違和感は些細なものだった。
　少し、変な感じがするな。何だか、気になるな。
　そんな具合のものだ。
　けれど、一度気になったら、どうにもそれを意識させられざるを得ない。
　だから——軽い気持ちで、訊いてみたのだ。



『ウルヘア。コトカは、普通の、ただの人間だよね？』
『何じゃ、急に。どうかしたのか、ヒリアイネン』

　前に俺と彼が話していた時みたいな、夜明け前。
　主であるコトカは寝ていて、同行者であるミハウは、少し離れたところで眠たそうに見張りをしている。
　目の前のイヌワシ——ウルヘアは、偶に見張りの手伝いだの、自分と喋るからだの、そう言った理由で起きていることもある。今日は前者だ。さっきまでは、コトカが見張りをしていた。
　自分はザントマンであるから、この時間に起きているのは慣れたことである。
　結晶の様な形をしている今の自分の言葉は、人間の彼らには聴こえない。
　聴こえるのは、ウルヘアと、他にコトカが契約しているエンブリオ達だけだ。
　もしかしたら、ミハウのエンブリオ——イェジだったか、彼にも聴こえるかもしれないけれど。それは試していないから、何とも言えない。

『ほら、前に言ったじゃん。彼女の力は、貴方とは釣り合っているように見えないって』
『だから、儂があの子と契約したのは運命と言ったじゃろう』
『臭いってまた言えば良いの？　……まあ、それは兎も角さ』

　ウルヘアは、話してみると案外、お茶目と言うか、愉快な性格をしていた。固いところは、そりゃ、固いんだけど。
　でも別に、わざわざボケるような点を仕込まなくて良い。

『それで、その時から比べると、彼女は俺たちの……エンブリオの力を引き出すの、上手くなったと思うよ。頑張ってる。でも、特別に凄いとか、そういうのは一切無い。……そう思ってたんだけどさ、』

　彼女は、ただの人の子だ。それは、間違いないと思う。
　だから、良くも悪くも、コトカは普通の範疇を出ない。物語でよくある、特別な力なんかは持っていない。
　気になったのは、そこじゃない。
　それなりの間、自分は今の主と時を共にして、戦ってきた。
　ウルヘアと話をしてから、彼女を少し気にして見るようになって、ふと、気付いたのだ。

『変な感じが、するんだ。コトカから』
『……ほう。どういう風にじゃ？』

　そう訊かれたら若干、困る。その違和感を言葉にするのは、難しかった。
　いくらか悩んで、言葉を選んで、俺は彼に答えた。

『……何かに、護られている、って言えば……良い、のかな。いや、よくは分からないし、気のせいって言われたら、そうかもしれないけど……よく分からないものを、感じるんだよ』

　よく分からないもの。コトカ以外の何かを、薄らと彼女から感じた。
　自分の抱いた違和感は、あれは、一体何なのか。

『それに、……貴方も、何か、変だよね？』

　目の前のイヌワシは、確かにエンブリオである。それは間違いない。
　エンブリオであるかどうか、と言う疑問を投げかければ、どちらかというと、コトカと同行するミハウの、あの狐のエンブリオの方がより疑わしい。
　そう言う問題ではない。
　確かに、この彼はエンブリオではあるのだ。
　違和感は、彼女に対して抱いたものとよく似ている。
　よく分からないもの。彼以外の何か。だけど、彼から感じるもの。
　それは決して、彼や彼女に害を与えるものではない。
　ただ、何だか、その『在り方』が、気持ち悪く思えたのだ。
　思い返せば思い返すほど、その感覚は膨らんでいく。

『ヒリアイネンよ』

　黙り込んでいたら、ウルヘアに呼ばれた。
　声音は妙に静かで、黄金色の双眸は、すらりとこちらを向いていて。

『昔話に付き合う気は、あるかのう』
『……どうぞ。と言うか、拒否権無いでしょ』

　どうにも嫌な予感がしないことはない。
　が、この流れだ、断れもしないだろうし、ここで断っても、もやもやするだけだろうということは分かった。
　仕方が無いので、話の続きを促す。

