一揆に参加してから、6日目。

だだっ広い庭の探索を終え、日も大分傾いてきた頃だった。
荷物を纏め、さて帰ろうかと重い腰を上げたとほぼ同じタイミングだっただろう。
空中にふよふよと漂っていたエアナが何かの気配を感じ取ったのだろうか、
綺麗な花の咲き乱れる生垣の方に、少し緊張した様子で視線を向けて辺りを窺っている。
戦闘前に見せるような表情を見て、俺は荷物の詰まった鞄を放り腰のベルトにくくり付けてある輪刃をいつでも取り出せるようにと
利き腕である左手をそっと添えてからエアナの見つめる先、生垣周辺へと視線を向けた。

返された答を耳にした時には、添えていただけだった左手は武器である輪刃をしっかりと握り締めていた。



ガサガサ、

生垣が揺れ、葉が擦れ合い音を立てる。

ゴクリ、

唾液が音を立てながら、喉の奥へと流れ落ちていく。

奥にある噴水の効果だろうか、
真夏であるにも関わらず比較的に涼しいこの場所で、
俺の頬には一粒の汗が、一筋の道を作りながら流れ落ちていった。

生垣から姿を見せたのは、一匹のキラーウルフだった。
怪我をしているのか鳴き声に元気は無く、よく見てみるとその傷の殆どが真新しいものばかりだ。

傷の中に切り付けられたような傷があり、その形状が俺の使う輪刃のものとよく似ていて。
中には銃の弾が掠ったような傷もあることから、おそらく先程戦ったキラーウルフなのだろう。

一度は倒れるほどの傷を受けているのだ、もう襲い掛かってくることはない。
そう判断し、握り締めていた輪刃から手を離すと自由になった両手で放り投げられていた荷物を拾いあげ、
鞄に怪我をした時用に、と詰めていた救急箱を取り出すとキラーウルフに向き直り、足を一歩進めてみた。

少し警戒をしているのだろうか、弱々しいながらも鳴き声をあげるキラーウルフ。
しかし1歩踏み出した分、1歩逃げるように足を引いた訳ではなく、その場には居る。
おそらくこのまま足を進めてキラーウルフが逃げようとしたとしても、
あの傷では幾ら運動音痴の俺だからといっても容易に捕まえることが出来るのだろう。

…しかし、

どうしたものか、と頭を悩ませていると、
先程まで様子を窺うように漂っていたエアナは、ふわりと宙を舞いキラーウルフの前まで近付いていた。
一気に距離を詰められたキラーウルフには少し動揺の色が窺えたものの、
エアナの小さな容姿と、告げられた言葉に警戒を解いたのだろう。
地面を蹴ってしっかりと立っていた足を折り、地面にお腹を付けてその場に伏せたのだ。

仕様がないことだったとはいえ、傷付いたキラーウルフの姿に心が痛まない筈はない。
そっと、出来るだけ静かに近付き、

手馴れた手つきで包帯の端を縛ると、大人しく手当てを受けていたキラーウルフの頭をそっと撫でてやった。
目を閉じ、気持ちよさそうに俺の手を受け入れる様子を見ると、自然と口元が緩む。

ぽんぽん、と言葉に念を込めてもう一度キラーウルフの頭を撫でる。
出来るならもう二度と、遭遇して戦って傷を付けて…
そんな行為をお前にはしたくないから。

…なんて、
甘い考えだろうか、と苦笑を少し漏らすと、片付けられた救急箱の蓋を閉じ取っ手を握り締める。
もう一度キラーウルフに視線を向けてからよっこらせ、と重い腰をあげようとしたその時。



——キィン、

耳障りなそんな音と共に、俺の視界は真っ赤な真っ赤な光で埋め尽くされていた。
咄嗟に握っていた救急箱を放し、目元を放した方の手で覆い指の隙間から溢れる赤い光を目を細めて見つめる。

何が起こってるんだ…？

そんな疑問がやっと浮かんだ頃には、真っ赤な光はふっと消えてしまい辺りは先程までと同じ明るいだだっ広い庭になっていた。
まだチカチカしている両目を腕で少しだけ擦り、そっと目を開けてまた庭を見渡す。

さっぱり原因が解らない。
ただただ、呆然と立ち尽くすことしか出来ないでいる俺に次に襲い掛かったのは、

手当てをされた事により、少し楽になったのだろうか。
漸く言葉を口にしたキラーウルフに驚いた視線と、気の抜けた返事を反射的に返したと同時に、

勢いよく俺の胸元目掛けてキラーウルフが飛び掛ってきたのだ。
前足で胸を押され、その勢いで俺は庭に敷き詰められている硬い石に腰を強打しながら倒れ込んでしまう。

思いっきり打ち付けた腰を少しでも痛みが引くようにと片手で体を支え、片手で腰を擦る。
花がどうのこうの、いやどうのこうの花だと飛び掛って来る前に言っていたのを思い出しそう尋ねてみると、
今度は返答より先に尖った鼻先が胸元をまさぐるように突っ込まれた。容赦ない。
少し湿った鼻先に胸元をまさぐられくすぐったさとこのままガブりと噛まれたらどうしよう…と不安な気持ちで泣きそうになりながら、
一先ずは耐えて様子を見ることを選択してみた。



それから数分。
一筋の涙が流れそうになっている頃。

漸くお目当ての物が見付かったのだろう、キラーウルフがシャツの裏ポケットから引きずり出してきた物。
視界に映ったそれは、確かに先程見た眩しい光と同じ“真っ赤”な色をしていた。

“ケール”
そう名前を口にした瞬間、ネクターの花びらは再び真っ赤な光を放った。
その光は瞬く間にケールの身を包み込み、辺りには一段と明るい真っ赤な光が勢いよく放たれる。
あまりの眩しさに手で視界を覆い、指の隙間から何とか様子を窺おうと目を細め見守っていると、
次の瞬間、光は花が散るように消滅していった。

光が消え、目が元の明るさに慣れ始めた頃、漸く赤い光に包まれていたケールの姿を捉えることが出来た。

茶色い毛に覆われ、小柄だった体は一変し、
白と銀色の毛に覆われ、俺が背中に跨ることも出来そうなほどに大きい体となっていて。

ネクターの使い方は、まだよく解らない。
けど今は、特別な名を与えるという“縁”で結ばれる契約でいいのだと、
ただ一つケールの変わらない片目に残る傷跡を見て、俺はそう思うことにした。

梓は、チェンとツァオが持ち帰ってきたアオサを見付けたようだ。
すごく、ガッカリしている！！

背後から様子を伺っている。ジー

そう言って彼は軽い足取りで去っていった