濡れた太陽が風を呼んでいるようだった。遺伝子に水を求めさせるじわりとした、熱音。

静かな昼だった。オルガに声をかける。紅茶を淹れることは彼女にとって身近な日常のひとつだ。ありふれていて変わらないもの。彼女がメルンテーゼに来て、ヤールとオルガに振る舞い続けるタカージュドールの習慣。彼ら彼女らの僅かな好みに気付くことも、新しいフレイヴァに出会う事も、マリア—ジュの妙もすべてが彼女に平穏を与えるとともに、もうひとつの実利にも。暖かな液体は、粒子をよくよく受け入れる。
過去はうつくしい。永遠に硝子の中に閉じ込めておくにふさわしい。オルガが求め、そうして彼女たちの庭でだけ出会えた過去視の麻薬は、愛しい香りを湛えていると彼女は思っている。ただ彼女を留めているのは美しい過去ではなく華やかな現在の己だ。それでもなお、掌から零れ落ちる砂に己の美が入り混じり始まれば、紅茶の持つ平穏さはまた別の意味を持つ。……

野蛮さはどこにもゆけない。鳥籠を荒々しく壊すこともない、穏やかな時間への。その空虚さに今、気づくことがある。四年に満たない微かな時間に最早停滞を引きはがす、大きな時の流れがある。過去に耽溺することを赦さない元素の世界の静かな、（いや、煩いほどの人の波）賽の目を転がす意志が流れている。
サバス、ウルドスピン、サウスエルタ、ブランチマン……　どれも知らない、あるいは、遠くから微かに聞こえるだけの、白の塔に辿りつく前に吹き消される音でしかない。過去からの呼び声ですらなく、彼女の現在から生まれたものですらない。美しく手入れされた箱庭に強引に接続して、踏み荒らす軋轢の気配。けれど、逃れうることなど出来ない、失われた赤い紅い花。それは彼女にとっての命の花。未来など誰にもわからないのに、それを選び取ることも赦さず、世界は強引にすべてを開いて明らかにするようだった。
目を伏せる。急激な世界の変化は恐れるべきものだ。容赦ないスピードで、羽ばたきで、未来に連れてゆく意志は誰の首を絞めれば止まるのだろう？　眩暈がする。風の音。晴れて見下ろせば、青い海に緑の島々が浮かんでいる。タカージュドールの栄光のひかり。昼のルヴナンが彼女を慰めようとしている。飛び込むことなど考えたこともない、静かな海、水平線の果てで、光が瞬いて消えてゆく。燃え盛る熾火、世界は音に満ちて、残響さえ呑み込む波頭が打ち消して、ダイヤモンドの粉末が、瞼の裏に瞬く。
どうしてか聞こえる音は風の音ではなく海の音だった。この世界にも、海はある。彼女の爪先さえ浸したことのない海が、ある。足の裏にその水面はどう口づけるのか。浸した爪先はどんな色を返すのだろう。遙かなる高みから見下ろした日々では想像さえしたことのないその僅かな揺らめきに思いを馳せた。

　

差し出された赤いリボンに慌てて自分の首元を探る。

飛び掛からん勢いで、しかし決して相手には触れないように慎重に
ほどけたリボンの先をそっと指先だけで受取ろうと手を伸ばす。