私は今、一人で、街を歩いている。
本当はマァムブ内にいる誰かについてきてもらえばよかったのかもしれない、なんて、
相変わらず聞き取る事の出来ない、雑音にしか聞こえない街中での人々の声を聞きながら思う。

でも、何となく。そう、何となくだけど。
マァムブの中にいる人たちにはお願い出来なくて、だから、今日は正真正銘、一人だ。




あの日。
カミユ君と二人で花火を見た日の事。

海ではしゃいで、戯れて、そんな風にして歩いていた帰り道。

彼は、不意に立ち止まって。
本当に、本当に真剣な表情をして話し始めた。
そう。それなりに長い話だったと思う。
此方が理解出来なくとも、それでもずっとカミユ君は喋り続けていた。

肩に触れた手の、熱。
まっすぐな瞳。
その声色の、淀みなさ。

まだ覚えているのに、私は、……カミユ君が、何を私に伝えたいのかを理解出来なかった。

ただの、一つも。

正直なところ、言葉が通じなくて、すごく困ってはいたけれど、
運良く拾ってもらって、衣食住には困らない生活をさせてもらって、この世界で知り合った数人とは対話する事すら出来る現状は、……サバイバルな異世界にしてはぬるま湯だった、と思う。
急いで出口を探さなきゃ、とか。
急いで言葉を得る手段を見つけなくちゃ、とか。
そんな事、全然思ってなかった自分の能天気さに、ビックリする。






だから。

今日からは、少しでも、何かを得る為の活動をはじめなきゃ、と思って。
言葉を得る為に、街に出て——……みたはいいんだけど。

今、私がいるのは雑貨屋さんの目の前だ。

目当ての物は、たしかにあった。
人が住んで、ある程度文化的な環境があるのならきっとあると思っていたから、私の目論見自体は間違ってない。

私が、手に取っているのは、正真正銘、子供用の絵本。
私と同じ文化圏の人が持ち込んだのか、それともこの世界の伝承は私の世界と共通しているのか。
おそらくは、そう、絵と登場人物、絵の展開の進み方からいって間違いないはず。

白雪姫。

小さい頃、大好きだった、いや、結構大きくなってからでも好きだったお話だ。
言葉も子供用に柔らかく優しくなっていて、尚且つ私の知っているお話だったら、勉強用の教材としてとても良いのではと意気込んでやってきたは良いのだけど——



お財布の中に、この世界のお金がない事を、……忘れてた。



一応パワーストーンっていうこの世界のお金の概念はクリス君から教わってたし、
何かいろんな生き物を倒したりしたらPSが貰える状況だけど、あれって基本みんなのお金だから、私個人が趣味のものを買ったりどうこうできるような代物じゃない。
この世界、というかこの周辺は結構な財政難みたいで、食事の質もちょっと下げないといけない雰囲気みたいだった。
本当にここ最近は、ちょっとお金の羽振りがよくなっていたけれど、……どっちにしても個人で自由にしていいクラスまで潤ってはいないだろうし。

目的の為に勇んできたのに、ああ、もう、何やってんだろう。
頭を抱えたいのを人前だからってじっと我慢して、……とりあえず立ち読みでも、なんてページを開きかけ——




『＊＊＊＊＊＊＊＊？』

街の中の雑音に混ざる、見に覚えのある男の人の声。
何の気なしにあげる顔。視界に入る——黒い、スーツの……赤い瞳の…………

「……———　　　　？！？！？！？！」

我ながら、何というか、中々に奇妙な、というか声にならない悲鳴をあげてしまった。
此方の顔を覗き込むようにして見つめるのは、トガノ、と名乗っていたスーツ姿の男性で。
街中で、声をかけられたのがキッカケでお話をさせてもらったり、パンを食べさせてもらったり、している。
優しく微笑む姿や、キッチリと着こなされたスーツ、物腰の穏やかさとか、もう、兎に角、色々パーフェクトで恰好イイ人だ。

そして、そんな恰好いい人に、子供の絵本なんて読まれてるのを目撃されたのが私で。

うわあ、なんか、もう、すごい凹む。
せめてこれ以上バレないようにとぱたんと本を閉じれば背中の方へとまわして隠し。
何でもないよ、みたいな風に笑顔で会釈を、一つ。
ああ、これ、きっと顔が。顔が引きつってる。鏡見なくてもわかる。

一瞬、なるほど、みたいな感じで相手が微笑んで頷くものだから、此方もつられて頷いて——……いる隙に、背中に持っていた本の感触が無くなる。
そして、相手の手元には、白雪姫の絵本が、あり。

