兵庫さんを元の世界へ還す課題は、サクラと一緒に研究を進めていた為、まったくの零からのスタートではない。
　今日は今までの研究の成果を踏まえて、兵庫さんに元の世界へ送還する青写真を描いて報告をする……筈だった。
　彼女の泊まっている宿の扉を叩くと、何故か上機嫌な兵庫さんは私を部屋に招き入れて、話を切り出す前に質問をしてきた。

「待ってたわ！それで、デートに誘った結果はどうだったの？今、お茶とお菓子用意するわね。」
「え。何の話でしたっけ？今日は兵庫さんに課題の報告に来たんですけど……」
「この前言ったじゃない、好きな人をデートに誘いなさいって。その様子だと、まだ誘ってないみたいね。意外と奥手なのね深雪は。」

　兵庫さんの脳内では、私は誰かに一途な恋をしてる事になってるらしい。
　紅茶とクッキーを用意して、目を輝かせて対面に座る兵庫さん。
　何か私が恋話をしないと、すぐには帰してくれそうにない雰囲気だった。　

「あのー……お心遣いは感謝しますが、そんな具体的に好きって人がいるわけじゃ。サクラが大変なときに、私ばっかり遊んでる訳にはいかないですし。」
「うんうん、分かるわ。自分の心は自分自身では見えないものよね。だから気になる人をデートに誘いなさいって言ってるのよ。二人で一緒に居る時間が増えれば、自然に自分の心とも向き合うことができるわ。」

　サクラの方の話は、スルーされてしまったようだ。

「あー、そうなんですか。それって、兵庫さんの経験談なんです？」
「違うわ、一般論よ。興味あるなら、私の持ってる本を深雪に貸してあげるわよ。」

　私が答えるより早く席を立った兵庫さんは、隣の部屋から何冊かの女性情報誌を持ってきた。
　タイトルには『女子力を上げてモテる！』とか『今年の夏はフェミニン系で決める！』とか『稀によく当たる星占い』等と書いてあって、いかにも兵庫さんが読んでそうな雑誌だった。
　
「おおー、いろんなテーマで服が載ってるんですねぇ。兵庫さんが今着てる服とか、誰ウケを狙ってるんです？」

　私がペラペラとページを捲っていると、兵庫さんが顔を真赤にして私の持っていた雑誌を奪いとった。

「ぎぃにゃぁあああ！？そういう余計な詮索はしなくていいの！本は何冊か貸してあげるから、家に帰ってから読みなさい！」

　その後、頼んでもないのに兵庫さんにファッションチェックを受けた私は、身につけているうさぎのアクセサリーのバランスが悪いとダメ出しをされた。
　帰りがけに兵庫さんは、何冊かの雑誌をリボン模様の手提げ紙袋に入れて私に手渡した。

「成果報告、楽しみにしてるわよ。」

　兵庫さんの言っている成果報告は、明らかに元の世界へ還る手段の方ではない。
　笑顔で見送る兵庫さんに、私は引きつった笑みを返して自分の宿へと戻っていった。
　
「……私、こんなもん読んでて、研究やらなくていいんだろーか。」

　兵庫さんから借りた雑誌に取り敢えず目を通しながら、私は縋るように黒髪のうさぎ耳の少女、フォルテを見つめた。

「ウルドも色々大変だねーって、やめふぇ！やめふぇ！」

　人事のように言うので、カッとなった私はフォルテの頬っぺたを両手で引っ張った。
　つい先日みんなで川遊びに行ったばかりなのに、改めてユカラだけを誘うというのは抵抗があった。
　川遊びの時もサクラや私は水着に着替えたのに、ユカラは普段着のままで川にも殆ど入らなかった。もしかしたら、水遊びそのものが好きではないのかもしれない。
　合成の成功率に喩えるとしたら、私がユカラだけを遊びに誘って成功する確率は、三割を下回るような気がした。
　遊びに行くならサクラを一緒に誘おうと考えたけど、研究の息抜きとして川遊びに誘ったばかりでまた誘うと研究の妨害をしてるようで思い留まった。
　ここは、ユカラと私が仲の良いアズちゃん（E№144）を誘えば、メルンテーゼで一緒に遊ぶのは初めてだし、護衛を兼ねてユカラを誘えば不自然じゃないように思えた。
　合成の成功率で例えるなら、これで七割ぐらいは成功するに違いない。
　私は予めアズちゃんと海で遊ぶ約束をした後、ユカラを海水浴に誘う事にした。

「という事で、アズちゃんと一緒に海水浴に行く約束をしたから、ユカラに護衛頼みたいんだけどいいかな？」
「いいけど……いつも、みんなを守る力を身につけたって言ってる癖に、何で僕に頼む訳？」
「えっ、いやっ……夏バテで調子が悪くて。」
　
　ユカラをデートに誘いたいとは口に出せず、私は咄嗟に話を逸らかした。　　

