（ENo.1195ミハウ・クワイアトコウスキさんの日記とリンクしております。
　そちらから先にお読みになることを推奨いたします。
　尚、少しだけ攻城戦に続きます。）

　ミハウが、目の前からいなくなって。
　私は一人、座り込んだまま、何もできなくて。
　実際のところ、時間はそう経っていなかったんだと思う。けれど、その時間が酷く長く感じられたのは確かだ。

「おイ、嬢チャン、どウした？」
「……イェジ」

　どうしても、声が弱くなる。
　周囲の見回りに行ってくれていたイェジが帰ってきた。
　何が起こったか、説明しようとするものの、声にならない。
　さっき起こったことが、言われたことが、ぐるぐると頭の中を巡る。

「ミハウが……ミハウが、行っちゃって、私、……」
「……は？」

　イェジは大きな目を丸くして、口を開いたまま、数瞬、固まった。衝撃を受けているんだろう。それは、そうだ。
　それから立ち直ると、こちらに近づいた。
　私はきっと、泣きそうな顔をしているのだろう。
　眉間に皺を寄せているものの、彼の声はいつもより柔らかい。

「ミハ……アの馬鹿が、行っタ？　……なァ嬢チャン、一体、何があったンだ？」
「……最近、様子が変で、何があったのか、訊い、て、」

　言わなくては。何があったか。
　ゆっくりと、話す。
　自分を落ち着けるように。頭の中を整理するように。ぽつりぽつりと。
　イェジは律儀に相槌を打っていてくれているけれど、そこで、言葉が止まる。
　そうだ、私は、

「私、心配だった、のに、……困る、とか、酷いこと言っちゃった……」

　泣きそうになる。そう言ったのは、自分のくせに。
　どうしよう。どうしよう。
　やっと、少しは彼のことが分かってきて、上手くやれていた気がしていたのに。
　まただ。またあんなことを。
　今度こそ、もう、駄目なのかもしれない。

「あァ……嬢チャンは、アイツを心配していテ。でも、ソレを上手く、アイツには言エなくて、後悔してル。それは、合ってンな？」
「……うん」

　未だ混乱する思考の中で聞こえた声に、私は頷いた。
　その気持ちは、間違いない、はずなのだ。
　涙が零れる前に、ローブの袖でそれを拭う。
　泣いちゃ、駄目だ。泣いたってしょうがないんだから。
　イェジは言葉を続ける。

「……けど、ソンだけじゃ、アイツが嬢チャン置いて、どっか行くわけねェんだ。あンな、しょうもねェ奴だけどよ。……他に、何かアイツ、言ってタか？」

　そう、だろうか。本当に、そう思っていいのだろうか。
　だって、ミハウは目の前にいない。

「……それで、使命があって、でも、全然、何も分からないままで、……だから自分が嫌で、個人の情より、使命は優先されるべき、って、言ってた」
「っ！……あンの馬鹿、まだ、ンなことを……」

　イェジは尻尾と耳をぴんと立てて、低く軋むような声で呟いた。怒っているんだろうか。
　まだ、って言ってるから、前にもそんなことを言ってたのかな。なんて、ぼんやり考える。
　それから、彼は私に目を遣った。

「……悪ィな、嬢チャン。いきなりンなこと言われて、びっくりしタろ？」
「……私が、訊いたんだもの。でも、ね、」

　イェジは、気遣うような眼差しを向けながら、頷いた。
　それなりの覚悟をして、訊いたはずだった。
　けれど。

「……これから、どうしよう」

　ミハウは、私たちと、私と一緒に居るべきでないと、そう判断したのだろう。だから姿を消した。
　きっと追いかけるべきでは、ないのだろう。
　そう、考える。
　考えたけれど、でも、それを言うことは、言って認めてしまうことは——できなかった。

