◆どくにんじんの日記

苗床が燃えてから数月、僕は川の流れに沿って旅に出て沈んだり滝から流れ落ちたりいろいろあって遠いところに来た。
ご飯を探しに林の中へ潜ってみたら人の匂い。

くんくんくんくん。

あおつらえ向きの集落から外れた一件の家。ノックして出てきたのはひとりの青年。
もしこの人が消えたって誰も気づかないんじゃないかな。

僕は苗床候補と触れ合ってみることにした。

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◇どくにんじんに関する観察日記
全長30cmほどの人参状のなにか。全身に斑点が広がり、斑点の色は主根は水色、菜は黄色。
その大きさと、特徴的な斑点から通常のにんじんと大きく異なる。主根の中心には、目と口のような切れ目があり、食物は口より飲み込む。目の穴より入れることはとても嫌がる。穴の大きさは飲食の際や感情の変化によって伸長する。常に穴とその境目は滑らかであり、穴の変化に引っ張られ主根にヒビが生じることはない。甲高いこどものような声で喋り、会話は可能。友好的な態度をとる。声の出る仕組みは不明。

食性は雑食。初め彼は客人であったのでコーヒーを差し出したところ（私の家にはこれ以外の飲み物がなかった）、ためらいなく飲んだ。他に水、ジュース、牛乳、様々なものを与え飲み干した。コップを両手で掴み、口より摂取するが、スープカップの中の液体に体を浸らせ、皮膚より吸うことも好む。なお、コップで差し出した飲み物に対しては行わない。行儀が悪いからとのことだ。

やたら憎たらしい態度を取り、いたずらをよく好む。彼を迎えた初めての日、一晩のうちに私のベッドが埋まるほどのにんじんを用意し、おかげで私はにんじんの香りに包まれた目覚めることになった。出現したにんじんの外見は、一般的な販売されるにんじんと変わりなく、食べるとにんじんの甘み。このにんじんはどこから持ってきたのかと尋ねると、呼べば来るのだと答えた。これ以上のにんじんで部屋を埋めることは固くお断りした。

にんじんが変形すると気づいたのは、彼が私の書斎で本の下敷きになったときのことである。本棚の一番上に置かれた箱が気になった彼は、よじ登り、その中を見ようとしたのだと後で語った。本棚の中程まで登ったところで足が滑り、足置きにした下段の本と一緒に床へ落ちた。その弾みに同じ段の書物も降り注ぎ、それは私たちからすれば鉄塊の流星が幾重にも直撃するということで、体積を失ったぺらぺらの紙になって永遠に大地に口付けることになるのだろう。それは彼も同様で、私が見つけたとき、重しによって干しにんじんになっていた。大丈夫かと声をかけると答えない。あんなにふてぶてしい生き物も死んでしまえばわけない。平たくなったそれを私は水を張ったスープカップの中にいれた。生前彼が気に入っていた居場所だからである。すると、まあ、なんということか。みるみるうちにカップの水が減り、対照的にあいつの体が張っていくではないか。あいつの第一声は「次はもっとうまくやるよ」だった。

ある日、私はあいつをガラスケースに閉じ込めることにした。あいつの腕が通らないくらいの広さの空気穴と、内部から取り外しできない吸水ボトル、木陰になる植物を入れ、準備の済んでから太陽のよく当たる場所にそれを置いた。どくにんじんの奇怪な性質として、檻のあるケージに閉じ込めてもいつの間にか逃げ出しているというものがある（なお、檻に閉じ込めたのは、私の愛用していた万年筆のインクを分解しインクをこぼすといういたずらに対するお仕置である）。檻の扉は開いておらず、もしあるとすれば格子の隙間から通ったくらいだが、格子の隙間はどくにんじんの腕が入る程度の広さで、どう考えてもありえなかった。
一日目、ガラスケースの中にどくにんじんはいた。
二日目、退屈を訴えた。それは罰だと答えた。
三日目、ガラスケースに自らぶつかる姿が見受けられる。ストレス行動ではなくタックルの練習らしい。
四日目、どくにんじんはまだいる。明日には出そうと決めた。
五日目、どくにんじんの姿は消えていた。空気穴にはどくにんじんの主根らしきオレンジの実がかすかに残っていた。

はてさてどうなっているのかわからないが、どくにんじんは確かに小さな隙間に体を通して出入りをしたようだ。きっといつものように家の中のどこかにいるのだろう。適当になだめて、どのような仕組みになっているか尋ねよう。けれども、どくにんじんの姿は家のどこにもなかった。

次の日の夜、私は空気穴にほんの少しだけ残った実を舐めた。毒が回って倒れた。

　いきなり好きなものを訊かれれば、怪訝そうな顔をした。

　いやな予感しかしない。
　が、なぜか逃げ出せなかった。
　多分、気になるのは気になるんだろう。怖いもの見たさである。
　音は聞こえない。口笛を吹かないのかなと思ったら、

　現れた新たなにんじん。あまりの唐突さにびくっとなってた。
　そして——

　ドン引きである。
　ただただ、ドン引きである。
　刺されたにんじんに問われても、答える余裕があるわけもなかった。