——って、いやいやいや！一瞬だったよね？！　取る暇とか絶対なかったよね？！

『＊＊＊＊　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊？』

トガノさんは変わらぬ笑みで。何一つ子供じみたものを見ていた私を笑う事はなくて。
その変わらない態度が余計に胸に突き刺さるものがある。
買わないの？みたいにレジを指差して首を傾げるものだから、ふるふる、と首を横に振る事で買わない事をアピール……って、これだけじゃ理由はわからないか。

鞄から、元の世界からずっと使っていた財布を取り出せば、中身を相手に見えるように前へと。
500円玉とか。10円玉とか。そういったものは入ってるだろうけど、PSは一つも入ってない。

「ぱわーすとーん　ない」

教えてもらった言葉を、組み合わせて、何とか理解を求めてみる。

トガノの方は、私の言葉と、そして財布の中身を見れば、やや思案顔……をしたのはほんの数秒。
私から奪った本をそのまますたすたとレジに持っていく。
何か、ツッコミというか、引きとめる言葉すら思いつく暇も与えずに。……トガノさんは、気付けば、包装紙に包まれた絵本を私に差し出して、いて。

『＊＊＊　＊＊＊＊＊＊＊＊＊』

いやいやいやいや？！
さっきから私そんなツッコミばっかり入れてるけど、そんな、さらっと紳士的な事されても！
ええ、だって、多分だけど絵本ってそれなりにいいお値段するよね？
服とかよりは安いとは思うけど、でもなんか、私の世界とかだったら四桁ぐらいは確実だろうし、そうホイホイ貰えるものじゃない。
手をばたばたと大袈裟に振ってもらえないアピールをするけれど、見えているのか通じていないのか通じてるけど無視されたのか、もう一度絵本を差し出され。

「……ありがとう」

もっと言葉を知っていれば断る理由もすらすら出てきたかもしれないけど。
それも今は夢のまた夢で、……素直に好意を受け取って、頭を垂れて、お礼を言う。
でも、せめて、ただで返すわけにはいかないから。
手持ちのものでお礼になるような品……あったかなあ。あるといいんだけど。どうだろう。

自分が持つ鞄の中に、何とか絵本につりあうだけの価値のものがあるのを祈りながら、
とりあえずは店の前で立ち話なんて迷惑だから、何とか身振り手振りでトガノさんを誘い出し、その場を、離れた。




何処か食べ物屋さんにいくお金があれば当然誘っていたんだけど、そんなお金も私にはない。
近くにベンチも見当たらなくて、花壇の為に積まれたレンガを椅子代わりにして私たちは腰掛けている。

鞄の中、漁る。使いかけのリップや、ハンカチ、無くなりかけのポケットティッシュ。
学校で使ってた書きかけのノートや、メモ帳。……とても対価には見合わない。

こうやってお礼の品、を探す間もトガノさんには待っててもらってるわけで、もう出来るだけ早く、って気持ちばかり焦ってるせいでミスが多くなるのか、鞄の端から、ぽとり、とペンケースが落ちた。
ああもう、って慌ててしまいかけて、……思い出す。
もしかして、ペンの類って、ファンタジーの世界なら貴重って思ってもらえるんじゃない、かな。
勿論付けペンとか、もしかしたら万年筆みたいなのはあるかもしれないけど、ボールペン、とかどうだろう！
落ちたペンケースを拾って、中身を取り出す。

そう、たしか高校生になったばっかりの時に、もう大人なんだからみたいな理由で奮発してちょっと高目のを買ったんだ。
ちょっと使っちゃったけど、まだまだインクはあるだろうし……これならトガノさんが持っていても変なデザインじゃないと、…思う。多分。自信ないけど。
絵本を指差し、ありがとう、ともう一度お礼の言葉を。
そのありがとう、と一緒にペンを差し出せば、……お礼の品、って事は伝わった。よかった。受け取って、もらえた。

はあああ。ようやく肩の力抜けた。
なんか出会ってからずっと緊張してて、全然トガノさんの表情の変化とか仕草とか見れてなかったな。
折角こんな恰好いい執事さんが傍にいるのに勿体無い事してた。

取り戻そうとするみたいにジッと見てたら、……目線がモロにあってしまって。
こんな、隣同士。近距離で見つめあうのが恥ずかしくなって、頬を染めてしまう。
また間抜けな顔してるんだろうなあ、なんて思えば見られたくなくて、さっきはあれだけ見てたのに、買ってもらった本を取り出して、そちらに集中……しようとして。