「……これかラ、なァ。まァ、まずはアノ馬鹿をとっ捕まえル。まだ、そう遠くにァ行ってねェだろうし、すぐ追いかけリャ見つかンだろ。…色々、話きかねェとなァ」

　一瞬も迷うことなく、あっさりとそう言われた。
　続く道の方へ視線を向けながら、ぼそり、と呟いた言葉は、ミハウへの怒りが感じ取れて。
　イェジは、それでも良いのかもしれない。

「……それで、良いのかしら」
「ン？」

　彼は首を傾いで、こちらを見る。
　イェジは、ミハウのエンブリオで、他にもきっと何かあるから、ミハウと一緒に行くことは正しいのだろう。
　イェジは、だ。

「それで良いも悪いも、アイツのこっだ、また変に考え込ンでンだろ。このまマほっといタって、いつか自滅するだけダしな」

　それでは困る、と呟いてから、彼は私をじっと見上げる。
　確かに、それはそうだ。一人で、しかも荷物も置いて行っているのだ、ミハウは。
　……よく考えたら、彼も酷く混乱していたような気がする。
　それに、怪我だってしている。治癒は施したけれど、完全に治ったとは言えない。
　このまま放っておくのは、危ない。そうは、思うけれど。

「ンじゃ……嬢チャンは、どうすンのが良いと思う？」
「……ミハウの傍に、私が、いたら、」

　邪魔なんじゃないか、って。
　だから、追いかけちゃいけないんじゃないか、って。
　言葉にすることは、やっぱり、躊躇われた。
　イェジの溜息が聴こえる。頭を掻こうとしたのか、上げかけた前足は下ろされて。

「……あのよゥ、嬢チャン。アノ馬鹿は、ほんっと、どうしようもねェくらいノ馬鹿だけどヨ。……少なくとも、簡単に、情のわいた人間を切り捨てられるほど、薄情な奴じゃあねェン

だわ」

　見ると、とても不服そうな表情をしていた。けれど、諭すように続ける。
　イェジは、優しいと思う。口は悪いし、ミハウへの態度も、つんけんしているけれど。

「……今のモ大方、使命も嬢ちゃんたちも、どっちカを選ぼうとして、選べなクて。いたたまれなくて、逃げたンだろうよ」

　多分ナ、と小さく聞こえた。
　彼の言葉には、答えられない。
　何も、分からなかった。
　視線が落ちる。エプロンを握る手に力が篭る。不安で、仕方がない。
　ふと、気配が変わった気がした。

「……まァ、俺ァ行くぜ。付いてくンなら、来れば良い。そうじゃねェなら、此処で待っててもいい。どっちにしろ、とっ捕まえて連れてくっからよ」
「……あ、」

　顔を上げれば、目の前には見知らぬ背の高い青年がいた。イェジのいたところに。
　きっと、これが彼の人の姿——本来の姿だ。
　紫がかった銀髪に、獣のような橙の瞳、狐の耳。それが生えているから、まだ完全な姿ではないのだろうな、などと思う。
　衣装は、東洋風とでも言えば良いんだろうか。そういうのに詳しくは無いし、今の私の頭で考えていることなんて、あまりあてになりそうにはないけれど。
　彼は置きっ放しになっていたミハウの荷物を拾うと、立ち上がってそう言った。
　まだ歩みは緩やかだが、本当は直ぐにでも探しに行きたいんだろう。

「わた、し、——私、も、」

　思考は纏まらない。
　どうしたら良いかなんて分からない。
　彼の本当の気持ちなど、私には分からない。
　それでも、

　それでも。

　

「私も、行くわ」



　思考は纏まらない。纏まる訳もない。
　ただ、それでも、ここで座って待っているよりは、良いんじゃないかって、そう思った。
　だから、私はミハウを探しに行く。
　はっきりと、そう言った。

