アレキサンダー・イブリスホーム。

約二百年程前に、タリスベル司祭のアレキサンダー・イブリスが森の中で使われなくなった教会を買い取り、
周辺の戦災孤児100人余りを集めて設立したらしい。

以後、代々管理をする神父がタリスベル教会から派遣されて孤児院の管理をしていたらしいが
先代の神父は教団とのトラブルだか諍いに巻き込まれて死んでしまったそうだ。

つまり、ここはタリスベル教会と常に繋がっている。
ボクの『穢れ』の祓い方のヒントも何か見つかるかもしれないんだよなぁ。

それともう一つ、この教会に来てからというもの・・・何か頭の中を違和感のようなものがこびり付いてる感覚がする。
何なのかわからないけど・・・まるで意識の中に遺物を混入されたような感覚。これは何だ。




イブリスホームに滞在すること数日、僕はこの礼拝堂に足繁く通っていた。
もちろんお祈りなんかする為じゃあない。

『穢れ』を祓うヒントを見つけるためだ。

想像はついていたけど、ここを観察しても出てくるのはボクには無価値の宗教画や偶像、ステンドグラスなんかの貧相な美術品ばかりだった。

ただまあ、マリアが丁寧に手入れしてるのだろう。聖堂はとても美しかった。
お昼頃になるとステンドグラスから日が差してきて、真ん中の通りを祝福するかのように光の筋がスーっと伸びていく。

もっとも、ボク達妖魔種だって本当は別に必ずしも神に反目してるわけじゃない。
勘違いされがちだが、少なくともボク達を指す妖魔、というのは悪鬼や魑魅の類とかではなく、どちらかというと亜人の一種に過ぎない。
タリスベル教に帰依してる妖魔だってたまにいることはいるのだ。

この不恰好な扉がなければもっと綺麗なのになぁ。

礼拝堂の隅のほうの床に、かなり古びた扉がついているのだ。
何か地下室があったのか、それとも単なる倉庫か、開けてみないとわからないけど鍵がかかっていた。

まぁ、もちろん何か怪しいものを感じなくはないのだけど。


さて、美術品ばかりみても拉致があかないので、どの程度解読できるかわからないけど文献も当たってみようとマリアに書庫の鍵を借りた。
書庫にいくと、鍵は開いてて、ノエミが掃除してた。

ノエミってのはここの孤児院の子供達の一人で、いつも変わった柄の服を着てる女の子だ。

そう言ってノエミはさっさと行ってしまった。あれ、これはボクをサボる口実にさせてしまった気がする。まぁいいか。


文献を調べる。やはり大半が古代文字だ。なんつったっけ、古代クリステル語だっけ。まぁいいや。

うん、想像以上に孤児院・・・というよりはそれ以前に使われていたという教会の歴史が古いことはわかったけどまぁいいやめんどくさい。
大体ボクが優先させなきゃいけないのは、サタナエル公爵の粛清だ。二百年前に逃亡したって話なのに、流石にこんな古い文献にヒントはないだろう。

出発にあたり、ボクに教えられたのは本当にさわり程度の公爵の経歴、資料、そして肖像画程度だった。

まぁでも、綺麗な人だったよな・・・。髪も綺麗な・・・

忘れていた。


どういうことだ。


髪の色だけではない、髪型、顔の特徴、背格好、それどころか閲覧したデータの半分以上が思い出せなくなっている。
もちろん自然に忘れたわけじゃない。ボクだってそこまでバカじゃない。

ここに来てから感じていた頭の中の違和感はこれだった。
記憶野を魔術干渉されていたからだ。



これはボク個人に対してかけられたものではない、だとしたら威力が弱すぎる。本来なら忘れたことさえ気付かない。
もっと広範囲の・・・多分半径１０ｋｍ圏内くらいに侵入するあらゆる人間に無作為にかけられるものだ。


僕がリヴァランにのされて・・・ここに運ばれてくる間のどこかでそのテリトリーを通過したということか・・・？それとも・・・


ここも、テリトリーの中なのか、だ。
少なくともここからそう遠くないところにサタナエル、あるいはその協力者がいる。
まぁ、恐らく本人だろう。これはそんじょそこらの妖魔が出来る芸当ではない。

日が暮れる。随分と時間が経っていたようだ。

夕飯時になった。
マリアが少しソワソワした顔をしてボクの顔を覗き込んでくる。

ここへ滞在する理由も出来てしまった。
近くの町で宿を借りて拠点を構えるとして、まぁここにはたまには顔を出してみようかな。
ここでずっと厄介になれるなら、それはそれで都合いいけどね。

きたよ・・・。いや、正直来ると思ったよ。
何でこんなに人がいいかね。ボク妖魔だって言ってんのに。

・・・ありがたく住まわせて頂こう。神様が僕をここに導いたっていうならそれも悪くない。

かくしてボクは、ヘリヤ・フォルネウスからヘリヤ・イブリスになった。

一応家名を奪われたことになってるからね。苗字はないと言ったら、マリアがそれならとイブリスの名をくれた。
ここの孤児達は皆そうしてイブリスを名乗ってるのだそうな。マリア自身もイブリスを名乗ってる。

以上でボクがユベールを発ってから、イブリスホームズで暮らすようになった経緯の話は終わる。
教団の使いが来て、ボク達が一揆だとかいう暴動だか反乱だかに協力させられることになったのはこの一ヶ月後の話だ。

そして、話は現在に戻る・・・。

にぱっと、咲いたような笑顔を浮かべる。触手は抵抗しないことに気をよくしたのか。非常に気持ちよさそうにすり寄ってくる。

手に持った花瓶のようなものを振りかざす。中に水が溜まっているようだが、妖しいような不思議な魔力を放っている。

トガノは自身に目線を向けられていることを確認すると、笑顔で応える。

ハルはヘリヤとの話の経緯を掻い摘んでトガノに説明した。
その後…ハルもトガノも、腑に落ちないと言わんばかりに訝しげな表情を浮かべ始める。

ハルは少し間を空けてから再び口を開く。
先程と比べて若干ながら深刻そうな表情を浮かべ、語調が沈んでいる。

いつの間にか、先程までの沈んだ様子は消え失せていた。