それは彼女の幾度かは問うた問いだった。ある時は拳銃を片手に、またある時には喉を絞め上げて、それとも酒の席で、道すがらのついでに、ふとした取引の折に。だから元王宮騎士団復調ブランチマンが問いかけたその言葉は彼女にとって大きな迂回路を経ながら帰ってきた過去の変奏でさえあった。それもまたひとつのルヴナン、回帰、亡霊、旧友、吐き棄てたまま旧びない言葉、朽ちていながら消えることを拒む過去、忘れえない死に顔の友の一人だった。「この戦に何を求める？」問いへの答えは曖昧なはぐらかしも理想に燃えた論理もあった。答えは常に現在あるいは未来について語られていた。過去を語る者はなかった。

暑い、あまりにも暑い太陽の下に彼女の視界はゆらめいていた。メルンテーゼに彼女の見出した神経を蝕む麻薬は摂取の途絶えればやがて見えるものすべてを他類なく穢してゆくのだった。不随意に痙攣する眼球は現在のとらえどころをしばしばあまりに失わせた。目を要とする彼女の武器、鉄色の重い拳銃にそれはひどく致命的な障碍をもたらしたが、一方で彼女はその痙攣を愛してもいた。人はひとつところを見つめずにおれないが、ひとつところを見つめれば必ずなにかを誤り取り落とす、という命題を自らの裡に警句として引き受けていた彼女にとって、そうした不随意はむしろ理想のうちにさえあった。時おり白い斑点のような光が視界にぽつぽつとこぼれた。彼女の記憶は混濁する。水を飲んでいたように思いながら喉を鳴らし、けれど唾だけが食道を滑り落ちていく。咀嚼を目論んで噛み締めた歯が現実の余白に裏切られてカチリと鳴る。踏み出した足が階段を錯覚してよろめく、その足取りを庇うようにもう一歩をが踏み出される。けれど足が草を踏みしめてなお視界が前へ進むことなく、ああ、座っていたのだ、と彼女はようやく現在を思い出す。日ざしに汗が流れる。指が引き金を引く。けれど拳銃は握られておらず、抵抗は不在で、軽やかに曲げられるだけの、ともすれば来い、というほどの仕草に見えたかも知れない。髪を上げた彼女の仲間が微笑んでカップを片手に近づいてくる、彼女はその髪が好きだった。なぜならそうして髪を上げて真摯な瞳で活字を鋳込む母の横顔を愛していたため……そこまで心裡に叙述して彼女は首を振る、フィガロだ、母ではない、と。いつのまにか片手にはカップが握られている、夕暮れの湖に似た色の茶がそこには注がれている。少女の日、湖上に跳ねて去った水切り石を思い浮かべながら彼女は傍らの碗の一匙をそっと溶かし入れる、ひとつふたつ、みっつ、何度石が跳ねていったのだろうか。とどまれば沈む。命はするどく回転しながら進み続ける。一瞬ごとの着水に支えられて、一瞬前の虚空をそのたびごとに置き去りにしながら……秋の夕暮れ　私はあのように生きる　と決断する彼女の睨みつける瞳の前を水切り石はどこまでも跳ねていった。ひとつふたつ、みっつ、どこへまで届いたものか彼女には思い出せない。どれだけのルヴナンにもその光景は隠されていた。忘却の底で思い返されぬまま、水切り石は跳ねてゆき、そして彼女はその日も茶に混ぜられたルヴナンを飲む。七色の光が明滅し、波紋のような朧が回転しながら現れては消え、酩酊と吐き気が訪れて……彼女に過去が還る、亡霊として。









「この革命に何を求める？」と訊いた時、お前は搾取の廃滅だと答えた。少しは気恥ずかしそうに笑えば可愛げもあったものを真っすぐな目つきで語った。理念は単純なほどいい、と褒めるとそこで機嫌を損ねて搾取についての定義と新しい合議制の形についていくらかは付け焼き刃の論理でそれでもよく勉強した知識で滔々と語った。政体について議論するのは楽しかった。無論それが政体である以上どんな合議や民主にも支配と搾取は存在した。しかしそれらについて自覚的であるなら注意深く漸進的に取り除いていくことができるという点で私たちの認識は共通していた。たしかにその時は。「あの革命に何を求めていた？」と訊いた時のお前は悲しげな顔をしてみせたが胸に飾った革命軍の勲章を外すことはしなかった。それは王制を真似た名残の身振りで王を打倒した革命軍がそうしたものを続けている限り王は回帰することをやめないという私の忠告をお前はとうとう聞き入れなかった。個人は変わることができるが集団は変わることができないというのがお前の理屈だった。新しいものは一度古いものの衣裳を纏わなくては受け入れられることができない。新たなものの到来ではなく古いものの回帰である化粧をしなくては力を持てないのだ。その力はつまり権力、支配力ということだろうと言えばその通りだとお前は答えた。今も望みは搾取の撤廃にほかならないと。けれどそのために辿るべき筋道として一度政体に立たねばならないとお前は答えた。私にとってそれは結論としてなら何度も多くの誰からも聞いた、けれどそのたびごとに違う顔をして、違う理屈を辿り、違う現在として訪れる、同じひとつの過去の似姿だった。私が革命を導いたどの世界も、王制のあとに新たな支配を持たずにいられた世界はなかった。どれだけ漸進的な支配の軽減を掲げても、現実のそれは支配の漸進的な強化の姿をとった。人は自由に耐えられなかった。人は革命をすることはできたが、革命し続けることはできなかった。革命は状態ではなく一瞬の動作だった。一度で終わればそれきりの、そのたびごとに死に絶える夢と理想……








