何処からかふぅわ、と吹いた風は冷涼さを孕んでいた。
　夏めいた熱は失せ、秋めいた涼やかさはとうに超える。————氷の迷宮。
　嘗て見たの誰かの『夢』を、限定的に顕現している。

「……————」

　氷で作られた迷宮の壁の向こう、果たして透けて見えたかどうかはわからねど———ひょっこり　顔を出した白銀色。冷えた空気など知らぬように　きょろり、きょとり。行く先を見回してはそ、と　足を踏み出す一歩。また一歩。ひょこひょこ、と。
　時折入り込む風がひぃんや　り　と。

「みーつけた！」
「捕まえました！」
「確保……」

　はーぁーぃ、って　お返事するような軽やかさでそちらを見遣った。
　投げられた声と共、白銀の周りの大気がふぅわりと流れて、頬を撫ぜたがる——流れの元、声の元を辿って振り返れば、妖精三匹がこちらに慌ただしく……否、2匹はそのように、1匹はてくてくと歩いてやってくる。
　アン、クララ、ティスと三者三様の言葉。同じ妖精でもここまで違うか、と……密に面白味を感じる。
　海藻と花と、水の香りが、迷宮に似合わない香りを運ぶ。

「転ばないよう、気を付けてね。床、つるつるだからね」

　ふわぁりと緩やかに地面すれすれを浮かんでエッセは紡ぐ。
　夢は精巧に、そのままの記憶を呼び出したかのように当時の儘残っている。質感も空気も匂いも、当然景色も。
　『此処』はリアルだから、痛みも感じるし、悪寒も感じる。だからこその注意喚起。

「お兄さん……？　はずるいですよ。そんな風にふわふわするなんて」
「いーな。私達は飛べないのに、ふわふわ飛んでてずるい」

　てち、と伸ばした両手は白銀に向かって、まるで触れたがるかその体を下ろしたがるよな————ねだる腕。
　エッセの身長は妖精サイズまで縮まっている。そうなるようにしたから。彼女達と目いっぱい遊ぶなら、それが最適だろうと踏んで。
　伸ばされた両腕に、白銀の腕が掴みかかられる。
　浮遊する躯は水中をぷかぷか浮かぶ海月の様に、何の抵抗もなく引っ張られて寄せられた。

「……今度はハンデなし？」

　悪戯の一つでも成功したような、無邪気な笑み。
　ぶらんぶらん、って。心地よさ気に銀の双眸細めてもみて、白銀色が言うのは戯れめいた色の言。

「それも良いけど普通に探索したいねー」

　そうクララが伝えば、凍った床の上にトンと足を突く。

「——ティスもそれでよいかな？」

　ようやっと追いついたティスをのけらっと見る。エッセはどことなく覚束ない足取りで彼女の前に向かう。
　ね、ね。追いかけっこと探索、どっちがいい？　白銀色は問いかける。

「…じゃあ、追掛けるのも疲れるし」

　後者を選ぶ。

「ティス、転ばないでね？」

　くす、くす。お手手差し出す。
　迷宮の冷やかさに影響されて、僅かに人の体温より冷えていたその手。
　「冷たい……」と零しながら離さずにいるティスに笑みを浮かべながら、クララやアンも共に手をつなぐ。
　じゃあ歩こうか——そう紡いだ矢先、ふいと、白銀色はいたずらっ子の貌をして————駆け足した

「……ん、ん？」
「ふわわ……！

　妖精達は不意に引っ張られてしまえばとととっと軽くつんのめりそうになりながらも歩調合せて、おいかける。
　滑り易い床に転びそうになるたび苦笑し、嬉しそうに笑う。——ティスだけはあまり表情を変えず、真剣な風だったけど。

「あ、危ない……」

　凍った床向けの靴でもないから、本当につるーっと滑ってしまいそう。別に転倒したところで怪我もないだろうが、濡れてしまうと洗濯が……と脳裏に考えるのはティス。
　覚束無い駆け足も、時折よろりとなってしまうのも、白銀は愉しくて。ころころと軽い笑い声をあげてしまう。
　そんなそれほど速いわけでも無い速度が不意と緩んでしまった。

