「——」
魅月は手帳に視線を落としてため息をそっと吐いた。
パタン、と手帳を閉じて視線を上へやると、
魅月の目にとびこんできたのは三文字の漢字。
それはこの教室がどこであるか指し示すもの。
そこにはこう書いてあった。
【図書室】
と。
そう。
トイレの鏡の怪談を排除した後、
７つの怪談全てを調べる為に図書室にやってきたはいいのだが——
「そういえば５つ目だったわね……。
　いえ、トイレが２番目だったから、
　ここが３番目ではあるのだけど。
　——ここを出たら二重線で済んだ所は消しておきましょう。
　上から順番に解決すればいいと思ってたけど、
　なかなかままならないものね。
　結局の所全て回る予定だから大差ないといえばないのだけど。
　さて、と——」
少し深呼吸をして息を整える。
別に気合を入れる必要はないが、
魅月にとってのそれは単純にどんな怪異であろうと対処するよう、
心を冷静に落ち着けるためのものだ。
大抵の物事であればどうにかなるとはいっても、
受ける痛みや苦しみ。
そういったものをどうにかする事なんて出来ない。
故に、例え対策があるのだとしても避けるに越したことはない。
其の為に必要なのは、
とっさの出来事への対処。
もちろん……対処できない事も多々ある——
というか、
対処できないような事の方が多いが、
それでも冷静でいるならば次の行動へ移れるまでの時間が少なく済む。
それゆえ、なるべく彼女は冷静であるよう心掛けている。
最も——
それ以上に魅月の場合は相手をからかったりする為の理由の方が大きいが。
ともあれ——
扉に手をかけ一気にあける魅月。
図書室の中は静まりかえり、
特に変わった様子は見受けられない。
ゆっくりと懐中電灯で中を照らしながら魅月は図書室に足を踏み出す。
だが、変化も変わった様子もなく、
ただただ静かな空間がそこにある。
「——図書室そのものに問題はなく、
　誰かいるという訳ではない。
　となると——本にまつわる怪異の可能性が高い訳だけど……
　まぁ、ともあれ本を探しましょうか。
　——こういうのはまずは文集よね。
　確か……」
記憶を頼りにどの辺りに本があるのかを思い出す。
魅月は図書室を利用する事はそれなりにある。
そして、文集を手に取る事が多い。
というのも——
純粋に昔の学校の出来事を知るのが好きなのだ。
懐かしい気分にもなるし、
共有できる思い出も多い。
それに——
若さにふれる事で、自分を繋ぎとめている。
——見た目的、いや肉体的には１０代の高校生くらいの少女——
とはいえ、その生は既に１００年を超えている。
即ち、精神はその分老いているに他ならない。
脳も身体も老いている訳ではないので、
ボケとか老化現象などといった事とは無縁とはいえ、
それでもやはり、
精神が成長し、知識が増える以上、
精神的な若さというものは薄れていく。
精神と肉体が乖離(かいり)すればするほどに、
人としての在り方が歪んでいく。
少なくとも魅月はそう思っている為、
若さに触れる事で精神的な若さを少しでも取り入れ、
完全な乖離を避けているのである。
もちろん、
高校生活を続けるのも色々な理由があれど、
この事と全く関係ないかといえば、
理由の一つとしてあるのだろう。
故に、目的の物は直に見つかった。
もちろん整理されているという事もある。
「さてと——
　後は七不思議が書かれている文集を探すだけね。
　——今まで見た分には書かれてなかった。
　となると——私がまだ読んでいないもう少し古い文集ね。
　——普段から少しずつ読んでいて良かったわ。
　最も、最初から全部読んでおけばもっと良かったのでしょうけど、
　……
　そうすると読む楽しみが減るのよねぇ。
　——流し読みで七不思議の部分だけ探しましょ。
　読みふける時間はなくはないけど、
　読んでしまうと先の楽しみが減ってしまうもの。
　さてと——」
一冊一冊パラパラとめくって流し読みで目的のものを探す。
「これでもない……
　これでもないわね……
　——最悪無い事も考えるべきかしら——
　あら？」
もう少しで全ての文集が読み終わる。
そんな時、
魅月の目に目的のものが見つかる。
【学校七不思議】
そう書かれた文章が。
