じゃ。これをやろう』

　子は石をくれた。赤みの強い、虹色に輝く妖精の形をした石。できそこないだがと本人は言っていたが、体躯も薄翅も、グラデーションのかかった鮮やかなもので、妖精が死んでから出来上がるものだという。要は妖精の死体みたいなものだと、ロマンティックのカケラもない一言で目を瞬かせていたが。

『何にせよ、お主はやることもあるじゃろう。付き合ってくれてありがとな。またのぅ」

　ふわり、と風が、赤い花々を散らしたところですべての記憶は赤へと消えた。





　きぃら　と、水晶の妖精が月に輝く。樹の幹に寄り掛かり、その姿を、そぅっと見あげる。まるで転寝の狭間にいるかのように目を閉じた妖精。揺れるのは小さな頭と、月色の帳の中で、さらりさらりと空気を撫でる。そうして見上げた紫、石英のように透き通った体は、月明かりに照らされれば黄金にも似た深い色合いを示していた。
　——そのの奥から差し込む蒼色が、帳が、とっても綺麗で。






「—————　なんで？」　



　なんで。


「なんで、そんなに……笑顔で」


　どうして。


「そんな……私に……」





　おはなしをしてくれたの？
　だらんと手を下ろすのは、力が抜けたような動作。けれど手にした石は手放すことなく。代わりに大腿部に巻きつけられていた葉からつる草が伸び、出来立てほやほやの柘榴を前に。
　腹がすいたなら食えばいい。ひととしての原始的欲求。抗うこともなく、柘榴の茎を撫でてから、それを口にした。

———酸っぱくて、かたい

　生で食べようものなら、そんな味わいがしみる。鉄くさいとは違うが、それににた渋みが口内に行きわたる。彼女の言うそれがどんなものかと思って食せば——なるほど、これは確かに『食べようとも思わない』。
　それでも嚥下して、ぐぅっと上体を折って、枝の上から落ちるぎりぎりまで、バランスを崩さないようになんとか飲み込んだ。

「けほっ……ァ……なん——で……」

　腹を一時的に満たしてもなお消えない疑問。解決するための動力源は別にある。
　柘榴が思った以上に不味いものだったからか、それとも———
　幼児が親に投げかけるようでいて、然しそれとはまた違う。紫の子の「なんで」の問い掛け。
　しかしそれに答えるものは誰もいないし、答えられもしない。器用に枝上で踏み、殊更間近に見える枝と、その奥に見える月。困惑の色。一度ぱちりと瞬きを見せて。
　一個人の感性では、量りきれない感情。それでも自己完結に頼るほかにない。
　こてりと首を傾いでから。

「お母様は——幸せでしょうか？」

　問う。
　右に、左に。背にかかるかかからないかの長さの髪をふるりふるりと揺らす。微笑うように双眸をゆったりと細めながら。

「偽も——クズも、幸せになりたいです」

　一縷の望みを、濡れた眼の気配は風が撫でて掬って、纏わせ、消えて。惑い、揺れる。
　途轍もなく美しい至高の宝石に見惚れるよう、高嶺の花を見上げるように。今宵の月は眩しい——眩しすぎて、泣きたいくらいに。

　花を願えど咲かせられないクズの葉こそ、そうありたいのです。
　甘えたがるように言葉はねだる。明けの明星を拝むまでは、ただ願うばかり。
　もうしばらくだけ、もうすこしだけ。

しげしげと見せてくれた場所を見た後、モクラは言った。
触って何かを確かめたい様子だ。

　体力や器用さによらぬ技術の普及というのは興味深い。

　今まで水について詳しく調べもしなかったが、今後はそれも考えながらやるしかないな、と考える。

可哀そうなものを見る目で見つめている。

きりっとしたウザい喋りのウナギ等、たとえ見た目が美味そうでも食べようとは思わないだろうな、と思うフィーグルであった。

たとえ放し飼いだとしても、何かできるわけではないのだが。

　愚直な言葉に、わずか、表情を歪めたように見えた。
　それから息を吐く。殊更意識を削って。神経を尖らせて。

　身も心さえ尖らせて。

「……お前が、誰かの華で有りたいというなら。何者であろうと、満たしたいというなら」

　呻くような声だった。
　切望を滲ませるような。

「それが、俺である必要はないだろう」

　そう在ることを、望むかのように。

「俺は、それに相応しくない。……享受するには、足りていない」

「何も——」

　だから、と。
　苦しげに喉を鳴らして、拳を握った。

自分の印象を褒められて、ものすごく嬉しそうにはしゃぐ。