深く、空気を取り入れる。

　大きく、貯めた息を吐く。

　瞑目は未だ解かず。ただ心蔵へと耳を澄ます。

　待っている。動へと移る瞬間を。
　測っている。最良といえる律動を。

　動かぬ身体。横たわる沈黙。されど、刻一刻とそれは来る。

　最後に今一度大きく空気を吸う。
　そして、吐き出し切ると同時。

　動く。

　初手。下段の払い。同時に軸足を後方に。

　次手。下げた足で踏み込みながらの上段突き。『咬打』

　継手。体を低く下げつつ、すり足から反転の足払い。『砂擦り』

　さらに。尻尾を重心に姿勢を保持し、遠心力の乗る前回し蹴り『蜷局』へ派生。



　連携は続いていく。

　受け、払い、突き、蹴り、取り、引き、打つ……

　流れるように続く一連の動作。

　体裁きだけでなく、着眼、視線の位置も常に見えぬ敵へと向けさらに正確に、速く、攻防技を繋げていく。

　これは武道における、『形』と呼ばれる練習形式。

　定められた技を順序で演武し、技を身体に覚えさえ習熟させる。

　形の練習は、敵を相手にしないため、侮られことも多い。
　しかし鍛錬を重ね続け、体に染み込んだ動作というものこそが本当に有効だ。
　
　本当に馴染まされた動きこそ、咄嗟の事態に直面したとき反射的に出る。
　いざという時に、いつもどおりの力を発揮できる。

　少なくとも、黙々と演武を行うトカゲはそう信じてこれを行っている。


　故郷では、強さは重要な指標だった。
　故に氏族の者は皆、幼き日より古来からの武術を叩き込まれるのが習わしだった。


　ゼゼはその習わしが昔から嫌いだった。
　狩猟は生活に必要だからまだ分かる。しかしそれ以上の武力の必要性を感じなかった。
　
　それでも、考えを改めねばならない。



　先日の戦闘。たまたま遭遇した、愚王に仕える兵士との遭遇戦。

　そこで酷い苦戦を強いられた。
　
　間抜けな格好に油断していたわけではない。むしろ、恨みの一部を発散できると、張り切っていたいた言って良かった。

　それだけに、あの結果は衝撃であり、己の力不足を痛感させられた。


　このままでは駄目だ。そう思い立ち、こうして形を始めていた。

　少しでも強く。少しでももっと強く……。

　その意志がゼゼ動かす。

　動かし、そして演武は終局。

　残心。
　
　最後の構えを解き、ゼゼは改めて深く息を吐く。

「ふう……」

　鈍い、な。

　今までは十分とさえ思えていた動作すら物足りない。

　ならば、鍛え続けるしかないのだ。

「よし」

　その場に座り込むと、瓢箪の水筒にいれた水を煽る。鱗の身は汗をかかないが、水分補給は必要だ。
　少々の休憩を挟み、今度は打ち込みを行うことを決める。

　花の世話は、バリオに任せているので心配は……無いとは言い切れないのであとで折を見に行こう。


「取り敢えず、やることをやるか」


　氏族の言葉にもある。己の限界は最後の鱗を脱ぐまで未知である。

　小休止を終え、ゼゼは立ち上がる。

芳しき誘蛾灯のごとく、緑の匂いは鼻が利くものには薫りは強くなる。
人間でしかない見た目のそれは、あなたに声を掛けられはたと瞬き、御人の蜥蜴へと紫水晶の眼を向けた。

「植物にゆかり……。えぇ、ございます、よ」

細いながらもはっきり伝うよう、努めて敵対する意志なぞ見せないように配慮しながら。

「私、は、ここに来る前に……花屋を営んで、いました。なので花は身近にいるもの…です。今も植物は私の傍にいます」

　あくまで自分は人間として接することにした。得体が知れず、それでも警戒を抱く事は悪い事ではない、筈だ。

「ただちょっとした、植物に由来する手品もできるんです、よ」

そう言い蜥蜴の目の前に手をかざす。裏表をしきりに何度か見せてから、やがて表にした時、大咲きの牡丹を手の中に顕現させる。
何もない所から現わした。というのもあながち間違いではないが、手品に種も仕掛けも無い…ことはなく、本来の意の「種」は存在してしまう、ちぐはぐな手品の真似事。
あなたが辿った緑と、牡丹から香る香りは、どことなく同じと感じ取れるかもしれない。