＜手紙喰らい＞ラトは、非常に困った状況に置かれていた。


　それが召喚された儀式場の洞窟内部には、彼以外の生物は存在しなかった。また、重要な情報や貴重な食料（＜手紙喰らい＞の場合、それらは基本的に同一の物となるが）もあらかた探し尽くした為、外に出て他の者とコミュニケーションを図り、一揆への参加を行っていこうと考えたのは当然のことであった。
　幸いにも、彼の喰らった＜手紙＞のお陰でこの世界の言語も一通り習得できた。
　問題になる事は無い、とラトは自信満々であった。


　洞窟の中は完全な暗闇に満ちていたが、それも特段問題視するような環境ではない。限定的ながら、影を操る事で情報を操作する＜手紙喰らい＞としての力が徐々に戻ってきているラトにとって、暗闇を見通す程度の力は造作もない事だ。
　複雑極まる洞窟を抜け"風鳴りの丘"と呼ばれる地に降り立った時も、特に達成感や感慨と言った感情は浮かばなかった。しかし、夜の"風鳴りの丘"は、やや肌寒い気候ではあるが草が生い茂り、またひらけた空には満点の星空が見える。空を見上げたラトは、元の世界には無いその空を見て、少しだけ気分が高揚する。


　ほどなくして、ひとりの小柄な老人が己の方に向かって歩いて来るのをラトは発見した。奇妙な風体の（時折狼の姿がぶれて見える）老人であったが、持っている牧人用の杖から見るに、羊飼いなど遊牧を生業にしている者だろう。
　この辺りの地勢や、一揆の行われている場所を知るには非常に都合が良い、とラトは考え、なるべく友好的な態度を取る為ゆっくりと近付いて行く。



　そして、挨拶と自己紹介を行おうと考え、『初めまして』とこの世界の言葉で喋ろうとし——




　——それの口から発せられたのは、『メェメェ』という、ただの山羊の鳴き声だった。


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　羊飼いであるグレイは、有り体に言って困惑していた。

　悠然と歩いてきた黒山羊が会釈と共に軽く一鳴きし、グレイにはそれが『ハジメマシテ』と言っているように聞こえた所までは、まだ彼の理解できるところであった。
　この黒山羊が何者か、についてはひとまず置いておき、それが知性のある生き物であればこの地に現れた理由を問い質せるし、それがグレイや孫娘に危害を加えるような事であれば、交渉し立ち退いてもらうこともできるだろう、とグレイは考えていたからだ。


　彼にとって非常に不可解なのは、メェメェと鳴いた黒山羊が、その直後からあからさまに動揺の表情を浮かべ、挙動不審になった事である。
　その生き物にとって何か不都合が起きた事は見てとれるが、それが良く分からない。あからさまに首を捻りながらメェだのメェエだのと鳴いて見せ、そのたびに困惑気な表情を浮かべている。グレイはそれが「あれ？」や「なんで？」という疑問の声である事は分かったのだが。


　だが、深く考えても仕方が無い、とグレイは思い直して問うてみる事にする。
「はじめまして、儂はグレイと言う者じゃ。この辺り一帯で羊飼いをやっておる。
　何かお困りごとがあった様に見受けられるが、主は何者かね。何故此処にいるのか、理由を聞かせてもらってもよいかの」


　その言葉に驚いたのはラトであった。
　すわ、己の言葉が通じたのか、とやや希望を得られたような気持ちになるが、普通に考えても今の言葉はラトの状況を観察してのこと、言葉が通じていなくても言える事である。


　ラトは少しだけ悩んだが、いずれにせよ言葉が通じないのであれば、何をしても厳しい。駄目元で話を通そうとしてみる。
　しかし、『私はラト＝エテルと言う、＜手紙喰らい＞という種族の物で、この世界に召喚されてきました。こちらに来たのはこの世界で行われる一揆というイベントに参加するためです』と言ったことを話そうとするが、やはり出てくるのは山羊の鳴き声だった。
　しかも、説明しようとしているだけメェエメェメェとやけに鳴き声が長い。


　これは明らかに駄目だろう、と絶望し掛けるラトであったが、
「ふむ、ラト、と言うのだな。ラト殿と呼んでも構わないかね？
　＜手紙喰らい＞という生き物は寡聞にして存じないが、他の世界からの来訪者で、一揆に参加する、と。
　最近活発に動いている赤毛の娘の仕業かのう。千人単位で増援を集めるとか言っておったし……」
　との言葉に再度驚愕する。


　恐る恐る、言葉が通じるのかとの問いかけ（やはり鳴き声）にも、
「儂はこう見えても羊飼い歴が長いからのう。羊や山羊の言葉位なら、理解するのは容易じゃよ。
　……ああ、なるほど。ラト殿は、儂に言葉が通じないかも知れないと思ったんじゃな？」
　と、実に的確な答えを返してくれる。ラトにとって、初めに出会った相手がこの熟練の羊飼いであったことは望外の幸運と言える。
　その後のグレイの「他の者には通じないと思うんじゃが」の言葉には、大分心が折られる思いがしたが。


　一方のグレイにとっても、この目の前の生物に対する警戒心を下げても問題なさそうだと感じていた。
　彼の言葉（？）をすべて信じるとするならばだが、ラトと名乗るこの黒山羊の目的は一揆への参加であり、この地方やグレイたちに害をもたらすつもりは無いようである。
　詳しい話を聞いた結果、危険な生物である事が判明するかもしれないが、今直ぐに戦闘を行う必要は無い。



　こうして、黒山羊ラトと羊飼いグレイの初邂逅が行われたのであった。

　……。話すのは人語でにするようだ。

　気を取り直し、ジャックは貰った書簡集を少し齧った。

軽く首を振る姿に、残念そうにしている。

同意と取れる鳴き声と頷きに、ぱぁっと表情を明れさせ、ぎゅっと抱きついた。それほどにきっと嬉しかったのだろう。
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大胆になる横流しを、藁につられた多くの羊達がうまーく隠している！

一瞬、「何あわててたんだろーな」くらいの表情をしたが、嬉しそうに水を飲み始めるラトを見て、そう認識したようだ。
水を飲む様を、にこにこしながら見守っている。
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いつのまにか、何かを咥えている。