そこは私達にあてがわれた部屋よりもいくらか広かった。
　壁に面して本棚が置かれている、中身は農業関連のものばかりで、彼女自身の人となりを表すものは見当たらない。雑務をこなすためと思われる机は片付いている、その上にはメモ用紙やら筆記用具やらが整然と並べられているだけだ。今のところ部屋の面積を最も占めているのは目の前の長机だった。
　その部屋の中心に正座をして私は彼女を待っていた。
　身体は驚くほど落ち着いているが、頭のなかではこの場をどう切り抜けるかということばかりが駆け巡っている。
　ほんの数時間前のことだ、私はひとつの問題をおこした。ここに来てから一ヶ月がたった頃のことだった。
　今はそのことで呼び出されている、何らかの罰が待っていると考えて間違いはないはずだ。
　深呼吸して心を落ち着ける、どんな言葉を繰り出したものか、被害を受けるとしてもそれを少なくするにはどうすればいいのか。
　深呼吸の数を数えるのが億劫になった頃、廊下につながるふすまの向こうに人の気配を感じた。




　問題の数日前


　道場と社会をつなぐシステムは学校のそれに近かった。
　比較的早いうちに農業に触れていくことで、将来的に戦力として期待できる人材を育てる。
　道場が所有する農地は大きいものではなく、基本的には座学を授けられる。実践となると近くの農家に助けを求めることもあるようだ。私は嫌だったが、顔には出さない。
　さて剣術の方はほとんどおまけと言える、体を鍛えるという名目であり、武道というよりスポーツだと彼女は語る。武道とスポーツの違いがいまいちわからなかったが、特に気にすることもない。
　ということで、午前中から座学。日が落ちた頃から剣術を教えるというのがこの道場で行われる基本の一日だった。
　それを受けている生徒たちは私を含め16名。意外だったのは私が最年長だということ。ちなみに全員が住み込みというわけではなく、自宅から通う子供も居るらしい。
　生徒ひとりひとりの印象を言えるほど交流はしていない。……いやしていたとしても、見た目が違うだけでほとんど同じような人々だったと記憶している、つまるところ個人を特定して語るのは非常に難しい。
　ちなみに私を迎えに来て、農学も剣術も教えている女性。彼女は初日に名乗っていた。「これから長い間一緒に過ごすことになる。クリス・ガーディニアです」記憶に残る自己紹介でもないけど、指導を毎日受けていれば、自然に名前ぐらいは覚えてしまう。
　彼女は細身の割にエネルギーのある人で座学の時も黒板を大きく使い、はきはきと喋った。剣術を教えてる際は言うまでもない。
　ちなみに座学はそれなりに楽しかった。土の三相やら作物に適した栽培の話は私の興味をそそった。それなのにときどき、水の量は適量に調節しないといけない、とか言われると少しさめてしまう。そんなこと言われなくてもわかるだろうに。
　……その見通しが甘かったのだけれど。
　問題はその数日後に起こった。その日私は朝から機嫌が良かった。何故かというと花壇が与えられたからだった。
　二人一組でひとつの花壇の世話をする。土は作ってあるから、立派な花壇を作ってね。とのことだった。
　初等教育の時に花を育てたことがあったのだが、その時は綺麗な花を咲かせることができた。小さな出来事だったけれど、私はとても喜んだ覚えがある。それ以来こういうことに興味があったのだ。
　ということで、私は株を真剣に選んだし、その生育方法についてもしっかり学んでいた。
　少しだけ不安があるとすれば、ペアを組んだ相手のことだった。
　それは特別この人がダメというわけではなく、誰と組んでも同じような不安を感じていたと思う。
　生徒の構成から必然的に私より年下になる彼女は、病弱なのか座学の時にもあまり顔を見ない、休みがちの少女だった。
　私は冷たいという印象を抱かれがちなのだけれど、自分ではそうでもないと思っているし、その娘と一緒に頑張ってみようとも思っている、それでも初等教育で感じたトゲは抜けていなかったらしい。
　さて時間になって外へ出てみると、彼女はまだ来ていなかった。見回してみるとクリスのそばで何か話を聞いていた。周りでは他の生徒が作業を始めているが、焦ることはない。
　そのまま少し待っていたら、小走りになってやってくる。軽く謝られたけれど、気にしてないよと返し、作業へ向かう。
　私が株の準備をしているうちに、彼女はせっせと植える場所を作っていた。手際が良い。思わず感心する、ほとんど教科書通りじゃない。
　私は間隔に注意しながら株を植えていく、あとは水をあげるだけと考えたら、もうジョウロに水を組んできていた、準備までいい。
　ジョウロがかん水用のものだと最高だったけど、正直にいって予想以上の動きで驚いた。物静かで不気味さは拭えないけれど、私の杞憂だったのかもしれない。
　水を注ぎ出す。私はそれを見ていた。もう十分かなというところで声をかける。
「もういいんじゃない？」
「……」
　少女は水を注ぐのを止めない。さすがに多すぎる、土が泥のようになっていた。
「もういいって！」
「……」
　少し語気が強くなってしまった。抑えなくちゃと思う。それにもかかわらず、少女は水を注ぐのを止めない。
　満タンに入れてきたのであろうジョウロから水が注がれ続ける。もし稲が植えてあれば田んぼだといっても通用するだろう、でもこれは花壇だ。
「もう、やめて！」
「……！」
　私は言葉と同時に手を出していた。ジョウロをひったくって脇へと投げる。
　がらん。とほんの少しだけ残った水をまき散らしながら、ジョウロが転がる。
　彼女は自分の手と私を交互に見つめていたかと思うと、両目に涙をためていた、次の瞬間にはそれを泣き声と同時に開放する。
　なんだこれ。呆然としている私をいくつかの視線が射抜く、正確には14人の視線。人形のようだった。泣きたいのはこちらだというのに、思考が止まって何もできない。
　視界の端にクリスが見える、こちらに全力で走ってきているのが見えて、直ぐに到着する。彼女は花壇を見て、泣いている少女を見て、最後に私を見たと思う、目を合わせられなかった。
　泣いている娘をあやし、見物している子どもたちを散らして、私につぶやいた。
「あとで部屋に来てもらっていいかな？」そうして冒頭に戻る。



