【単にお父さん優しいだけ】いつもの短いやつと思った？【中の人がアレ】

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　元々、出身が寒い地方だった為に夏の暑さというものには縁が無かった。

　陽射しが強く、うだるような暑さは文献で見る程度の……それは何処か遠くの出来事だとフォルカーは思っていた。
　知識としては知っていたが、実際に体感してみると非常に暑く、気怠さが終始抜けない。
　最初の頃は日焼け等を気にして下げていたシャツの袖も、今では変な意地を張ることですら諦めて捲くり上げている。後は──意識して頻繁に水分を補給する事だが、怠る事は無かったにも関わらず、暑さで身体が弱っているのは分かっていた。
　知らぬ土地、知らぬ世界にやってきて常に義娘の様子は気にかけていたが、反面、自分の体調管理を疎かにしていた節があったのが原因なのだろう。

　──などと、振り返っているうちに寝入ってしまったらしい。
　背中と額に冷たい感触を感じて、フォルカーは閉じていた目を開けた。

　最初に視界に映ったのは白銀のふわふわした毛である。それの正体が何なのかは確かめるまでも無く分かっていたが、額から伝わる感触の正体は分からない。
　伸ばした指で触れてみると、それが濡れた布だという事が分かった。絞ったにしては随分と水気が多く、軽く握るだけでポタポタと雫が落ちるのを見る限り、誰が載せてくれたのかは容易に想像が付く。
　軽く口に笑みが浮かぶも、自分が横になるまでに何があったのかの経過を薄ぼんやりとした頭で考えようとした時だった。背中の感触……もとい、大きな毛皮がもそりと動いた。
　いずれ待てば自分を覗き込んでくる大きな顔が現れるだろう。その際、一言愚痴を向けられるに違い無い。そう思って黙っていたフォルカーだったが、何時まで経っても毛皮の主が首を起こす気配は伺えない。
　先に身体を起こしたのは、フォルカーの方だった。額に載っていた布を手に取り、寝心地の良い場所から離れて振り返る。
「……どれ位寝てた？」
　口から出た言葉は、自分でも寝惚けているものだと思った。持った布で顔を拭く間、返事を待つも、今度も返事が返ってくる気配は無かった。
　怪訝に思い、覗き込むようにして大きな毛玉──クーの顔元へと近付く。大きな鼻から漏れる寝息の音を聞いて、漸くフォルカーは彼が眠っている事に気が付いた。先程動いたのは、どうやら熟睡の為に伸びたからだろう。
　珍しい、という言葉は思い付きこそしたが、声に出すことは留める。


　先日ひょんなことで知り合った連中と、再度合流して『護りの森』へと向かう予定の途中だったと、フォルカーは暑さで鈍った頭から思い起こす。
　途中で休憩を挟む形で小川の傍で止まって、そこで休憩をしようと提案して──。
「……クローシェ？」
　それと同時に、普段ならば隣にいるはずの小さな姿が無い事に気付き、フォルカーは慌てて辺りを見渡した。
　探した相手はすぐに見つかった。フォルカーとクーがいる木陰の少し先、浅い小川の辺で腰掛けている小さな背中が見える。暑さの為に纏め結った金髪を揺らしながら、楽しげに笑う声が耳に届いた。
　一人で川辺に座っているのかと思い一瞬肝を冷やすが、彼女の周りにいる小さなエンブリオ達を見て安堵する。
　自分が寝ている間、彼等がクローシェの面倒を見ていてくれていたようだ。軽く溜息を吐いた後に、フォルカーは懐から懐中時計を取り出して時間を確認した。
　此処に到着したのは確かまだ陽射しが強い時間だったが、今ではそれも随分と柔らかいものへと変わっている。夕刻、と呼べる時間を回っているにも関わらず、夏の陽はまだ顔を覗かせていた。
　今から寝そべっているクーを起こして移動するにも気が引けるし、少し早いが野営の準備でも始めた方がいいだろう。
　頭の中で簡単な計画を経て終えた後に、フォルカーは荷物を取り出そうと腰を浮かせた。
　が、立とうとする寸前でその動きを止める。
　移動の際に荷を全て預けていたのを思い出したからだ。荷を預けていたのは他でも無い、隣で熟睡しているクーであった。
　フォルカーは胡座の姿勢で寝息を立てている狼に向き直って暫し様子を伺うが、実に気持ち良さそうに眠っていて起きる様子は見られない。一度小さく名を呼んでみるも、片耳ですら動く気配は無かった。