知っている話なのに。
こんなにも短い文章なのに。いざ理解してみようとするとまったく読めそうにない、言葉の羅列。
1ページ目から一向に進めなくて、思わず肩が落ちた。

ああ、もう、やっぱり前途多難だ。そうやって、……仕草で小さく嘆いているだけなのに、先ほどからそうだけどトガノさんは敏感に気付いてくれる。
本を、貸してくれ。
仕草でそう訴えられれば、素直に1ページを開いたままに手渡し。

「＊＊＊　＊＊＊　＊＊＊＊＊＊……」

彼の黒い手袋を嵌めた、長い指が。
文字をゆっくりと撫でる。
低い、溶けるような声で、物語を奏でていく。
時折、文字から手が離れ、その言葉が何を示すかをあらわすように、絵の方へと指が伸びる。

……こうやって声として読み上げてくれるのは、とても、とても嬉しい。
何だか、出会ってから尽くされっぱなしみたいな錯角になるのは都合の良い受け取り方、かな。

まだ、日の高いうちは、……彼が、私が、もう帰らなければいけない時間になるまでは。
子供のように、何度も読み聞かせをねだったりとか……許されるといいなあ、なんて。

彼の言葉に耳を傾け、その仕草の一挙一動を見逃さぬように目線で追いかけながら、意識の片隅で考えていた。




もちろん、願うのは、心の中、だけで。口に出したりなんて、しないけどね。






※この日記は

ENo.1500 ハルシオン　　様

の協力のもとで書かせていただきました！

木を指差しては木と。
花を指差しては花と。
言っていたが、…ぴたり、とその動きは止まって。

……きのこの前で固まって、うーんと首を捻っていた。

何やら先ほどからずっとそんな独り言ばかり呟いている。

昨日の戦闘以後どことなく上の空の様子ではあるが、マァムブの力についてとくに何か語るということはないようだ。

しきりにぶつかった肩を指差されて
何かを言われているが、どうにも意味がわからない。
肩？見る？何のためにだろう？ぶつかった程度で？

レグルスの眉間に皺が寄り、爪先をぱたぱたと動かす。明らかに苛立ちが見えていた。
が、ごめんなさい、と言われて驚いたような、戸惑ったような表情に変わり、おずおずと体を離す。

　

隣に立っているカカに気付いて大袈裟に驚く。

どこかから持ってきたのか、紙を何枚か樹里に差し出して、白紙の部分を指差す。
絵を描くように動かしているつもりだが、指が人の腕程に太いので伝わるかはわからない。

カカは、おそらく肩のあたりをレグルスに乱暴に捕まれて
連行されるように、羽根を落としながら樹里を置いて歩いて行った。

人の名前とは名前・苗字の順に並んでいるものだと、サイネルはそう思っていた。
故にサイネルは、彼女をジュリという家系に生まれたコウヅキという名の娘だと認識したようだ。

対してアトは樹里の方が名前だと理解していた。
しかしサイネルが名前に反応した様子を見て、翻訳は不要だと判断してしまった。
サイネルの持つ名前と苗字の認識がズレたまま、会話は続く。

樹里が表情を曇らせたことに気付いたアトは、すぐに謝罪する。
一方サイネルの方といえば、それに全く動じることもなく樹里を見つめている。

樹里の境遇に同情するような口ぶりで話すアト。
それから一呼吸おいて、アトは再び口を開いた。

そう言ってアトは、樹里の話した言葉をサイネルに伝えた。
アトが樹里の言葉を言い終える頃には、サイネルは皮肉気な笑みを浮かべていた。
それからまた、サイネルは樹里に向かって言葉を投げかけてきた。
その言葉を、アトは翻訳し始めた。

先ほどとは打って変わって、サイネルの話し方は穏やかなものであった。
サイネルの言葉を訳し続けるアトは、まるで無機物のように無表情だ。

相変わらず、言葉はわからないが
恐らくパワーストーンでも支払おうとしたのか…
一揆参加者なら仕方ないか、言葉が通じないなら他の共通通貨などあまり知るはずもない。
というか、異世界から来てる奴が一般通貨を知ってるワケがないのだが
そこは商売柄というところだな。PSはとても高価な通貨だ。それをよく知らない異世界人だったり田舎の野郎どもを上手い事やってPSだけでやりとりさせるのはとてもいい案だ。
俺もその利益を享受したいくらいだ。