「調子悪いなら、遊びに行くなよ。アズにも迷惑かかるだろ。」
「あっ！違う違う！魔法の調子が悪いだけで、大丈夫だから！」
「……分かった。でも、僕一人だけ行く訳はいかないから、マグノリアも一緒な。」
　
　うさぎ耳の少女、マグちゃんの名前が出てきたので、私は嬉しさのあまりユカラに飛びつこうとした。

「ありがとー、ユカラ！私のため……んぐぅ！」

　ユカラは咄嗟に頭を片手で押さえ付け、私の行動を封殺した。
　
「別に、深雪の為じゃねーから。アズも一緒なら、マグノリアも喜ぶだろうし。」

　こうして無事（？）ユカラを誘うことに成功した私は、アズちゃんとマグちゃんと一緒に海水浴に行く事になった。

　燦々と輝く太陽。爽やかな潮風と、透き通るように青い海。
　今年初めて海水浴に来た私は心が躍った。

「やっぱり、田舎の海は綺麗だねー。深雪ちゃん、誘ってくれてありがとう。」
「えへへ、どういたしまして！それじゃ、早速水着に着替えに行っちゃおうか。」
「うん……って、あれ？ユカラくんとマグノリアちゃんは着替えないの？」

　更衣室へ行く様子のない二人に、アズちゃんは首を傾げた。　

「あ！マグノリアちゃんは潜水服あるみたいだけど、潜るときに更衣室に案内するね！ユカラはあんま泳ぎたくはないんだって。みんなで遊べるように、浅いところで遊ぼうよ。」
　
　私の提案にアズちゃんは頷くと、ポーチからビーチボールを取り出した。
　アズちゃんの持っている四次元ポケット……もとい、魔法のポーチは携帯が便利なので、いつか私も作りたいと思った。
　
「ボール遊びですか、分かりました！それでは、私も着替えなくて大丈夫ですね。お待ちしておりますので、アズ様、深雪様行ってらしゃいませ。」

　マグちゃんは笑顔で私達に手を振ると、うさぎの耳もつられるようにピコピコと揺れた。

「マグノリアちゃん……かわいい。」

　私は無意識に呟くと、ヨロヨロとマグちゃんの方へと近付いていった。

「深雪はいいから着替えてこいよ。アズが待ってるだろ。」　

　マグちゃんを隠すように私の前にユカラが立ち塞がると、私の肩を掴んでアズちゃんの方へクルッと回すと、そのまま力強く押し飛ばした。
　水着に着替え終えた私達は、ユカラとマグちゃんと合流した。

「ねぇ、ユカラくん。私の水着、変じゃないかな？」

　アズちゃんがもじもじしながら、ユカラの顔色を窺った。

「変じゃないよ。似合ってると思う。深雪も水着持ってたんだ、初めて見た。」
「うん、アズちゃんの水着、すげーかわいい！って、川遊びの時も着てたんですけど！？」
「そうだっけ？遠くて棒人間にしか見えなかったから、水着着てるの分からなかった。」　
　
　川遊びの時は、ユカラの視界に私が入っていなかった事に、今更ながらショックを受けた。
　膝ぐらいまで浸かる浅瀬までやってきた私達は、ビーチバレーをすることにした。
　みんなでレシーブを回す練習をして慣れてきた頃、パスを回して先に三回落とした人がみんなにアイスを奢る約束をした。
　私とアズちゃんはバレーの経験もあるようで、綺麗にパスを回すことができた。
　ユカラも少し練習をしただけでコツを身につけたようで、私達に負けないぐらいパスを繋ぐことができた。
　マグちゃんはバレーが初めてのようで、初めてにしては上手だったが、ちょっと動きがぎこちなくて真っ先に二回ボールを落としてしまった。
　ユカラと私とアズちゃんはアイコンタクトをとると、マグちゃんが危ない時は誰かがフォローに回るようにしてパスを繋げた。
　ユカラは一回もミスをしなかったが、私とアズちゃんが二回ミスをして後が無くなると、マグちゃん以外の三人に微妙に緊張が張り詰めた。
　こうなると、ユカラを狙わないと生き残る道はない。
　私がユカラに集中的に鋭いパスを回すと、ユカラもそれに気がついたようで私に鋭いパスを返し始めた。