　ふすまの外に気配を感じる、だけれど彼女は入って来なかった。
　何故かその場所に立ち往生しているようだった。耳を澄ますと。よくわからない呻き声のようなものが聞こえた。
　なんだろう？　興味が体を動かそうとするが慎重に動こうとする心がそれを邪魔する。
　今度はよく聞こえる声が聞こえた、若干苦しげ。「だ、だれか居ないかなぁ？」クリスの声だ。ふすまの向こうで聞こえる。
　助けを求めているようだったので、痺れそうな足を立たせてふすまを開ける。
　両手でお盆を持っている彼女がそこに居た、その上には湯のみが二つとたくさんのお菓子が乗っかっている。どうやら手が塞がってあけられなかったらしい、それにしてもそのお盆は何なのだろう。
「うわっ、もう来てたんだ。……どうもありがとう」
「いえ、大したことは」
　とりあえず心象を悪くすることはなかったようでほっとする。彼女は私の脇を通り抜けるとよたよたと歩いてお盆を長机に置き、そのまま座る。
　私はふすまを閉めると彼女に指示されその対面に座った。
　さて、と心を落ち着ける。予定外のことはあったけれど、どういう態度をとるべきかはずっと考えていた。
　先手必勝。私は身体を少し後ろに下げると床に指をつき、頭を下げようとする。
　だがそれよりも彼女の動きは早かった。「ごめんっ！」勢いよく言って長机に手をつきながら彼女は頭を下げた、もう少しで机にぶつかる位置まで、表情は伺えない。
　私は驚きからついつい動きを止めてしまう。何に関して謝られたのかわからない。だけれど、それ以上に、私は大人に謝られたことなんてただの一度もなかったのだ。






　水辺に魚がいるのは別に変なことじゃない。
　フィーナはうんうん、と心の中で頷いた。目の前には二匹の魚。
　確かレモラと呼ばれていたなと彼女は確認する。生きがいいのか水面から数メートル上空に居るのだが。
　この世界は奇妙なところがあるからこれぐらいは気にするべきじゃないかもしれないと一人で納得し、二刀を構えようとする、そこに

　突然叫ばれてびくっと体を震わせる。見ると人魚ちゃんが拳を握って叫んでいるところだった。

　感謝します、と頭を下げて二匹の前に出る、胸を張りしっかりとした声音で言い放つ。

　肩を落とし戻ってくる人魚ちゃんにフィーナが声をかける。

　納得できたかというと全く納得できなかったが、フィーナはそこで話を切り上げた。
　数分後にはレモラが二匹陸に打ち上げられていた。水ねぇし！！？　と叫んでいる。
　本当にこの世界は不思議なことばかりだと彼女は再度思った。

　キャンプ地を決めて、明日に備えそれぞれが体をやすめている時間になった頃、フィーナの元をシェイミーが訪れた。
　彼女からの返事を聞くと、失礼しますと言いながらそばまでやってくる。

　質問に質問で返されたが、気を悪くした様子はなく、小さく頷く。

　肯定の意を示し、言葉を続ける。

　上目遣いで見つめてくるシェイミーの視線をフィーナは受け止める。
　そのまま数秒、根負けしたようにフィーナが目をそらし、苦笑交じりに言った。

　自分の寝床から枕をもってフィーナのところへ行くシェイミー。それを傍から見た人魚ちゃんが

　変な勘違いをしていた。

（フィーナのことを指しているようだ）

（首をかしげている）

一言区切り、身体の件については気まずそうに頷く

愚痴になったと声音に自嘲を滲ませ、改まって四つの視線を少女に向ける