『無理にとは言わんが、まあ、できたら聞いてほしいかの……それと、少し頼みたいこともある』
『……、……どうぞ』

　頼みたいこともあるという言葉を聞いて、大分引き返したくなった。
　が、やっぱり無理だろう。渋々と言った声音は、案の定、さらりと無視された。
　面倒くさそうなことに首を突っ込んだ自分も自分だし、きっとウルヘアのことだから、自分が訊かなくても、いつかのタイミングで頼んできただろうとも思う。
　ただ、偶々、それが今日だっただけだろう。
　そして、彼は、

『森の主なんてものは、もうおらんのじゃ』

　——意味の解らないことを、言い出した。
　森の主。コトカと、ウルヘアが居た故郷の森を、護っていると言うそれ。
　大切なものだとコトカは言っていたし、自分にもそう聞こえた。
　それが、もう居ないって。
　彼は、何を言っているんだ。
　彼は、そんなことを話して、俺に何をさせようとしているんだ。



　***



『……ねえ、それはまるで、』

　そんなものは愛と言えない。
　そんなものは祝福と言えない。
　そんなものは、

『呪いじゃないか』
『そうとも言えるじゃろうな』

　然も当然のように、ウルヘアはそう言葉を紡いた。
　ぞわり、と背筋に冷たいものが走るような気がする。
　シウナウスの森——祝福の森だなんて、大した、酷い名前だ。
　意味としては合っているのかもしれないが、それでも、だ。

『愛することも、祝うことも、呪うことも——本質は一緒じゃよ、ヒリアイネン』
『……それで？　それで貴方は、こんなことを話して、俺に何をしてほしいわけ？』
『何。お前さんに悪いようにはしないし、ましてや取って喰おうなんて思ってはおらんよ……そう警戒せんでいい。ちっとばかし、力を借りたいだけでの。……それに、』



『これは『ウルヘア』ではなく、『イェレミアス』としての、頼みじゃからの』



　イェレミアス。
　彼の名前。
　彼の、本当の名前。

　帰ると言う言葉に、目を瞬かせた。
　一瞬、沈黙して、

　少しだけ、寂しそうな表情を浮かべたものの、直ぐにいつも通りの調子に戻って。

この話題にはもう触れない方が良いと思った。

語る口調はどこか生き生きとしている。

今は大分慣れたのか落ち着いたのか、非常に安定した喋り方。
あなたの反応をみるに「威厳ないでしょうか」と呟く、ほんの少し口調がたどたどしくなった。といっても僅かな変化だけれど。

コトカと良く似た、遠い目をした。

冗談じゃないわ、とボヤいた。
厄介なのは天使だけではなかったけれど。

あっさりと言う。言って、コトカを見た。

自分が滅ぼした者の中にに含まれると言外に告げる。

それから、にやっと笑って。

どうやらフィーグルの知るエルフも、コトカのエルフ観とそう変わらない外見をしているらしい。
精霊と伴侶になれるのか、と問われれば。

ちょっと照れくさそうに、ロマンチックな返答をした。

そこまで言うと、虚空に目を向けて

この世界にはエンブリオがあるだろう、と語る。

うるさいんだと繰り返す。

それから、ふ、と表情を緩めた。
コトカとウルヘアを振り返る。

だから、
大丈夫だ、と繰り返した。

恩きせがましくうっとうしい！！

ジュースの入ったコップをひっくり返すと、
当然ながら液体はコップからどろりと滑り落ちる。
スライム状のそれは大地に染み込むことなく大地に叩きつけられた。

ぶわり、とイェジの周辺を青い光が取り巻く。
それを横目に、ミハウはフレイルを構えると、じっと相手を見据えた。

　イヌワシは、一つ、大きく羽ばたいた。