「なあ」
　フォルカーはなるべく気配を押し殺して、眠っているクーの顔をまじまじと眺める。普段ならば自分を静かに見据えている空色の瞳は閉じられ、実に気持ちの良さそうな顔で眠っていた。
「後で荷物を出して貰いたいんだが……」
　川原でエンブリオ達と遊ぶクローシェの声を背中に、一体どれくらい眺めていただろう。ふと、寝息が止まっている事に気付いたフォルカーは小さな声で問い掛けた。
「……大丈夫か？」
　伺いも兼ねて控えめに聞いてみるも、返事は無い。持っていた布を汚れないように置くと、フォルカーはゆっくり手を伸ばし、クーの大きな頭を撫でた。
「晩飯は食えるな？」
　僅かに動いた頭は肯定の仕草だとすぐに分かった。単に起きたばかりで返事をするのが面倒だったのだろう。だらけていた姿勢は伸びをした際、綺麗に丸まった形で収まっていた。
「普段と同じ量でいいのか？」
　これも声は無く、だが先程よりも少し大きめに頭が動いた。
　うっすらと開いた目がフォルカーに向けられるが、また直ぐにその目は閉じてしまう。
　撫でていた手を止め、大きな首周りに腕を伸ばしてみる。嫌がる素振りも無かったので、フォルカーはそのまま胡座を崩し、身体を預ける。そうすると、抱き締める形となって肌触りの良いクーの毛皮に埋もれた。

「すまないな、無理をさせてしまって」
　連日続く暑さと、こちらに来てからの行動。
　併せて雪国の出身であることを含め、クーが疲弊しているのは何となくだがフォルカーも気付いていた。
　気付いていたが──なかなか伺う機会が見当たらず、今日にまで至ってしまった。
「何か、その……して欲しい事とか、俺に出来る事はあるか？」
　言い損ねてしまっていた言葉は、漸く今になって自然に口から溢れる。
　白銀の毛が頬に当たり心地良い。腕に力を込めて、聞こえている筈であるクーからの返事をゆっくりと待つことにした。


「タルト」
「……ん？」
　暫く後に返ってきた言葉は短く、思わずフォルカーは眉を顰めた。そんなフォルカーの様子を見ずとも悟ったのか、クーは言葉を続けた。動く気になったのか、一度鼻を鳴らした後でこちらに顔を向ける気配を感じた。
「タルト。りんごのタルトが食べたいです」
「そうか、じゃあ夜にでも作るか……外だから味の保証は出来ないぞ」
「バターを効かせて」
「うん」
「りんごは歯触りが残る程度で……ぎっしり詰めて」
「……我が儘な奴だ」
　交わす言葉が多くなるにつれ、思わず苦笑が浮かんでしまう。
　このような会話をクーと一対一で行ったのは随分と久し振りのものだ。そう思うと、妙に嬉しかった。
「じゃあ夜に作って、みんなで食うか」
　何気無く普段通りの会話のつもりで言ったつもりだったが、フォルカーの言葉を聞いて一瞬、クーの動きが止まる。一度だけ耳が大きく動いたのが、毛皮に埋もれていた中でもはっきりと分かった。
　決して長い付き合いとは言えないが、フォルカーが彼を不機嫌にさせるような事を言ってしまったのだという事は分かった。フォルカーは今しがた自分が口にした言葉をもう一度心の中で反芻してみる。
「ああ、なんだ」
　クーが不機嫌になった原因は、直ぐに分かった。
「要は独り占めしたいんだな、お前は」
　もう一度、クーの耳が動く。今度は否定では無く、肯定の意であった。
「分かった、分かった」
　可愛いところもあるもんだな、と素直にフォルカーは思った。だが面と向かって言えば、この悪魔は機嫌を悪くするかもしれない。そう思い、内心だけに留めておく。

「お前は特別だよ」
　クーの毛皮に埋めていた顔を上げ、耳の後ろを優しく撫でるとフォルカーは笑い掛けた。
「でも、クローシェは一緒に食べてもいいよな？」
　途端クーは、ぷいと顔を逸らすが別に怒っているわけでは無いので言葉を続ける。
「俺とお前とクローシェと三人で一緒に、な。俺はそれが一番好きだ」
　立ち上がり、服を叩いて汚れを落とすが、その感もクーは無言だった。
　さて、困ったものだ。と胸中で唸り出した頃に、漸くクーは顔を上げてフォルカーを見上げた。
「……お好きにどうぞ」
　一瞬だけ交わった、空色の双眸からは感情が今ひとつ伺えない。フォルカーが苦笑を浮かべ一言だけ「うん」と言うと、返事は大きな欠伸で返ってきた。

しれっと嘘つきやがった。
……のは表面上のことで、実際は本当にそう思い込んでいるようだ。残念、その辺は知能も犬並み。
結局（割と頑張って）足を滑らせた幼女の方は受け止めたみたい。

謎の期待。