「この革命に何を求める？」と訊いた暑い夏の日にお前は首を振って求めるほど頭が回らないと答えた。できることはただ王を殺すことだけなのだと。それがどれだけの善と悪を世界にもたらすかはわからないが、ただ現状に耐えていることはできないのだと。なにかを変えなくてはならないんだ。そうつぶやくお前を助けるのは楽しかった。論理的な背景も交渉をなしとげる外面も資材を揃える資金さえなかったが、熱意としての動機だけはひどく熱く燃えていた。炉のように。そうしてお前のもたらした革命は世界を変革し、やがて次の支配者を生み出した。行為の生み出したものは善と悪のうちより悪い方へ展開した。王を殺すべきではなかったのかもしれないと疲れた顔でつぶやくお前の炎は奇妙に項垂れていた。「次の革命に何を求める？」と訊いた私を見上げたお前の目はどろりと淀んでいた。次？　次の革命はない。これで終わりだ。世界を変えることはできた。しかし世界はより悪い側へ変わってしまった。次もそうでないとなぜ言える？　革命の先にせめてもの希望を仮託しながら仕事をしていた時、俺の手は全人類のための汚れで汚れていた。時満ちて害はなり、今や俺は全人類の害の源となった。俺の手を正当化するものはもはや何もない。泥や血に肘まで手を突き入れることができたのは俺が未来を知らなかったがためだ。今や俺は未来を知ってしまった。それは過去として繰り返すだろう。どんなものも死に顔の衣裳で舞い戻る。学のない俺にもそれくらいはわかる。もはや俺は人々の取り分を永遠に退減させていく過去の繰り返しを望まない。









「この革命に何を求める？」お前はどこまで真に未来を望んでいる？
お前は家族や民を理由にした。衆愚がお前を押し上げたのだと嘆息混じりに、けれど支配を引き受けたのはお前だった。

「この革命に何を求める？」お前はどこまで革命を守ることができる？
お前は一度の敗北に膝を折った。その弱さを責めることはできない。けれど弱さには守れないものがある。

「この革命に何を求める？」お前の本当の気持ちを聞かせてくれ。
私の銃口を前にすると冗談交じりの笑みで遠回りな命乞いをする者は多かった。けれど正面から睨み返す者も同じくらいには多かった。死のぎりぎりの淵で語られる言葉はいつも人の心の底の真実に触れていた。そのたびに私はまだ革命に失望せずにいられる自分を見出していた。人は自由に耐えられない。人は永遠にも耐えられない。けれど自由や永遠を引き受ける決意をすることはできる。そうした決意を表明する言葉はある。その言葉は真実に触れている。どんな過去も未来も離れて、美しく張り詰めて存在する。











「少し休め、オルガ」とレルヴォヴェール《永久戦線》の革命者は言った。革命の中に私は現地人を殺し過ぎたのだそうだ。それぞれの世界の個別性はそれぞれの世界の現実を呼吸する革命者にしか知ることはできない。それゆえ個々の革命者の革命への関わり方は評価されず、干渉されない。けれど私の革命はそうした原則を差し引いてもたしかにいつからか血なまぐさいものになりすぎていた。どうしてそうなったものかはわからない。いつから私の革命がうまくいかなくなったのかも。私は人がひとつの決断を示すときのあの美しい顔色が好きだったばかりの、そこに安堵と信頼を寄せることができるばかりのはずだったというのに……休め？　けれど革命者に休むという選択はあり得なかった。それゆえ私は王制のある、しかし革命を起こさないほどには政体の安定した……していたはずのメルンテーゼへ派遣され、そこで休息を兼ねながら中長期的な王権の転覆の絵図を引くことになっていた。そのはずだった。そうして安定していたメルンテーゼに革命の火種が蒔かれ、あまりに急速に大火となって進展するとは、《永久戦線》の誰も思い描いていないはずのことだった。……





私は銃を執る。過去が立ち戻る。亡霊として、それとも旧友として。ブランチマンのひとつの言葉に。私は引き金を引く、三度、それとも四度、水切り石の何度跳ねたか私には思い出せない。私は知ることを望んでいる、あまりにも強く唯一。人はこの革命に何を求めているのか。どれだけ。どうした意志で、どうした決断をするのか！

　

声をかけられて歩き出した足をぴく、と止める。

まるで事態を理解しているとは思えない呑気な物言いと笑顔で応えた。