ま、その辺はいいとして言葉だ。
言語という訳で法則性はあるはずだ。

彼女の言葉の使いようからそれなりに細かい表現のある言語のようだが、ある程度の法則性はしりたいところか…
これまでの会話を思い出していくか…ヒントは結構あるだろう
法則性などを見つけられれば少しはまともに会話が成り立つとよいが…

ペンと紙を使って文字と言葉を発して貰うというのも一つの手ではあるが、
そういうのは時間がかかる。ここはさり気なく付き合いつつ頭で思考するほうが難易度は高くていいな。

——もう片方の手のアイスキャンディが若干溶けたのに気がついて、もう片方の手が微妙に変な動きをさせていたのに気がつく。

名とは不思議なものだ。一度識れば、相手は正体不明の化物では無くなるのだから。
飴玉を転がし、良い笑顔を浮かべる少女へ軽やかな笑みを返し。

声に出して、繰り替えす。
繰り返す内に違和感を覚えた。

メルンテーゼに喚ばれる以前にいた地。……もはや、100年以上も帰郷出来ていないが。
しかし、"ぱられるわーるど" という可能性もあるし、同軸世界とは限らないと唸る。

悩む内、尻尾に見惚れていた少女が何やら文字を書きはじめた。
日本の平仮名に、とても良く似ている気がするが——、

思わず叫び、頭を抱える。
それはとても、良く知っている呪術様式だったからだ。

空を仰ぎ、唸った末に、ごほんと大きく咳払いをして。

——これで、伝わるだろうか？

幾つか不明瞭な単語もあるが、文脈はこれで良いと見た。
自分の訛りが標準ではないことに気づき、「ちぬへ、ちつぬ」と自分を指差して。

先ほども聞いたその一言に、微かに首を傾げる。

少女の仕草から予測した言葉を当てはめてみる。

びっしりと埋め尽くされたメモ帳のページ。
それを囲うように指で丸くなぞり。

その後、部屋の中にある椅子を指さし、座る。

そんな動作をしてから、またジュリの元へと戻ってくる。
と、ペンを持った手の手首を掴み、前へ。
掴む力は殆ど無く、自由に動かせる。
軽く揺らして、何かを指さすように促している。

地面を踏む音は当然聞いていて。待っていたのがバレぬ程度にゆっくりと顔を上げる。
軽く目を開いて驚きを演じつつ相手をつぶさに観察。
差し出されたハンカチと笑顔に人の好さがにじみ出ていた。

白い布地を受け取ると努めて緩やかに立ち上がる。

頭をしっかりと下げながら相手の様子を伺う。
通じているならよし、そうでなければ対応を変えて。

幸い男の世界は異世界との交流も多く、見知らぬ言語と触れる機会もそれなりに存在した。
こういった場合、単語と単語を切って話すと通じやすいものだ。

ハンカチを握って控えめにひらひらさせつつ、聞き取れた言葉をおうむ返し。
馬鹿にされてるように解釈されると困るので再度お辞儀をする。

にっこりと笑いかけつつ相手の反応を待つ。
端から見ればいかがわしい行為を頼み込んでいるように見えたに違いない。

ジュリが縦に頷いたのを確認すると、ハルはどこか嬉しそうな、それでいて安心そうな顔を見せた。
今まで表情では示さなかったが、結局はどこか不安を感じていたのかもしれない。

唐突にハルが声を漏らす。
それはまるで何かを忘れていたとか、うっかりしていたとか、その類のものにも聞こえそうだ。

ハルがジュリに向かって掌を向け、それを大きく左右に振ってみせる。
動作なら多分通じる。そう思ったのかもしれない。

そしてハルはトガノとジュリの顔を交互に見つめ

と釘を刺した。

暫しトガノは暫し去っていくハルを見つめながら呆気に取られていたが、
我に返ると再びジュリの方へと身体を向け。

再び笑顔を浮かべ、手を引いて歩き始めた。
…道中、トガノはジュリに笑い掛けたりしながら色々なことを話している。
その様子は相手に言葉が通じないということはもはや忘れてしまっているかのようだ。

握手しながら今度はメルンテーゼ語で言い。

？　のジェスチャーをしながら、わっかるかなー、と呟いて。
ぽりぽりと頭を掻いて腕組をして考えるように首をかしげた。

ふと、少女を見てん？と首をかしげ。

言葉が通じないことも忘れて難しい顔で言い、ぶつぶつと。

ちょっと考えた後、とても真面目な顔になって。

通じてはいないだろうが。