「……そうかい。んじゃ、行くぞ嬢ちゃん」

　立ち止まって、イェジは少しだけ笑うような、そんな声音で言った。
　私は、歩く彼の背を追った。



　***



　ウルヘアは、途中で気付いて来てくれた。と言うよりも、イェジと話す途中から、近くには居てくれていたらしい。
　それにも気付かなかったくらい、私は動揺していたようだ。
　私とウルヘアと、イェジとで、水辺を進む。
　あまり私は攻撃することは得意ではない。
　戦う時は、大体、ミハウの補助や回復に回っていた。
　ミハウはいつも前に出て、敵を引きつけて、敵を倒してくれて。
　彼が居なくなって、一人で進む。
　私が彼に頼っていて、助けられていたことを実感した。

　歩みを進める。

　……私は、どうしたいのだろう。
　ミハウと一緒に行く必要性と言うものは、正直、無い。それは、向こうも同じだ。
　けれど、ふと、いつかした約束を思い出した。確か、私の誕生日の時だったと思う。

『その、私、言い方きついから、また嫌な思い、させちゃうかもしれないけど、気を付けるし、……これからも、一緒に居てくれる？』
『……ええ、もちろん。……私の方こそ、直さなくてはいけないことだらけですから』

　彼と私が行動を共にするようになったのは、本当に偶然なのだということを思い出して。これからも一緒に行動するつもりなのか、不安になって。
　だから、そう問うて。
　それから、続いた彼の言葉は。



『こんな私でよければ、これからもご一緒させてください』



　嬉しかったんだと思う。
　そう言って、笑ってくれたことが。
　仲間だと思って、これからも一緒に行くと思っていたのが私だけじゃなかったって分かったことが。

　だから、悲しかったんだと思う。
　詳しいことは何も話さず、一人で悩んで、置いて行かれたことが。
　仲間だと思っていたのに、頼ってくれなかったことが。
　
　そうか、とそこまで考えて、気付く。
　私は、どうしたいのだろう。
　その答えは、単純だった。



　私は、ミハウと一緒にいたいんだ。

くすりとわらって

それで英雄なら今の状況は結構な数の英雄がいることになる

わけがわからなかった。
多分、言っている本人も理解し切れてはいないのだろう。

笑顔で指摘した

…どこかで抗議するように嘶く、ユニコーンの声が聞こえたかもしれない・

それでもフォローだと受け取ってくれたらしい彼女の謝辞には、気難しい顔をした。
返す言葉に、今度は此方が悩んだらしい。
結局、何も言って返すことはせず、小さく息を吐いて。

気を付けろよ、と、言おうとしたところで、彼女の笑みを見た。
軽い瞠目をした後、眼鏡のブリッジを押し上げながら、目を逸らした後、

と、短く言って返した。

それでも平和だと言ってしまえば、それまでだけどな。と、事も無げに添えて。
ビルについては、ああ、本当に知らないのだな、と逆に感心したりした。

いまさら熱弁をふるっても、説得力がない気がしないでもないけれど、それはさておき。

いつにしましょうか、なんて言いかけて。
彼女の言葉に今が非常事態…一揆のさなかということを思い出す。
お店を紹介して欲しい、という彼女の言葉に頷くものの、しお、とおしりが下がった。けれど。

と、冗談交えながらも同時に希望も織り込んだ。

立ち上がると、彼女の小指に己のを絡めて軽く振って。ゆびきりげんまん、と口ずさむ。
そして、ふ、と目を伏せて。

言葉を切り、ひとつ、息を飲み込んでから顔を上げ。声を潜める。

ポツリとこぼしたその声は、半ば自分に言い聞かせるようでもあった。

　現れた巨大なイカに、エンブリオたちは警戒の色を強める。

　少女は杖を握り直して、きっとイカを見据えた。

　

　あまりの唐突さに追いかけることはできず、そのままぽつんと待つことになり。
　イヌワシは、やれやれとでも言いたげに一鳴きした。

　その、一言で。
　纏う気配が変わる。
　イヌワシは、大きく翼を広げた。

休憩中。
ちら、と空を見上げてから、相手に声を掛け。

そう言いながら、緩く構える。