「あの、深雪ちゃん、ユカラくん。ゲームなんだしそんなにムキにならなくても……アイスは私が奢るから楽しく遊ぼうよ、ね？」

　アズちゃんが仲裁に入るも虚しく、私とユカラの激しいパス合戦は続いた。
　マグちゃんはどうして良いのか分からず、素早くユカラと私の方を交互に見続けていた。

「深雪、いいかげんにしろ。」
　
　少し高めに上がったビーチボールを、ユカラは華麗にスパイクした。

「なっ！？スパイクは反則く……くはっ！？」

　ボールを受け取り損ねた私の顔面にビーチボールが直撃し、私は衝撃で身体が仰け反った。
　柔らかいビーチボールでも、顔面に受けると実際痛い。

「あわわ！深雪様、大丈夫ですか！？」

　オロオロして私に駆け寄ろうとするマグちゃんを、私は顔を押さえてない方の手で制した。

「だ、大丈夫。これぐらい全然平気。ボ、ボールを拾ってくるね。」
　
　大好きなマグちゃんの前で、格好悪い所を見せるわけにはいかない。
　私は、ヨロヨロと波間を漂うビーチボールを取りに向かった。
　ビーチボールを取ろうとすると、近くに居た二人組の男の一人がボールを拾い上げて、私の方に微笑んだ。
　
「あっ、ありがとうございます。」

　私がお辞儀をしても、その男の人はボールを持ったまま返してくれなかった。

「お姉ちゃん、俺達も混ぜてくれよ。丁度三対三になるし、いいだろ？」

　ボールを持った男の人は、アズちゃんとマグちゃんと私が女子で三人。ユカラと自分達を入れて三人で丁度いいだろうと言っているようだった。

「あ、いや。今日は友達と来てるんで……ボール返してもらえますか？」

　男の人二人は、ボールを持ったまま私の方へと近づいてきた。

「じゃ、今から俺達友達な！お姉ちゃんさー、名前教えてよ。」

　男の人の一人が、私の肩に手を回そうとしたその時、ユカラがいつの間にか私の前に立ち塞がった。

「ボールを返してもらえますか？それ、僕達のなんで。」

　声を荒げる事無く、いつもの調子でガタイの良さそうな男の人達にユカラは言った。

「なんだよ、俺達に一人ずつ分けてくれたっていいだろ、兄ちゃん。余った奴はお前にやるからさ。」
　
　ユカラを押し退けて、また私の肩を掴もうとした男は、その手をユカラに捻り上げられて悲鳴を漏らした。

「馬鹿、離せ！折れちまうだろ！？ぶっ飛ばすぞ！」

　もう一人の男が駆け寄ろうとすると、ユカラは手を捻り上げていた男を放るように投げつけた。

「ボールを返せって言ってるだろ。早くしろよ。」

　ユカラが睨みつけると、男達は小声で愚痴らしい事を言いながらユカラにボールを投げ返して浜辺の方へと帰っていった。　　　

「あ、ありがと。」

　変な男に絡まれたからドキドキしたのか、ユカラの行動にドキドキしたのかよく分からないけど、私はすごくドキドキしていた。

「別に。護衛で来たんだから、当たり前だろ。」

　私にビーチボールを手渡すと、ユカラはいつもの無愛想な表情で答えた。　
　
「あ、うん。そうだったよね！ビーチバレーでも負けちゃったし、アイス奢るね。そろそろ戻ろらなきゃ！」

　私はまだドキドキしたままだったので、ビーチボールで顔を隠しながらユカラから逃げるように
　アズちゃんとマグちゃんに合流した。
　それから、みんなでアイスを食べた後、砂浜に出ている露店を見て回ったりして遊んだ。
　ユカラの表情からは楽しんでいたのか読み取れなかったけど、アズちゃんとマグちゃんはサマーバケーションを満喫したようで、笑満面の笑顔だった。
　日も暮れてきたので、その場でみんなと解散すると私は宿へと帰った。
　色々あったけど、楽しい一日だったなと部屋で今日のことを振り返っていると、ふと兵庫さんの言葉を思い出した。
　
『成果報告、楽しみにしてるわよ。』

　数日後、私はデートの結果を待ちわびる兵庫さんの処へと報告ヘ行った。
　
「何の成果も得られませんでした！」

　兵庫さんに土下座した。

＞ウルドちゃん

＞ノウァさん

ポシェットに向かって印を結んで留め金を口を開いた。
淡くバックの中が光っており、別次元に空間がつながっているのが分かる。

パンフレットといくつかの布袋を取り出した。

言いながら白黒の奇妙な継ぎ接ぎ皮で、なかの紙は白ではなく黒地で出来た絵本を持ち出してきた

そう言って修道士は巨躯を屈め、頭を下げた。

慌てふためく少女の反応が予想外だったのか、苦笑いを浮かべている。

ゆあが背後の方に向かって声をかけると、虫カゴを背に乗せた狼がゆっくりと歩いてくる。
虫カゴの中には背中が気味悪く目玉のように開いた、小さな蜘蛛が数多く蠢いていた。