「——これで問題なく分かる……あら？」
だが、
次のページを開いてその内容を見ようとした時だった。
ページが開かないのだ。
力を入れればページが破れてしまうかもしれない。
「……ああ。何かしら。
　嫌な予感というか次の展開が読めたわ。
　——やれやれね。
　“呪われた文集”といった所かしら。
　七不思議……とはいっても、
　そのうちの一つの怪異そのものではないにしろ、
　影響を受けてしまった本といった所ね。」
慎重にページを剥がす。
恐らくは血でもこびり付いているのであろうとあたりをつけて。
作業は魅月にとってはそこまで難しいものではない。
４、５分もすればページを開く事に成功する。
そこにあったのはやはり、黒ずんだ血の痕。
何かが書かれていたのであろうが血によって既に読めないものとなっている。
「読めないんじゃ仕方ないわね。
　しょうがないから諦めましょう。
　けど——」
読めない次のページを見る。
そこには、更なる調査の為、夜学校に潜入したい……
そんな事が書かれていた。
つまりは——
「この次の文集が気になるわね。
　確かもう眼は軽く通したのだけど——
　……
　よく読んでみましょう。
　——七不思議に全てについては書かれてないだろうけど……」
文集をそっと閉じてしまい、
その次に発刊された文集を手にとり読んでいく。
その中に図書館で死んだ人の話が書かれていた。
——記事がかけなくなったお詫びと冥福を祈る言葉を添えて。
端的にいうと、
その現場は不可思議なものだったらしい。
図書室は完全に密室。
更にその生徒は自殺していたわけなのだが、
遺書はなく、死ぬ様子もなかった。
そしてそこには開かれた文集があったらしい。
——開かれたページは七不思議のページだろう。
発刊された文集は図書館に収める一冊だけだったらしく、
また彼が死んだのは、
その中にあった図書館の赤い本を読んだからという話もあり、
七不思議の話は蒸し返さない方がいいという事もあって、
その文集の再現はせずそのまま放置する事に決まったらしい。
——複数の文集を発刊する事が決まったのもこの事から。
「——成程ね。
　赤い本の怪異、という訳ね。
　他の話が分からなかったのは残念だけど——
　見たら死ぬ類だとすればまだ楽な話ね。
　——後はどこにあるのか……
　……そうね。
　さっきの文集のように嫌な感じがする本を探してみましょうか。
　——意識を集中すれば——」
心を鎮める。
霊達を鎮め気配を察する力を強化する。
——霊という雑音がざわめいている中では細かい気配を魅月は察知できない。
其の為、
自らの心を静め察知する力を研ぎ澄まし、
霊達を鎮めて雑音を減らさないといけない。
それ故に必要な行為。
「——」
昏い気配を察知する。
そしてゆっくりと歩を進める。
それは図書館の中でも最も奥の一画だった。
そっと手を伸ばし一冊の本を手に取る。
それは赤い装飾で無地の本。
「見つけた。
　さぁ——
　早速読むとしましょうか。」
ふぅっとため息をついてタイトルすら書かれていないその本を魅月は開いた。
眼に飛び込んできたのは赤一色。
ページをめくる。
しかしそこにあったのも赤一色。
そう、その本は全て赤い色で出来ていた。
赤い紙に赤い文字。
同じ色だから何が書かれているのか分からない。
目に飛び込んでくる赤が広がっていく。
ああ、なんて赤いんだろうか。
気がつけば世界が赤い。
そう、魅月の視界は全て赤で埋まり——
全てを理解する。
世界が赤いのではなく——
自分の首から迸る血が視界を埋めてしまったのだと。
意識が遠のく。
本が嗤ったような気がした。
本が手から離れ、首を刎ねた凶器が私の手に——
魅月の物語はここで終わる——

はずだった。

少なくとも赤い本の結末はそうだった。
そう。
魅月の首から噴き出した瞬間の血のように赤い本。
血を吸い尽くした紙に血の文字で書かれた被害者達の物語が書かれている。
それこそがこの図書館にまつわる七不思議の一つ——
逃れる術は何も無い。
夜の誰もいない図書室で見つけたものだけが被害者となる。
実際に本当にこの本で被害を受けたものはそう多くはない。
けれど——
