おや？聞き間違いかな？ わたしは思った。別段、耳が遠い訳ではなく、どちらかといえば良い方ではないかと思う。
それでも、「なんじゃ、聞こえなかったのか？」と言った老人が再び同じ説明をしたので、またわたしは耳を疑う。聞き間違いかな？あぁ、それかこのじいさん、耄碌したのかな？



＊＊

「目が覚めたかいの？気分はどうじゃ」
朝食を食べた後、部屋で外へ出る準備をしていたら、急に窓辺から小人の老人が声をかけてきた。数秒、頭の中での処理が追いつかなくて、瞬きを繰り返す。
「ああ！！！！」それは、昨日の夕方に見た小人であった。



「な、なんでこんなとこに？」
「何でって、昨日お前さん、わしと契約したんじゃからそりゃ来るじゃろうて。覚えとらんのか？」

「はぁ？」素直な感想だった。契約？何それ？
全くもって何の事か分からず、とりあえず肩に止まっていたトリを見やるも、ピッと鳴いてつぶらな黒目をこちらに返すのみで。
想定しているのか、否定しているのかも分からない。

「………きのう、イオがあなたとけいやくしたのか？………あなたはエンブリオ？」
満足そうに髭を撫でている姿から見るに、そうなのだろう。
けれど、全く契約などした覚えはない。ただ、一つ引っかかることはあった。

「もしかして、イオがたおれるまえになんかあったのか？」

トコトコと軽い足音を立てて、老人が目の前まで歩いてくる。「まぁ、直接知る方が早いかの」と言うなり、小さな手をわたしの胸に伸ばした。瞬間、胸の中に熱が走る。

「っ！？」
「攻撃したんじゃないぞ。わしの心臓が動いただけじゃ」

慌てて刀を握ろうと、肩に止まるトリに手を伸ばした瞬間、老人が落ち着けという。そして訳の分からないことを言う。
「なに…？どいいうこと…？しんぞう…？」本当に訳が分からなかった。

「なんじゃ聞こえなかったのか？つい先ほど契約したと言ったじゃろうが。だから、ワシの心臓がお前さんの中に移った。そういうことじゃ」


そして、思う。聞き間違いに、違いないと。
状況に追いついてないぼーっとする頭を整理している間も、老人は何かを色々と喋り続けている。
もちろんその殆どが、耳に入ってなどこない。
それでもとにかく何とか拾ったものを整理すると、マザーがこの老人に、わたしの記憶を渡していたという事。
わたしは記憶が戻った時のショックで、気絶したのだということ。
そしてその記憶を戻す前に、わたしが承諾してこの老人と契約したのだという事を老人は話していた。
小さな体の、小さな口から。


「ほんとかなぁ…」

自分の胸に手を当てて、音を確認するも、不自然さはよく分からない。だからこそ、余計に疑いの眼差しを向けてしまう。
(だって、そもそも戻った記憶など無いに等しい)(それに)
何を言っているのかが理解出来ないせいで、むしろ動揺の音がするくらいだ。
なのにこの老人は、雨の降る庭を見て「雨ですね」とでも言うかのように、「そういうわけじゃから、労わってくれよ。ワシの心臓」などと極不自然な事を極自然な物言いで言う。勘弁してくれよ、と思った。ただでさえ分からない事が多い現状で、次元の違う分からない話をしてくるこのジジイ。勘弁してくれよ。


そもそも、根本的な問題として、心臓というものはそんなにも簡単にホイホイと人に渡して良いものなのか。
疑いと疑問ばかりが湧いてくる。


「何か聞きたいことがあるって顔しとるのぉ」
「もうありすぎて、なにからきけばいいかわかんない…」

もう、いいや。考えたって、分からないのだ。
とにかく、もう全て聞いてやろうと疑問を口にする。
何故心臓を渡して平気なのか。
そして何故わたしの記憶を持っているのか。
わたしが既に持っている鳥のエンブリオの心臓も、わたしが持っているのだろうか？
この老人は何を知っている？何を考えている？
何処から来た？名前は？歳は？

「ちょっと待てそんな…」
「なにをたべるの？よるはねむるの？」
「落ち着…」
「あなたはイッキにさんかしてるのか？かぞくは？それから…」

次から次へと質問を浴びせたら、「落ち着かんか」と小さな拳で脛を思い切り殴られた。痛い！

「人にそこまで質問を投げかけてはいかん。相手が困るじゃろうが！」
「しつもんしていいって、いったくせに…」

もう一度同じところを殴られて、痛みのあまり小さな悲鳴が出る。何なんだコイツは。労われと言ったのはコイツじゃないか。
痛みに打ちひしがれているわたしの向こうから、溜息が聞こえる。


「……まず、エンブリオとの契約には、契約相手の生命力が必要となる。それをもらう事によって、ワシらエンブリオは力を分け与える。ワシは精霊で身体はないから、ワシにとっての心臓は、力の核となる部分じゃ。
じゃが、今回お前さんから生命力を貰っているから、核を取られてもワシは死なんし、核を得たお前さんは、ワシの力が使える……まぁ、無理やりと契約させられて心臓を取られるエンブリオも中にはおるがの……そのために、この契約を鎖と呼ぶやつもおる」


わたしの記憶を持っているのは、先ほど言った通りマザーから預かったからだ、と言って、老人は再び言葉をつづけた。


「契約方法が違うエンブリオもおるから、お前さんが鳥の心臓を持っているかどうかは知らんが…契約していることは確かじゃろう。黙ってエンブリオが人間の言う事を聞くメリットはないしの」


ということは、契約が切れるとこの鳥も、呆気なくわたしの元を離れてしまうのだろうか。そんなことを、ぼんやりとする頭で考える。


「お前さん、少し学ばなければいかんことが多いなぁ…」
2度目の老人の溜息が聞こえる。ぼうっと視線を外にやれば、ぞろぞろと外へ出ていく屋敷の人たちの姿が見えた。理解の範疇を超えたが為に、考える事を放棄しだした思考が、「イオさん、そろそろ行きますよ」とわたしを呼ぶホノイの声に、引き戻される。


「あぁ！！！じゅんびおわってない！！！！」

そういえば準備の途中だったという事を、ようやっと思い出す。
慌てて鞄に、包帯や傷薬やビー玉や筆といったその辺に散らかっていたものを詰め込んだ。
何が必要で、何が必要じゃないかだなんて事を考えている余裕はもう残っていなかった。


「………仕方がないな……暫くは、お前さんの教育係にでもさせてもらおうかの」
もちろん、老人が言った言葉も、頭に届き理解するスペースなどない。
「あぁ、うん。そしたらまたあとで」とりあえず、音としてとらえた言葉に適当に返事をする。



もう、これだけよく分からない事が起きた朝なんだ。これ以上何かが起きることはないだろう。起こらないよね？お願いだから。
そんなことを考えていたら、遠くから「遅い」と聞こえてきた気がして、わたしは慌てて廊下を駆けた。




契約の話。

　少々言葉に詰まった様子を見せるが、やがて。

右に、左に、槍を旋回させ正面でぴたりと構え……ようとして。

……勢い余って、槍の平たい面を自分の顔面にぶつけた。