「……おや？」

　地面に煌めく、ナニカを見つけたから。

「……」

　興味ありげな色を織り交ぜた吐息。ほっと吐き出しては　“ねえねえ”と両者の手を引っ張る

「あそこに何かあるのよ」
「んー？」

　なんて言ってはそのまま引っ張って歩いていく。先程の駆け足に比べれば大分落ち着いた歩調で、けども矢張り何処か急く風な具合。
　転がっていたのは———水晶の様な、硝子球の様な透明度の高い融けない氷。
　手繋いだまま、まんまるの前にしゃがみ込んで。　目の前に転がってるそれをツンツンツン……つんっ。

「氷、かなぁ？　ちょっと不思議な感じの氷だね」

　つんつんころころ。ころり。妖精達としゃがみ込んで　興味深げに観察。
　そのうち白銀はおもむろにひょい、と抵抗なく拾い上げてみた。

「……冷たい」

　それは間違いなく氷、なんだけれど。

「溶けないのかな？　それとも氷みたいに冷たいだけかしら」

　光に透かすように頭上まで持ち上げて、覗きこんで。きらりと光った氷珠。

「万年氷みたいなものだと思うよ。でも氷にしては大分硬質……結晶みたいになっているのかな」
「おねーさん達なら何かわかるかなー」

　悶々としながら一同は頚を傾げる。

「氷、氷……」

　ちょっと目が爛々してるのは気のせいじゃないかもしれない。

「ねぇねぇ、みんな」

　愉しそうに妖精を見遣れば

「これ、これね。偽に持って帰ったら喜ぶかしら」

　満面の笑みで幼子のよなことのたまった。

「んー？　お兄さんが見つけたんだから、お兄さんが持ってても良いんじゃないんでしょうか？」
「あげたいの。偽が喜ぶ顔が見たいなって思ってね」

　爛々と輝く目。こっくり頷く笑顔。

「……それとも、皆これがほしい？」

　くてん。首を傾いでは其の顔見上げるよに。

「……え？」
「ん？」
「えー……？」

　嬉々と笑む白銀の眼は、この氷の空間の中を返してほんのり涼しげな色を宿していた。
　髪色と眼は氷色に染まっていたのに、嬉しそうに笑う笑顔が何故か温かく見える。

「これ、おねーさんが拾ったんだから、おねーさんのでいいのに？」
「エッセのだから、エッセが好きにしていいのよね。けれど、これはあなた達も見つけたものよ。それに今なら、偽もミィナも知らないのよ？」

　口に人差し指あてて内緒話でもするような悪戯っぽさで、ウインクすらしてみせた。軽く首を傾ければ、髪に纏う蜻蛉玉が揺れる。
　どう？って答えを求める問いは、何処か同意をねだっているようにも。

「んー」

　ヒミツのサインをして見せてくれる仕草と。ましろの掌。ころろと転がる氷の珠。
　各々交互に見比べて。悪戯な笑顔を浮かばすエッセのことをもう一回見て。

「……それならみんなで割って、持ってみる？」

　割れたらもっともっと小さくなってしまうけども。持ち運びやすくはなりそう。

「何か作ってみてもいいね。偽のまねごとで良ければエッセでも何か作れるかも」

　そんな案はどうだろうか。
　ほんの少し身を屈めて視線の高さを合わせて、改めて見つめてみる。

「なんだか面白そうだねー、いいかも」
「うん、良いと思う」

　その単語にとってもとっても反応した。子犬が気に入りのおやつを目の前にだされた時のよな反応。

「ね、素敵。素敵よ。それじゃあこれ、持って行こうか」

　喜色の想いが溢れるのなら、口に当てていた人差し指も力が抜けたよにふにゃと曲げられる。
　氷を片手に持ちなおし、それを確認した妖精達は、するするっと滑るように氷の迷宮を進んでいく。
　軽く引いて、片手で妖精達は誘導したがる。
　まだまだ進める所まで行こうかなんて。まだまだ宝はあるかもしれない。
　幸いなコトに魔物にもまだ遭遇してない様だし、もう少しぐらい進んでみても良いだろう。
　手を引かれるがまま、上機嫌なまま、氷の雫を落としてしまわぬよに確り握っていた。