この学校で流れた血もまたこの本に収集されているといえる。
故に、この本は力を持ち、
今もまたこうして魅月という犠牲者の力を吸収し更に力をもつはずだった。
だが——
死なない存在である魅月が殺されたとして、
確かに肉体は傷つくだろう。
確かに痛みは感じるだろう。
だが——決して死には至りはしない。
ただ、それだけだ。
痛みこそ中々無くならないが、じきに傷は消えて元通りになる。
そして、首を斬られたくらいの痛みなど魅月にとっては大した痛みではない。
否。
大した痛みではないというと語弊を招く。
何度も何度もそれ以上の痛みを受け続けてきたとしても、
それはやはり痛い。
だが——その程度の痛みに耐えきれなかったとしたら、
魅月の精神は既に朽ちている。
だから——
魅月は嗤った。
ああ、この本はなんて滑稽なのだろうと。
久しぶりに獲物がかかったくらいにしか思っていない。
だが、それが大外れであり——
本は狩っているつもりで魅月に狩られている事に気づいていないのだという事を。
「あは——アハハハハハハハハハハハ！」
声をあげて魅月は嗤う。
傷口はもうふさがっている。
赤い本は動揺している。
本は本でしかいない故に、動揺しているかどうかなんて分かりはしない。
だが、魅月には手に取るように分かった。
何故なら、手の中の本はこんなにも気配が揺れているのだから。
それが本にとって致命的な遅れとなった。
笑いの声が止む。
魅月の顔から表情が消え、
赤い瞳が赤い本を射抜き——
「“喰らいなさい”」
ただ、一言魅月は呟く。
その声に反応するように呻き声が図書室に響く。
その声は常人には聞こえない。
それは死者の声だから。
死者であり幽霊である者達の声。
そう、魅月はただ命令を下す。
この赤い本を消去する為の命令を。
それと同時に赤い本から黒い染みが広がっていく。
文字通りまるで本が喰われているかのごとく。
赤い本は震える。
まるで消えたくない、恐ろしいとでもいうかのように。
だが、決して逃げられなどはしない。
その黒い染みの正体は、
赤い本に閉じ込められた被害者達の魂そのもの。
普段であれば赤い本の力が上回り影響など及ぼせはしない。
だが——
魅月は被害者達の魂を活性化させた。
魅月がやったのはただそれだけの事。
それで十分だった。
魂は赤い本を食い破る。
それは己の復讐の為であり、
それと同時に——
魅月を喰らう為に。
勿論、魅月は喰らわれるつもりはないし、
そうなる前に今の魅月であればある程度制御する事は出来る。
「……残念ね。本当に。
　このまま貴方を喰らう霊達を制御しようとしなければ、
　私もきっと喰らわれる可能性がある。
　けれど——
　私が喰らわれるその頃には貴方は喰われている。
　だから私はタイミングを誤らない限り問題ないわ。
　そして、
　喰われた貴方はもうどこにも存在しない。
　ここでお終い。
　ゲームオーバーよ。
　——ああ、それにしても本当に良かったわ。
　探すのが面倒なだけの相手で。
　流石にそろそろ楽をしたかった所だもの——
　まぁ、一回私を殺せた事だけは褒めてあげるわ。
　さようなら、赤い本。
　貴方が３番目。
　残り４つも直に後を追うでしょう。
　向こうで仲良くやりなさい。
　——まぁ、私に囚われなければだけど——
　ああ、囚われようなんて思わないでね。
　囚われた所でいいように利用されるだけよ？」
だから、だからこそ——
魅月は告げる。
赤い本へもうお前は何もできずに朽ちるだけなのだと。
赤い本は声なき声で悲鳴をあげる。
悲鳴は赤き焔となって本を燃やし、
本は灰となって消滅する。
——かくして怪異がまた一つ滅んだ。
人の血をすすって生きた魔本の怪異が。
「——さようなら。
　……血の処理は……まぁ、ほっときましょうか。
　見た所、
　あの本が吸い取ってくれたみたいで私の制服についた分だけみたいだし。」
軽く自分の制服についた埃を払って、
図書室を後にする。
「——情報は無し。
　残りの怪異もいってみないと分からない。
　全く。
　時間を無駄にしなかった事だけが救いかしら？
　——さ、楽しませてもらえるといいのだけど。」
赤い本の事なんて忘れて次に出あうであろう怪異に思いをはせながら。